幕間 魔女の見る夢

幕間 魔女の見る夢 1



 その魔女に願えば、なんでも夢が叶う——

 そんなウワサが流れたのは、秋ごろ……。


 深い森の奥にある全寮制の名門女子校。

 美月リーネが、この学校に転校してきたのは今年の春。五月の末である。

 親が離婚したからだ。

 父は一代で起業に成功した、今どき流行らない仕事人間。母は育児放棄して若い愛人と逃げた。


 だから、リーネは、ひとりぼっち。


 お金だけは、ありあまるほど与えられ、中世のヨーロッパの城みたいな、この学校に捨てられた。


 閉鎖的な学校は監獄みたい。

 毎日が、つまらない。

 最初は、そう思っていたけど、友達ができた。


 白石陽菜しらいしひなだ。

 陽菜は、リーネが、これまで会ったなかで一番カワイイ女の子だと思う。

 黒真珠の瞳。赤いくちびる。

 桜の花のような、きゃしゃで、はかなげな容姿。

 アイドルみたいな美少女だ。


 きれいな子だなと同じクラスになったときから思っていた。でも、陽菜は優しく、ほがらかで、友達もたくさんいるし、地味で目立たないリーネのことなんて、気づいてもいないと思っていた。


 ある日の放課後、誰もいなくなった教室で、リーネは本を読んでいた。静かな教室に風の渡る音がひびく、この時間が好きだ。


 そのとき、陽菜が教室に入ってきた。忘れ物をとりにきたのだ。


「あれ? 寮に帰らないの? もうすぐ暗くなるよ——ええと、美月さんだっけ? 転校生だよね?」


 まさか、名前をおぼえてる生徒がいるなんて思ってなかった。おまけに、陽菜はリーネの顔をのぞきこみ、こう言ったのだ。


「わあ。美月さんっ、よく見ると青い目なんだ。キレーイ」


「えっ? そんなことは……」


「すごくキレイだよ! 空の色だね。カラコンなの?」


「違う。わたし、母親がヨーロッパ系だから」


「すごーい。生まれつきなんだ。いいなぁ。うらやましい!」


「うらやましいなんて……」


 美しい母とくらべられて、ずっと容姿にコンプレックスのあったリーネは、そのひとことで心をつかまれた。


「ね? これから、みんなでお茶会するんだよ。美月さんも来ない?」


 さそわれて、ついていった。


 お茶会というのは、ただ、寮の誰かの部屋に集まり、お菓子を食べながらオシャベリするだけ。


 たあいないことだけど、とても楽しかった。


 陽菜のおかげで、みんなの輪のなかに入っていけた。


 ばつぐんのスタイルの香里奈。

 透きとおるような白い肌の優美。

 日本人形みたいに、つややかな黒髪の摩耶まや


 こんな楽しい日々が、毎日、続けばいい……。


 そう思っていたけど——


 あの人が来たのは、六月。

 出産のため休職する担任の代わりに、若い男の先生が来た。神崎先生だ。

 それが、けっこう、カッコイイ。

 女顔にメガネをかけたクール系の美青年だ。


 男性に免疫のない女子校の女の子は、たちまち、みんな、夢中になった。


「ステキだよね。神崎先生。告白しちゃおっかなあ」

 なんて、香里奈は平気で言う。


 陽菜が優しく、たしなめる。

「やめなよ。生徒にそんなこと言われても、先生、迷惑だと思うよ」


 摩耶と優美は、だまって、うなずく。


「そんなこと言って。ほんとは陽菜も好きなんでしょ? 神崎先生のこと」と、香里奈は、からかうように言う。


 みんな、おしだまる。

 そのことは、全員、気づいていた。

 陽菜には好きな人がいる。

 たぶん、それは神崎先生。


 というより、リーネ以外のみんなが、多かれ少なかれ、神崎先生に好意を持っている。


 それはクラスのほかの女子にも言える。


 だが、陽菜は美しさで目立つ女の子だ。

 女王さまの陽菜に、みんな遠慮している。

 あからさまな態度に出る子は少ない。

 せいぜい、いい成績で目立とうとしたり、反対に赤点をとって、かまってもらおうとしたり。


 神崎先生はクラスじゅうの女の子に、そんな目で見られてることを知ってるんだろうか?


