第5話 家に帰るとき その二



 龍郎は自分の右手をながめた。

 その内にあるものの由来に少し近づいた。


「おれのばあちゃんの実家が以前、神社の神主だったんだ。それで代々、割れた玉を大事に受け継いできたって、話してくれた」

 言うと、清美も驚嘆する。

「えっ? それって……」

「うん。たぶん、同じ玉のことだと思う。今はその玉、おれが継いだんだ。いったい、どんな事情でその玉を持ちだしたのかはわからないけど、ばあちゃんの先祖の誰かが、君の家とかかわりがあったんだ」


 ということは、清美だけではなく、青蘭とも遠い過去のどこかで血縁だったのかもしれない。まんざら赤の他人ではないのだと思うと、とても不思議な気分だった。


「これで、青蘭のお父さんが割れた欠片の一部を所有していたわけがわかった。もう他に欠片はないのかな?」

「小学生のときに、おじいちゃんから聞いただけなので、うちに今もあるかどうかはわかりませんが、玉は五つに割れたみたいですよ。大きな玉を喪失して、うちには小さな四つが残されてたって話なんですけど」

「おれが受け継いだのが大きな玉だ。それに、星流さんから欠片の一つを受けとった。だから、欠片はあと三つってことか」


 龍郎は高揚していた。

 運よく行けば、あとの三つも清美の実家に保管されているかもしれない。これで玉が完全な形に戻れば、退魔の力はますます上がる。青蘭を守るために、それは必ず必要な力だ。


「清美さん。君の実家に行こう!」

「ええっ? いいですけど、お父さんやお母さんたち、知ってるのかなぁ? おじいちゃんは病気だったんです。もうすぐ死ぬとわかってたから、わたしに教えてくれたんです。でも、お父さんたちにそのことを聞いても、何も教えてくれないんですよね」


 口をひらいたのは、青蘭だ。

 キリッと背筋を伸ばし、今すぐにも立ちあがる勢い。

「でも、まだ残されている可能性がないわけではない。それに……その神社跡も見てみたい。行こうか」


 そこへ行けば何かが起こる。

 謎を解く鍵の一端が隠されている。

 そんな気がした。


 清美は丸眼鏡をカレーの湯気でうっすら曇らせながら、ぼそりとつぶやいた。

「いいですよ。うちの実家、すごい山奥ですけど」

「山、奥……」

 青蘭が涙目になって、ふたたび椅子に沈んだ。




 *


「せめて今日一日は街にいさせて! 洋服だって汚れたし、コートもなくなったし、買い物したいし、ジェットコースター乗りたいし、ホストクラブだって行きたいし! もう山奥はイヤ!」と、青蘭が言うので、清美の実家へ出立するのは明日の朝ということになった。

 青蘭のことだから、やっぱり僕はいいや、一人で遊んでるから龍郎さんと清美だけで行ってよ、とでも言いだすかと思ったが、そこは外せないようだ。やはり自分の父のことは気になるのだろう。


「じゃあ、まずは買い物ね。百貨店に行こう」


 龍郎の車はホテルに預けたままなので、タクシーで移動だ。

 一階の正面入り口から入り、エスカレーターに乗った。紳士服の階へ行く途中、子ども服の階があった。

 青蘭がなぜかオモチャ売り場の前で硬直したので、龍郎は青蘭の顔をのぞきこんだ。

「どうしたの?」

 気分でも悪くなったのかと思ったのだ。


 しかし、青蘭は妙にカクカクした動きで、頭を龍郎にむけてきた。映画の『エクソシスト』で悪魔憑きの少女の首が百八十度回転したときのような、ぎこちない動作だ。

「なんでもないです。行きましょう」

 苦手な虫から視線をそらすようなそぶりで、青蘭はまたエスカレーターに乗った。


 そのあと、青蘭はたっぷり買い物を楽しんだ。青蘭はとても細身なので、オーダーでないとサイズのあうスーツは手に入らない。ニットなど女物でも入ってしまう。


「ここじゃスーツのオーダーは受けてくれないの? 金に糸目はつけないけど?」

「腕のいいテーラーをお呼びいたしますよ。仲介料がかかりますがよろしいでしょうか?」

「かまわないよ。じゃあ、山奥に行かないといけないから、往復で二日はかかるとして、三日後にとりにくるから。ついでに龍郎さんも作ったら?」

「えっ? おれ? おれは別に……」

「龍郎さん、絶対、テーラードのほうが似合うよ」

「えーと……」


 青蘭の買い物につきあわされて、退屈なはずなのに、清美は「ぎゃあ。萌えるー」とか「恥ずか死」とか、わけのわからない戯言たわごとをつぶやいているし、なごやかに午後の時間はすぎていく……はずだった。


「じゃあ、次は靴屋かなぁ」と青蘭が言うので、三人で紳士服売り場を出ようとしたときだ。青蘭の顔つきが変わった。龍郎もわかった。あたりに嫌な匂いがまざる。


 青蘭がピリピリした声を出した。

「来る。それも急速に近づいてくる」

「そうだな。血の匂いもする」


 龍郎は青蘭の買った洋服を両手にさげていたので、その紙袋を清美に押しつけた。

「ごめん。ちょっと、これ持ってて。あと、おれたちのそばにいると危ないよ」

「いや、その点は問題ない。ショゴスに命ずる。清美を守れ——これで、清美の身は安全だ。この匂い、貪食だな。それに、なんだか……」


 青蘭が言いよどんだ瞬間だ。

 エスカレーターを男が爆走してきた。ほとんど飛ぶようにかけあがってくる。下りのエスカレーターを逆走してだ。男とすれ違った客は一瞬で姿が消える。男の手にしたスーツケースのなかに引きずりこまれて。エスカレーターに血の川ができていた。


(この男——)


 見覚えがある。

 忘れもしない。

 青蘭と初めて会った、あの日。

 電車のなかで見かけた貪食の悪魔だ。


 青蘭が唇をひきしめた。

「……僕を追ってきたんだな」


 男がニヤぁッと口角をつりあげる。

 ギザギザの乱杭歯がのぞく。

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