第6話 家守 その九



「……お父さん? お母さん?」

 両親の姿を前にして、ようやく清美は呆然自失から覚めたようだ。


 しかし、彼女が話しかける両親は、どう見ても生きている人のそれではない。なぜなら、輪郭が白くぼやけ、体が半分、透けている。


「お父さん! お母さん! どうしたの? ねえ、なんで、なんにも言わないの? なんで……なんで体、透けてるのよッ!」


 清美の叫びも届かず、二人の姿は溶けていく。真っ赤に焼けたストーブの上に置かれた雪だるまのように、くずれて見えなくなった。

 ただ、そのおもてには満足げな笑みが浮かび、最後にペコリと龍郎にむかって頭をさげたように見えた。


「お父さん! お母さん!」

 叫び続ける清美に、青蘭が冷静な声をかける。

「帰ろう。清美。君の家に」

「でも……」

「真実が知りたいだろう?」

 青蘭はもう、あるていど事実を察しているようだ。


 急いで車に乗りこみ、山道をとばして清美の実家へ帰った。

 だが、そこにたどりついた龍郎たちは、愕然とすることとなる。

 もともと荒れていた清美の実家だが、今、暗がりのなかで見るそれは、まさしく、あばら家だ。風雨にさらされ、崩壊寸前になっている。あきらかに十年以上、無住のように見える。


「……な、なんですか? これ? お父さんは? お母さんは? どこに行ったんですか? おばあちゃんは?」

 清美は泣き笑いのような表情でこわばっている。


 廃屋の壁に家守が一匹、張りついていた。ちょろちょろと家のなかへ入っていく。

 青蘭が家守を追って、なかへ入るので、龍郎も従った。

「清美さん。行こう」


 入るとすぐに、囲炉裏のある部屋に女が一人、正座していた。年をとってはいるが、綺麗な女だ。涼しげな切れ長の双眸には星流の面影があった。


「おばあちゃん」と、清美がかけよる。

 でも、老婆もこの世の人ではない。全身が白く発光している。


「清美。ついに、この日が来てしまいましたね。清文と秀美さんは、さきほど逝きました。わたしだけが少しだけ巫子の力を有しているので、しばしの時間の猶予があります。それも、つかのまだけれど」


 そう言って、年老いた女は清美、青蘭、龍郎と、順ぐりにながめていく。

「青蘭。あなたにずっと会いたかった。あなたはあまりにも苛酷な業を背負っているので、微力なわたしでは、どうにもしてあげることができなかった。でも、もう安心ですね。あなたのことも、清美のことも、信頼して任せられる人が現れた」


 青蘭はかすかに顔をゆがめる。

 何かとても苦いものをかみつぶしたような表情だ。

「あなたは、僕の祖母か?」


 はっきり霊体とわかるその人が、ほんのりとうなずく。

「そうです。わたしは八重咲聖子。清文と星流の母です。四年前に死亡してから、霊となってこの家を守ってきました。子どものころに置いていった清文のことが気がかりでした。せめて少しはあの子の力になってやりたくて」


 青蘭は静かに口をひらく。

「……清文さんと秀美さんは、十数年前に亡くなっていたんだね? ツァトゥグァに殺されて。そのとき、きっと、清美の妹もいっしょに死んだんだ」


 清美が強く息を吸いこむ。

「どういう……ことですか?」


 聖子の霊が語る。

「古きものたちは賢者の石を欲しています。理由はわかりません。星流なら何か知っていたかもしれませんが。それで、賢者の石の欠片を所有しているこの家の人間を皆殺しにしようとしたのです。この家には星流のように、ときどき強い巫子の力を持つ者が生まれる。賢者の石をあやつる力を持つ者が。わたしはこの家の血筋ではないけれど、その力を生まれつき持っていた。だから、星流やその息子の青蘭、あなたには、より強い巫子の力がある。

 それに、清美。あなたもです。ツァトゥグァは、ほんとはあなたを殺したかったのですよ。あなたは巫子のなかでも特別な存在だから。

 そのことが、わたしにはわかっていました。あなたが生まれたとき、わたしのファミリアをあなたにつけて、あなたに何かがあったとき、身代わりになるように命じました。あなたには、それが双子の妹に見えていたはずです」


 ファミリア——つまり、使い魔のことだ。日本的な言いかたをすれば、管狐くだぎつねのようなものかもしれない。


「だから、その日から清美の妹は消えたのか。両親にはもともと、使い魔の妹の姿は見えていなかった。いっしょに死んだのが清美だと勘違いしたんだな」と、青蘭はため息まじりにつぶやく。


 清美自身は言われていることを、すぐには理解できないようだ。いや、理解したくないのだろう。

 それは自分の家族が何年も前にとっくに死んでいたことを認めることなのだから。


 聖子は続ける。

「死んだはずの清美がなぜか生き返って、一人でさ迷っているから、清文たちは死んでも死にきれなかったのでしょうね。強い悲しみがあの子たちを悪魔にしてしまった。清美を守るために、この世にしがみついていた。でも、もう終わりました。あの子たちも満足して成仏しました。

 龍郎さんとおっしゃいましたね。どうか、お願いします。青蘭のこと、清美のこと、守ってやってください」


 龍郎はなんと返していいかわからなかった。それはもちろん、青蘭のことは死力をつくして守るつもりだ。そう決心した。しかし、その上、清美のことも同じ気持ちで守れるかと問われれば自信がない。


 聖子は優しい笑みで、龍郎をながめる。

「あなたにはその力がありますよ。どうか一刻も早く、苦痛の玉を完全な形に戻してください。賢者の石は欠けていると、本来の半分の力も出せないのです」

「わかりました。おれにできるかぎりのことをします。必ず、おれの命に代えても」

「…………」


 聖子の霊は一瞬、何かを言おうとしてから、その唇を閉ざした。いったい何を伝えたかったのだろうか?

 やがて、ふたたび話しだしたときには、最初に言いかけたこととは別のことを口にしたと、直感的にわかった。


「痣人神社に行ってください。あそこに守られているものが、あなたの力になってくれます。きっと……ああ、わたしの力もつきてきました。さよなら。星の戦士。夢の具現者。……イエの巫子」


 聖子の霊は光になって消えた。

 呪文のような言葉をささやきながら。

 いつのまにか家守の姿もなく、廃屋のなかに無人だったあいだの時の流れが、冷気とともに戻ってきた。




 了

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