幕間 魔女の見る夢 2

 *


 夜になって、空気が少しだけ、ひんやりする。

 これだけ深い森のなかだと、初夏でも夜は肌寒い。


 月の明るい夜だ。

 リーネは窓から外をながめた。

 森の奥に、ちろちろと明かりが、ゆれている。

 山小屋のある方角だ。


 もしかして、ウワサの魔女だろうか。

 それとも、昼間の話を聞いた誰かが、あの場所へ向かおうとしてるのか?


 寮は基本、二人部屋。

 だけど、リーネは少し時期をずれて転校してきたので、ルームメイトがいない。


 こっそり、窓から外へ忍びでた。

 明かりは持たずに来た。

 月明かりがあるから必要ない。


 学園の近くには手入れのされた桜やカエデが多い。銀杏やバラやエニシダなど、ガーデンにふさわしい庭木だ。


 しばらく、はだしで走ると、背の高い杉の木がふえてくる。


 このあたりには民家はない。

 森の奥深くでは、ふつうに鹿やクマと出会うことがある。


 山小屋は、そういう動物が学園のまわりに現れたとき、猟師にたのんで撃ち殺してもらうための拠点に使っているという話だ。


 だから、ふだんは人がいない。

 とくに森にエサとなるものが豊富なこの時期は、近づいてくる動物も少ない。


 山小屋についた。

 窓から明かりが見える。

 誰か、なかにいる。


 香里奈だろうか?

 それとも、魔女?


 足音をたてないように近づく。

 そっと、窓から、のぞいてみた。

 部屋のなかには、まきや猟に使う罠などが乱雑に置かれている。そのかたすみに、黒いカーテンがひかれていた。室内の一部をかくすように仕切ってある。


 カーテンの前に人がいた。

 イスにすわっている、うしろ姿は、香里奈だ。

 明かりは香里奈が手にした、懐中電灯だ。


(やっぱり、香里奈……)


 香里奈は誰かと話しているようだ。

 ボソボソとした声が、かすかに聞こえる。

 とすれば、カーテンの向こうに魔女がいるのか。


(まさか本気で、香里奈が魔女に願いごとを言いに来るなんて……)


 それは悪魔と契約するのと同じことなのに。

 でも、香里奈なら、やるかもしれないとは思っていた。

 香里奈は、いつも強気だし、怖いもの知らずだ。


 どんな願いごとをしてるんだろう?

 もちろん、神崎先生の彼女になること——なんだろう。それは、わかってる。


 むしろ、心配なのは、代償として何を支払うことになるのか、だ。


 どうにかして、聞きたい。

 二人の会話を。


 リーネは窓ガラスに指をかけた。

 そろそろと、ひらく。音をたてないようにあけるのには、かなりの慎重さが要求された。

 どうにか、一センチほど、窓があいた。

 でも、それで、じゅうぶんだ。

 声がもれ聞こえてくる。


「——いいだろう。おまえの夢を叶えてやろう。ただし、おまえの大事なものをもらうよ」


 変な声だ。かん高いくせに、妙につぶれたような。

 ヘリウムガスを吸って、むりに押し殺した声をだそうとしてるような。あるいは、ボイスチェンジャー?


 香里奈が緊張してるのが、うしろ姿からでもわかる。身体が、こわばっている。


「大切なものって?」


 魔女は、ぶきみに笑う。

「おまえの長い足……と言えば?」


 香里奈はスタイル抜群だ。とくに、外国人モデルみたいに長い足は日本人離れしている。女の子たちのあこがれだ。


 香里奈は怒った。

「ふざけないでよ。人魚が人間になろうとしてるわけじゃないのよ? 先生とつきあいたいってだけで、なんで、そこまでしないといけないのよ?」


「イヤなら帰りなさい」

「帰るわよ!」


 香里奈が小屋をとびだしてくる。

 が、カベに張りつくように身をひそめたリーネには気づかなかったようだ。そのまま走っていった。


 リーネは入れちがいに室内に入った。

 カーテンの向こうで、カタカタと音がしている。

 リーネが入ってきたことに、魔女は勘づいただろうか?


 リーネは、すばやく、かけより、さッとカーテンをとりはらった。魔女の正体をつきとめようと思ったのだ。

 しかし、遅かった。

 そこには、誰もいない。カーテンのうしろにも窓があった。魔女は、そこから出ていったのだ。


 あわてて、窓から外をのぞく。

 黒い人影が走っていくのが見えた。




 *


 翌日、学園は大さわぎになった。

 神崎先生が三年生と手を組んで歩いている。

 誰が見ても、教師と生徒の距離をこえて。


 演劇部の部長、雪村美輪だ。

 長い指が芸術品のように優雅な手の持ちぬしだ。


「雪村さん、魔女に会ったらしいよ」

「夢を叶えてもらったんだって」

「昨日の夜」


 まことしやかに、ウワサがかけめぐる。


 香里奈は同じ演劇部だ。主役をめぐるライバル関係で、あまり仲がよくない。

 遠慮なく、くってかかる。

「雪村先輩! 何してるんですか?」


 美輪は鼻先で笑った。

「見てわかんない? 先生はもう、わたしのもの。ねえ? 先生?」


 神崎先生は、あいまいに笑うばかり。

 なんとなく、熱でもあるみたいに、ぼうっとして見える。


「恋は早い者勝ちよ」

 美輪は、せせらわらう。


 リーネは見た。

 香里奈が悔しそうに唇をかみ、両手をにぎりしめるのを。


 そして、その夜。

 雪村美輪は死んだ。

 死体には両手がなかった。

 切断され、持ちさられていた……。

    

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