第35話

 庭の手入れは想像以上に体力を使う。いくら手馴れている庭といっても見渡せるほど広く、奥行きだってある。とてもじゃないが休憩を抜きにしては語れない。

 丹念に整えられた花壇を見渡すと、水滴の付いた葉や茎、色とりどりの花が光を浴びて元気に輝き、土からは生命力溢れる生の息吹が感じられる。

 そこへ一陣の優しい風が訪れると、椅子に座り休憩しているユーティリアを優しく撫でた。汚れを落とせば光り輝きそうな美しく長い髪。そこにくっついていた葉っぱを風が何処かへと運んでいった。


「どう謝まったらいいのかな・・・」


 机に置かれている剣へと手を伸ばし、鞘を撫でながら思う。

 あの夜、交わした約束の日。それが今夜。

 何もかもが自分の我が儘だと自覚しているつもりだった。せめて借りたものは丁重に扱わなければと考えから手入れの方法を調べ。途中で何度も、アナシアに止められても無理を言って最後までさせてもらった。磨いている内、とても綺麗な細工が細部まで施されていた事に驚き、剣本来の手入れの難しさや鞘の意味を知り、最後にはあの人がどれほどこの剣を大事に扱っていたかを悟った。そして自分の愚かさも。

 許されるのなら謝りたい。あの人に。

 他にも、どういった経緯で忘れてしまったのか、表だって取りに来られない理由は何なのか、分からないことだらけ。

 本当に何者なのだろうか。

 突然現れ、風のように去っていったのを思い出す。


「そういえば、名前も教えてもらえなかったなぁ・・・」


 不審者と言い切ってしまえばそれまでだけど、ユーティリアはどうしても彼が悪い人間だとは思えない理由があった。

 王宮に忍び込んでまで見つけた探し物なのだから、どんな状況であろうと持ち去ると考えるのが普通だというのに、自分の言い分を聞いた上で待ってくれたのだ。花々にも乱暴せず、困ってさえくれた。

 それだけではない。仮面越しに見えた目は、優しいながらも力強い生を感じられ、不思議と惹かれる何かが感じられたのを覚えている。

 声だって―――


「ユーティリア様、どうかされましたか?」

「へ・・・」


 意識の外から聞こえて来た声に跳ねる心音。

 茶葉の良い匂いが鼻を擽ると、お茶の準備をしてくれたのだと気づく事ができた。

 こんなに近くで用意してくれていたというのに、全く気付けなかっただなんて、思いの他深く考え込んでしまったようだ。


「ありがとう、アナちゃん。いただくね」


 と、声をかけたのだが視線が合わない。

 どうしたんだろうと思い視線を辿れば、いつの間にか抱きしめるように持っていた剣へと視線が向けられているのに気付く。


「前々から気になっていたのですが・・・。その剣、どうされたのですか?」

「とても大事なものなの。無理を言ってお借りしたのだけれど、今思えば随分と迷惑な事をしてしまったのかなって、その、どう謝ったら返したらいいのか分からなくて・・・」

「借り、た?」


 今ユーティリア様は何て言った?

 とても大事な物を、誰か、にお願いをして借りたと言ったのか?

 誰かとは誰だ。


「あ、あ、ぁあの!ユーティリア様!?そ、その大事なものとは、と、とと、とっと殿方から、お借りしたものなのですか!?」

「そう、なるのかな・・・」

「っ!?(ついにきたああああああああああ!?)」


 身体を衝撃が走るというのは、まさにこのこと。

 長年仕えてきて初めて初めて聞くユーティリアの色恋話。待ちに待っていた、まさに歓喜と言う訪れにアナシアの心拍数は跳ね上がる。

 焦りを見せてはならない。状況を整理しなければ。アナシアは過去に類を見ないくらい脳を全力で働かせ、言葉を選ぶ。いつどこで誰と出逢った、経緯やユーティリア様の心の内はどうなのか。それよりも今は、現状を把握すべきか等。あふれ出る情報量を必死で抑え込み整理していく。

 ずっと自然体で流されつづけてきたからこそ。自ら話しかけてくれている今、逃す手は断じて無い。否、絶対に逃さない。

 この機会は千載一遇。たとえ恋が成就しなくとも、身分や別の何かの理由によって阻まれようとも、ユーティリアが変わる切欠になる可能性を秘めているのだから。


「やっぱり、アナシアも怒るよね・・・」

「・・・・・・」


 突然静かになったアナシアに声をかけたのだが反応は無言。怒るのも当然だとユーティリアは捉えてしまい落ち込んでしまう。

 実際のところ、全力で脳を働かせているアナシアには、聞くだけの余地が無いだけの話であって、結果無反応となったというだけの話なのだが分かるはずも無い。

 だが何の悪戯か、それだけでは終わらず、庭の手入れで付いた汚れが僅かに剥がれ落ち、ユーティリアの瞳へと入ってしまう。

 汚れを瞳から追い出そうと大粒の涙が出るのだが、偶然からも勘違いというものは生まれるもので・・・


「っぁ・・・」

「ユーティリア様、どうされ―――!?」

「だ、大丈夫。気にしないでいいから」

涙がそれほどに恋焦がれて!?」


 本日二度目の衝撃が身体を走ったと同時。湧き出た断片的情報がどういう訳か、アナシアの頭の中で、完璧に間違った方向へと組み上がった。

 アナシアの導き出した答えとは・・・

 経緯や場所等不明ではあるものの、ユーティリア様は運命の人と出会った。もう一度会いたいからという理由から、相手が大事にしている刀を無理を言って借りたまでは良かったけれど、今思えば淑女として恥ずべき行為と気付いたが時既に遅し。もう一度逢って返したいたいが、恥ずべき一面を見せてしまった異性と、どうし接したら良いか分からない。それも涙が出てしまうほど恋焦がれてしまっている。そう結論付けたのだ。


