第39話

 黙々と、ただ黙々と。

 運び込まれる報告書との格闘に忙殺され続ける数日間。

 レディース鉱山の魔物魔獣の大移動に始まった今回の事態が、まさかこれ程まで騒ぎが広がるとは誰が予想できたであろうか。

いくら頑張っても減るどころか増え続ける積み重なる報告書類の山々に嫌気が差し、自分以外の者を締め出したというのに・・・


「・・・それで?急ぎの事柄以外持ってくるなと伝えてあったはずだが、今度は何だ?鉱山から噴火でもしたか、それとも魔王が頭でも下げに着たのか?言ってみろ、ザイガル」

「その様な事は一切ありませんが、良い具合に荒れておられますなイグレシア様。その経験は得がたくとも尊き物ですから、大事になさってください。ほっほっほっ」


 不敬罪を恐れる事無く受け答えをしたのは、執務室へ入ってきたザイガル・アートライトだ。彼は帝都レディースレイク第一皇子イグレシア・レディース・レイクに仕える執事で。見方を変えれば愚痴を吐けるほど信頼を置いているとも受け取れるのだが、流石に今の言葉は度が行き過ぎているようにも聞こえる。

 ところが激高する訳でも、不敬罪を言い渡す訳でもなく、まるで軽い挨拶のように話を流した。


「少しは私の嫌味に反応してくれてもいいだろう」

「ほっほっほ。日々経験を詰まれていくイグレシア様を観察するのがこの爺の楽しみなゆえ、からかいはしても邪魔になるような事は致しません」

「ったく・・・お陰で少し冷静になれた、感謝する。それでいったい何か起ったのか報告してくれるんだろう?」


 ふっほっほと満足げに相槌を打ちながら一枚の紙を取り出す。

 差し出された紙は指名手配書。指名手配犯の名に、パティーン・ネクドロスとある。記憶が正しければ、我が騎士であり聖騎士のトリスタントからも、相当な実力者だと聞いている犯罪者だったはずだ。

 これがどうしたと顔を上げると。


「その指名手配されていた者が掴まりました。それも生け捕りで、です」

「なんだと!?」


 そんなことが有り得るのかと、机から思わず身を乗り出した。

 聖騎士殺しの実力者のはずだ、生きて捕らえられたなど奇跡としか言いようが無い。まさか、四公爵と供に行動しているトリスタントが偶然にも捕らえたのであれば納得もいくが・・・


「例の調査で外周街をあたっていた近衛が、巡回中魔力の異変に気付き向ったところ、既に瀕死の状態で倒れていた。と、報告が上がっておりますな」

「・・・どういうことだ。魔物か魔獣の大移動にでも巻き込まれたとでもいうのか?」

「詳細は現在不明。今は牢獄で本人の回復を待ち、事情を聴取後、しかるべく手順を踏んで処刑される予定となっております。もしくは外交の手札とする方法も一考の価値ありかと」


 帝都レディースレイクだけではない。隣国にも手配書が配られているような大物なのだから、当然懸賞金も多く、得られる栄誉は他と一線を画す。それらを全て放棄してしまうような欲の無い者が存在する等、理解できない。


「話は分かった。それだけ―――ではない、ようだな」

「ほっほっほ、お察しいただけるとは嬉しい限り」


 嬉しい報告だけにしてくれよと崩れ落ちる。

 小出しにするつもりは全く無かったが、眉間によっていた皺がなくなったのを見ると、これはこれでよかったとザイガルは思った。


「今の話に関連があるかもしれないと思いましてな。東の森に位置する生活路にて、星六つの魔獣が討伐されたのです。・・・表向きは」

「やけに遠まわしに言うな?」

「伝え方の一つだと思ってくだされ。ここからが面白い話でして、星六つの魔獣をなんと冒険者が一人で討伐したようなのです」

「ん?星六つだろう?確かに珍しいが聞かない話でもないだろう。力がある者であれば考えられなくもない話だ」

「おっしゃるとおり。ところが調査した結果、驚くべき事に亡骸から定すると星六つではなく、星八つ級にまで成長していた可能性がある、とあります。更には、傷一つ負うことなく倒したとも、ふおーっほっほっ」

