アルマナイマ博物誌 雷鳴を彫る

東洋 夏

第1話

 ジプは見かけよりもずっと頑固な男であった。

 彼の仕事場はハナハイ島の尾ノ山の奥。

 慈雨滝がどうどうと流れ落ちる音が間近に聞こえる辺りに二十年来据えられている。

 ジプの腕の良さを知っているセムタムたちはひっきりなしにやってくるが、その度に、こんなに海から遠い場所に暮らしていては気が狂ってしまうのではないかと、要らぬ心配をされるのだった。

 セムタム族は海の民だし、ひとところに居着くのも苦手である。

 ただ、ジプはそうではない。

 彼は天から落ちた水滴が、地を流れ、海へと向かうこの聖なる場所を愛している。

 故に、セムタム族のなかでも変わり者のひとりであると認識されていた。

 ジプは評判など気にしない。

 彼は彼の、神に捧げるべき尊い仕事を、喜んで承る身である。

 ジプの仕事はオルフ彫り。

 セムタム族が成人となった証を、あるいは成し遂げた勇気の証を、誇り高い海の民の日焼けしたその体に刻むのだ。



 ジプの仕事場を、彼よりもさらに変わり者だと言われている二人組が訪問したのは、早朝だった。

 山霧がやっと晴れたころで、ティコの花の鮮烈な赤い花弁に朝露が乗っていたのを覚えている。

 その時ジプは、滝の側に生える野草を摘んでいたのだった。

 レノレノという渦を巻いた草は、川魚や獣肉の臭い取りになる。

おはようエンダ

 ジプが挨拶すると二人組は胸に手を当てて、同じように返した。

「珍しい客が来たもんだな」

「ドクがどうしてもって聞かねえからだ」

「殊勝な心掛けじゃないか。どうしたトゥトゥ」

「どうもしねえよ」

 ふん、と鼻を鳴らしたのは、大柄な青年である。

 他のセムタムより頭一つは大きい。

 黒から赤へと移り変わっていく風変わりな髪を、ゆらゆらと風に遊ばせている。

 斜に構えた姿勢は、相変わらずだった。

「すみません、朝早くから」

 トゥトゥの横に立った女性が、律儀にそう謝る。

「いいや、ドクター・アム。あなたのような面白い――龍に愛された身に彫るのは光栄です」

 ジプが笑うと、女性はほっとした様子でにこっと笑い返した。

 敵意も打算も無い、セムタム族らしい笑顔。

 肌の色と筋肉の付き方は異なっているが、心はちゃんとしたセムタムの成人アカトであることが伝わってくる。

「さあ、立ち話も何だ」

 こちらへ、と促すと、ふたりは周りを興味深そうに見渡しながら、ゆっくりついてきた。

 作業場は小石の多い川原が草原になり、一足飛びに密林になっていくその境目に建てられている。

 ホピの葉で編んだ屋根を、同じくホピの木の太い幹で支えてある。

 柱の数は九本。

 神に捧げるに一番ふさわしい数。

 作業場の真ん中には天蓋のように布が垂れ下がっている。

 彫られる姿を他人に見られるのは恥であるから、作業台の周りを覆ってあるのだ。

「さて」

 海藻繊維の円座に客ふたりを促し、ジプは薬草のお茶を淹れる。

 尾ノ山で取れる薬草には鎮痛作用があった。

 これもまた、ジプが作業場をここに定めた理由のひとつ。

 冷たい水で出した薬草茶を渡すと、ふたりはほっとした顔で口をつけた。

「今回はどのようなオルフを彫るのだ」

「サメを獲った。ふたりで」

「ふむ、初めてか」

「ドクは初めてだな?」

「ええ、はい」

「因縁の品は持ってきたか」

 トゥトゥがズミックのポケットから出したサメの牙を八方から観察し、ジプはその牙に込められた物語を感得する。

「龍の、<数え切れぬ音を持つ泡イムサプルパ>の事は織り込むのか」

「いや。あいつとは引き分けみたいなもんだから。それにあんまり……」

「思い出したくないんだな」

 ぷ、とこらえきれない笑いがドクター・アムの口から洩れた。

 トゥトゥがその脇腹を肘で小突く。

「相分かった」

 ジプは二人の円座の前に白い砂を敷く。

 そこに、杖でオルフの模様を描いて見せる。

 サメの牙を表すのは、やや斜めに傾いだ三角形の連続模様。

 その上下に線を引く。

「天か海か地か」

「天を」

 上下に区切られた空間の、下向きの三角形の部分には天から走る稲妻を入れる。

 これはオルフが<黄金の王>アララファルを称えるものだという意思表示。

 海の眷属であるサメを、<黄金の王>の従者が打ち負かす。

「どこに彫る」

「右腕」

 肩甲骨に差し渡して彫るオルフは成人の証。

 それ以外のオルフは、それぞれ彫り込む位置で意味合いが変わった。

 右腕は大きな獲物に打ち勝った証であり、次も負けないという気合が込められている。

 見慣れぬものを手に持ったドクター・アムが、目を輝かせてその図像を写し取っていた。

「それは何だ?」

 ジプが尋ねると、

「ええと、私たちの言葉でメモ帳とボールペンと言います。記録を取るために使うのです」

「すげえどうでもいいことも書いてある。俺がどうクソをするかとか」

 茶々を入れたトゥトゥを、ドクター・アムがひと睨みした。

 肩をすくめるトゥトゥ。

「だがそれは便利そうだ。それが、あなたたちの文字なのか」

「アルファベットといいます。これがOrf(オルフ)」

「随分と我らの文字ハウライとは違うものだな。刻むのに苦労するだろう」

「ええとその、私たちはオルフの文化を持ちません」

「ほう。なれば、どのように成人であるとわかるのだ」

「そうですね、大抵の人々は年齢によって」

 ここでトゥトゥが鼻を鳴らした。

「言っただろジプ。余所者は歳をくったら大人になる。だからカヌーの扱いも、星の読み方も、龍の見分け方も、正しい神話も知らねえんだよ。――さあ、もういいだろ。先に進めてくれよ」

「そうだったな」

 トゥトゥの拗ねたような言葉に、ジプは苦笑する。

 明らかに、ドクター・アムがジプと盛り上がったのが気に食わないのだった。

 この跳ねっ返り青年の事は幼少期から知っているが、ここまでやきもち焼きになるとも、ドクター・アムと仲良くなるとも想像がつかなかった。

「では、どちらからやろうか」

 トゥトゥが口を開くよりも先に、ドクター・アムが挙手する。

「あっ、またドクはそうやって先走る!」

「だって痛いの待つの嫌じゃない」

「俺だって嫌だよ」

「でもトゥトゥは慣れてるでしょ。私は成人の証以来だもの」

 うむう、と唸ったトゥトゥが複雑な表情で黙り込んだ。

 ジプはにやにやしながらふたりの攻防を見ていたが、勝負ありとみて口をさし挟む。

「ではドクター・アムから。終わるまでトゥトゥは好きに遊んでいればいい」

「言われんでもそうする」

 やや肩を怒らせながら大股に出て行った青年を見送ってから、ジプとドクター・アムは顔を見合わせて、ふと笑った。

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