「・・・そういうことでしたか」


 今こそ、帝都レディースレイク第三皇女ユーティリア・レディース・レイクの侍女としての真価を問われる時。全身全霊を持って応えるべきなのだと覚悟を決める。

 アナシアの両目に凄まじい力と言うべき光が灯り、両拳は硬く堅く握りこまれた。


「ごめんね、アナちゃん・・・びっくりさせちゃって、もう大丈夫だ汚れは取れたから・・・」

「なりません」

「え?もう汚れは―――」

「心配しないでくださいユーティリア様。このアナシア、例え処刑台に送られようとも一切口外いたしません。侍女としてだけではなく、一人の女としても支えさせていただきたく思います」

「な、何を言っているのアナシア?確かに悪いのは私だけど・・・」


 確かに無理を言って剣を借りたのは事実。だからと言って、命を取られるような罪には当たらないはず。

 どういう意味か問おうとしたが、続く言葉に問う気を削がれてしまった。


「その剣を手にされた経緯やお相手様の事は心の内に秘めておいたままで結構です。ですが、そのお悩みに対し解決できる用意があります。微力ながらではありますが、お力添えを許していただけたら・・・」

「本当に!?本当にそんな方法があるの!?」

「もちろんでございます、ユーティリア様」


 やはりだ。

 真意はここに有りと、アナシアは確信した。

 答えは既に用意できている。ただしそれには、ユーティリア様の協力が必要不可欠だが、この流れならいけると踏んだ。


「ただし、ユーティリア様には、相応の覚悟と準備をしていただきます」

「準備と覚悟・・・。うん。やっぱり必要、だよね・・・」

「そうです。ところでまだ聞いておりませんでしたが、次にお会いになられるのはいつなのでしょうか?それに合わせて用意いたします」

「っ・・・」


 ここへ来て躊躇うユーティリア。

 だが、その躊躇いさえ見抜いてしまうほど、アナシアの洞察力は研ぎ澄まされていた。


「まさかとは思いますが、今日・・・でしょうか?」


 返事は無い。だが、申し訳なさそうに、コクリと小さく頷きつつの一言。


「・・・夜に、その・・・約束が」

「大丈夫」


 力なく答えるユーティリアに対し、目を見て不安を与えぬよう、もう一度力強く応える。


「大丈夫です。夜ならば十分に時間が有ります、どうかご安心を」

「アナシア・・・」

「この日この時この為に侍女がいるのです。このアナシア・リンドヴェルにお任せください」


 本当は嘘だった。

 腕に自信があるとしても、用意に一日も無いというのは正直辛い。だが今応えずして侍女を名乗れるものか。主が初めて見せてくれた思いに全力で応えてあげたという一心が、今のアナシアの思考能力を賢者と謡われるまでに跳ね上げ、瞬く間に無数に描いた選択肢の中から答えを導き出した。

 現時刻は、まもなく昼食の準備ができる頃合。

 残り時間は、今から夕食までが勝負。

 勝算はある。

 女の生命線と言うべき髪は伸ばし放題でも艶やかさを保ち、手を加えるだけでいくらでも化けるうえ。肌も日の光を十分に浴びて美味しそうな健康色。普段着に至っては、庭の手入れを重視したものを好んで着られているので、だらしなく見えているだけの事、服の内に隠れている女性の象徴の破壊力は計測不能と言っても過言ではない。そこへ庭の手入れで絞り込まれた体の線を強調するような衣服を合わせれば、もはや魔性を超え、女性に許された領域さえ超えていくと想像に容易い。

 本来ならば、十二分に準備をさせてあげたい。

 だがそれを成す時間は、悲しいかな与えられていないのだ。

 ユーティリアの持つ潜在能力は、不可能を可能にするだけのものを秘めている。であれば、目標が現れるまでに、どれだけ潜在能力を引き出すかが勝負の分かれ目。


「これは腕の見せ所ですね、フフフ・・・」

「?」


 思わず出た呟きに首を傾げる主がどこか可愛らしく見えたが、既に勝負は始まっている。心を鬼にし、如何なる抗議も無視して押し通す。


「早速ですが、ユーティリア様。湯浴みの準備をして参りますので、しばしお寛ぎくださいませ」

「湯浴み?いったい何を言っているの?」

「決まっているではありませんか。ユーティリア様の魅力で、目標をメロメロにしてやりましょう」

「めろめ・・・え?ちょっと待って!?どういうことなの!?」


 意味が分からず抗議の声を上げるユーティリアであったが既に遅し。闘志に火が付いたアナシア・リンドヴェルはもう止めれられない。


「時間がありません直に行動に移らせていただきます。湯浴みが終わりましたら整髪して、着替えのドレスは殿方の劣情・・・お心を鷲掴みにするような素敵なものどエロイを選びましょう。時間の都合上、一から仕立てられませんが、既存の物を上手く活用すれば。それから・・・」

「今劣情って言わなかった!?それに素敵なものの聞こえ方がおかしいわよ!?」

「恥ずかしがらなくともよいのですよ。全てこの侍女にお任せくださいませ」


 振り返れば、物凄い形相が目前に迫り。 


「待って!話を聞いてアナちゃ―――」

「聞いてます聞いてますとも。期待してお待ちください」


 物凄い力で背中を押される。

 言葉からも、背中に振れている手の平からも、伝わってくる本気。鬼気迫るアナシアの態度が、これ以上のユーティリアの抵抗を許させなかった。

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