 どの子にも平等に優しい。


「ねえ、先生。見て。日曜、髪切ってきたよ。似合う?」と、陽菜が言えば、

「ああ。とても似合うね。可愛いよ」と答える。


 でも、そのすぐあとに、

「香里奈、足、長いなぁ。制服が超ミニに見える」

「カッコイイっしょ?」

「ああ。カッコイイ」と言う。


 誰に対しても、そんな調子。


 神崎先生は自分がイケメンだということを知っている。


 だから、誰にも本気で相手をしてないような気がする。


 そんな、ある日のことだった。


 放課後。


 西日が金色に燃える教室で、リーネは、その話を聞いた。


 いつものように、陽菜、香里奈、摩耶、優美がいっしょにいた。


「ねえ、知ってる? 夢を叶える魔女の話」


 言いだしたのは、優美だ。


 別のクラスに中学が同じだった友達がいるらしい。その子から聞いたのだという。


「魔女? 夢を叶える?」


 そくざに香里奈は食いつく。


「なに? それ? 教えてよ。優美」

「うん。森の奥に山小屋あるでしょ? あそこにね。月の明るい真夜中に行くと、魔女がいるんだって。それで、お願いすると、どんな夢でも叶えてくれるらしいよ」


「どんな夢でも……」と、つぶやいたのは、摩耶。


 優美は、うなずく。

「でも、かならず会えるわけじゃないみたい。まわりに人がいると現れないんだって」

「ふうん……」

「やだ。なんか怖いね」と、陽菜は言う。


 しかし、ふだんは無口な摩耶が首をかしげながら口をひらく。今日は口数が多い。よほど、魔女に興味があるのか。


「……どんな夢でも叶うんなら、みんなは何を願う?」


 そくざに、香里奈が叫んだ。

「あたしは、もちろん、神崎先生の彼女になること!」


 ギョッとして、リーネたちは、香里奈を見る。

 香里奈は自分が起こした波紋を楽しんでいるようだ。


「……やめなよ。香里奈」と、弱々しく優美がささやく。


 だけど、香里奈は聞かない。

「今夜、行ってみようかな。みんな、ジャマしないでよ? 一人じゃないと魔女には会えないんだもんね?」


 優美があわてた。

「あっ、でもね。こんなウワサがあるよ。どんな夢でも叶えてくれるかわりに、魔女に何かをさしださないといけないんだって」

「えっ、なにそれ?」

 香里奈も、ちょっとだけ顔色を変える。


「人魚姫の魔法みたいに。魔法の代償に、魔女が求める何かをさしださないといけないんだって」

「気持ち悪い」と、おおげさに摩耶が顔をしかめる。


 思わず、リーネはつぶやいた。

「黒魔法だね」


 香里奈が、リーネをふりかえる。

「黒魔法って?」

「悪魔と契約をかわすことで願いを叶えてもらう魔法のこと。たぶん、その魔女の使ってるのは、そういう魔法なんだと思う」

「なんで、そんなこと知ってるの?」


 リーネは一瞬、言葉につまった。

 とまどったことを必死にかくす。

「……予習したんだよ。今度の世界史のテスト、中世ヨーロッパだから。宗教と文化が出るって、神崎先生、言ってたよね?」


 香里奈は、うなずいた。

「そうだったね」


 優美が不安そうな声をだす。

「ねえ、香里奈。危ないことは、やめてね? こんなこと話さなきゃよかった」

「大丈夫だよ。一生、声が出なくなったり、魂をとられたりするのは、イヤだもん」


 それで、話は終わった。

 少なくとも、そのときは。

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