「・・・その者の名から、所在まで全て調べがついているんだろうな?」

「不明との報告です」

「は?」


 一瞬で沸いた怒りから出た声。

 今までに溜まっていた精神的疲労からか、考えが追いつかなかったというべきか、ただただ素で返してしまった。


「目撃した近衛の話では、早々に立ち去ったと」

「その近衛を呼べ、今すぐにだ」

「短絡的になるものではありませんぞ。彼らを呼べばどうなるか目に見えておりますので、お断りいたします」

「ふざけるのもいい加減にしろ!!何処の近衛か知らないが、そんな実力者を野放しにするなど許されることではない!大体目星はついていないのか、それだけの実力者など数が知れているだろう!」

「ほっほっほ」

「笑って誤魔化そうとするなザイガル!私はこの数日間で我慢の限界に来ているんだ、いくら小さい頃からの付き合いであろうと限度がある!」


 響き渡る大声は、執務室だけに収まりきらず、廊下へと伝わるのは必然。

 再び身を乗り出し凄い形相で問いけるが想定内だった。既に根回しは済んでおり、外で控える近衛らは驚きはしても中に入ろうとしない様子から、どれだけザイガルという人物が信頼されているかが伺える。

 だが、当人はそうはいかない。八つ当たりと言うべき怒りが向けられているというのに笑顔を浮かべ続けられたらどうなるか。簡単だ。


「出て行け!!助けを期待した私が馬鹿だった!!二度と顔を見せるな!!」

「いいえ。出て行きません。顔も何度も見ますとも」


 煽る。徹底的に煽る。今まさに血管がブチッと音をたてて切れるような瞬間まで徹底的に。

 だが、最後の一線は越えさせない。


「今の願いが叶うのは、自身がお役御免か、死別した場合と決まっておりますので」

「ではどうしろというのだお前は!!頼れるお前は助けてくれないし!愚痴を言いたくとも、トリスタントは不在!上がってくる報告書の内容は無茶苦茶!だというのに、次から次へと問題だけが湧いて出てきて、責任だけは全て私が取らねばならない!逃げ場なんて何処にも無い!」


 それを自身で選んだのではないか、という返しはあえてしない。


「それらを何と言うか知っておられますか?」

「理不尽に決まっているだろう!!!」

「その通りです。だからこそ、今は理不尽を精一杯味わっていただきたい」

「なっ!?」


 失われた言葉。それは、何を言われた。違う、何を言っている。だ。


「そう遠くない未来、イグレシア様は然るべき立場になられることでしょう。その時も今のように不満を荒げ、自分以外に責があると声を上げるつもりですかな?」


 スッと耳に入ってきた優しくも力強い声が、困惑、戸惑いを生み。あれだけ怒りが支配していた心に堂々と、まるで初めからそこに入る余地があったかのように座り込んでゆく。


「断言いたします。この先も様々な理不尽が訪れるのは間違いありません。それでも・・・どんな状況でも、イグレシア様は臣下に、そして大衆に、示し続けなければならなくなる」


 意味が分かるのに何も言えないのは、言い返せないだけの意味が込められているから。


「だからこそ今が良い経験なのです。ここで手前が手伝えば、イグレシア様が理不尽と戦う機会を奪ってしまう。だからこそ理不尽と正面から向き合い、答えの無い問いに考えてくだされ」


「・・・意味を分かりたくない」

「考え続ける事に意味がある、とでも申し上げておきましょうか。それと誤解の無いよう弁明しておきますが、手前はイグレシア様から声を掛けていただいていれば、断りはしても影ながら支える心積もりでしたぞ」

「どちらにしても助けてはくれないのか!?」

「いえいえ。成長を妨げるようなことがあったら、という前提にはなりますが・・・そうですな、そこに山積みになっている報告書とも呼べない物は、激減していたでしょうな」

「それでも少しは積まれるじゃないか!」

「幼子は、何事も手に取り口に入れ経験し、成長していくものです。それに・・・」

「・・・それに、何だ?」

「いつでも助力があると思っておられる驕りは、矯正する必要があるとも思っておりましたのでな、良い機会かと。ふぉっほっほ」

「こんの!」


 いつの間にか彼らの間にわだかまりは消え去っていて。

 先程まで雰囲気が嘘のように会話が進む。

 しばらくの後、外で親子以上の親子喧嘩を体験していた者達は、雰囲気が変化したことに、一斉に胸をなでおろしたという。

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