幸福な人

人新

第1話 気づく

 ある冬の日だった。私は互い社会人になって五年目の旧友に会わないかと言われた。無論、断る理由もないので私は快諾し、待ち合わせは二日後のよく行っていた鉄板焼き屋となった。

 その日は冷蔵庫の中で扇風機を使ったように、気温が低かった。

 手はかじかみ、筋肉は微々たるにがけいれんしていた。それでも、どうしてか僕は寒いとは思わなかった。それはきっと、考え事をしていたからだろう。三日前の隣クラスの生徒の自殺のことを。

 しばらくして、友人は駆け足ながらやってきた。ここから見えたその像というものはあの頃と何も変わっておらず、そのことが私に特殊な安堵を感じさせた。

「久しいな」

 友人は言う。

「その通りだ」

 僕も答えた。


 店内は人がやけに少なく、閉店の時間が近づいてるのかと感じた。それでも、店に入ってすぐの処に、ラストオーダーは24時と書かれていた。現在は22時なので、問題はない。

 僕たちは奥側の壇がとれる場所を選び、そこに座り込み、あの人変わらない注文をした。

 急な冷暖差があってか、少しだけ疲れがたまり、あくびを誘う。

「そういえば、教師はどうだ?」

 彼は提供されたおしぼりを年増のように顔をぬぐう。

「まぁ、何とかやっているよ。それに運よく、理系クラスは聞き分けのいい子が多くてね、助かってるよ」

「それはよかった。俺なんか、お前と共に数学科に出たのに、情報系企業だぞ。プログラミングに至っては、やってきたやつとやっていないやつの差が激しくてほんと困っているよ」

「それでも、君はどうせ余裕なんだろう?」

「三分の二は正解と言えるな」

 彼がそう言うと、机にジョッキが二本提供された。

「さてさて、久々の再開乾杯と行こうか」

 友人がグラスを掲げたので、僕もそれに倣い持ち上げる。

 グラスがぶつかり合い、独特な接触音が店内を小さく響かせる。それは除夜の鐘のように深い意味があるように感じられた。

 僕も彼も共にジョッキに口をつける。彼はなかなか、豪快に飲むが僕は昔からアルコールには強くないのでちびちび飲む。空の胃には少しずつ液体が満ちていくのを感じる。

「そういえば」

 半分ほど飲み干した彼は飲み方とは対照に丁寧にグラスを机において、話を展開させた。

「お前の高校で確か、自殺があったっていうニュースを聞いたんだが、本当なのか」

 僕はその問いに対して、少し答えを遅らせた。

「本当だよ。しかも、僕が教えていたクラスだった。よく顔を見知っている子だったよ。成績は常に上位だった」

「どうして、自死したんだろうな」

「さすがにそこまではわからないよ。メディアは色々な憶測を立てているけど、そんなの本人以外正確に知っている人なんかいないよ」

「親友でもか?」

 彼がどうして、親友でもかと言ったのかはわからないが、僕は「そうだ」と答えた。


しばらくして注文の品が来た。匂いは鼻が詰まっているためか、よくわからなかったけど、見た目からしてどのような匂いかを思い出すことができた。

「懐かしいな。君は確か、青のりを大量にかけて食べるのが好きだったんだよな」

「よく覚えているね、その通りだ。鰹節はどうも嫌いでね」

 僕は彼の言ったとおりに、青のりを大量にかけた。

 そして、僕らはそれから黙々と箸を進めた。

 結局、僕らは食事を終えるまでは一切話はしなかった。僕が思う彼は沈黙が嫌いな人間だと思っていたため、なんだか少しむずかゆい感覚に侵される。

「なぁ、人は死んだらどこに行くんだろう?」

 彼はようやく口を開いた。

「わからないね。けど、僕はまたおんなじ人生が繰り返されているような気もするよ」

「それなら、くそくらえだな」

「まったくだ」

 彼はジョッキを飲み干し、二杯目を注文した。

「いきなりだけどさ、俺はな。別に自死することは悪いとは思っていないんだよ。だって、自分の生命の保持者はあくまで自分なんだから。それにいちゃもんつけられたらたまったもんじゃないだろう。けどさ、人は生まれながらして疑問と探求心を持つんだよ。だから、人が死んだという事実を他人であろうと鵜呑みできないんだよ。そんな抽象的事実じゃ、納得いかないんだよ。だから、多くの人間が身もないような憶測を立てたりする。ひどいときなんか、断定するんだぜ。けど、俺もそうなんだ。人が死ねば、考える。特に俺はひどく深く考える。そこらの知識もないような同期の人間なんかと比べられないくらいに考えているんだ。けどな、いくら考えたって、全く分からないんだ。どうして、自分を殺せるのかって、その勇気と呼ぶべきものはどこで発生するのかって。俺には一切わからない。よくよく、遺書なんかを残して死んでいく人もいるけど、遺書なんかあてにならないんだ。記録と記憶は明らかに違う。感じているものを完全に文章で表現するなんて不可能なんだよ。けど、そこはどうでもいい。なにより俺を気持ち悪くさせるのはそんな遺書でなくそれを見て泣く赤の他人だよ。俺にはどうしてもわからんね…」

 酔いが回っているのか彼は急に饒舌になっては沈黙になった。

 今思い返せば、彼はそれほど酒は強くなかった。

「なぁ、お前はさ、どう思う」

「なにがだ?」

「死んだ後の自分」

「死後の世界ってことか、それならさっき…」

「違う、違う。死んだ後の扱いだよ。例えば、君の学校で死んだ生徒とか」

「あぁ、そういうことか。なら、静かにしておいてほしいね。死後も干渉されるのはさぞかし気持ちが悪いことだろうし」

「そうだ。その通りなんだ。死後も囃子立てられるのは嫌だもんな」

 彼が妙な納得をして頷くと、またジョッキが来た。

 そこからは、彼はそのジョッキを飲み終えるまで口を動かすことはなかった。

 しばらくして、23時と少しして、彼は帰るかと言って、立ち上がった。無論、見ただけで足取りがすくんでいることはわかったので、肩を貸す。

 外に出た時、冷たい風がすべての感情を払拭した。

僕らは味気のない街灯の下を歩いていき、機械的な感情しかない駅を目指した。

その途中では、会話らしい会話はなかったが、でもその会話のほうがよっぽどあの店で話していた時よりかは会話っぽかった。

 ようやくにして駅に着き、僕は介護が必要かと聞いた。けど、彼は大丈夫だといい、そのまま改札へ歩いていった。

 最後に彼は僕にそれほど大きくもなく、小さくもなく、また抑制もない、淡々とした言葉を話した。

「お前が、本当に羨ましい」と。


あれから二か月して、友人は死んだ。自殺だった。異例なる銃自殺で、ヘミングウェイのように死んだらしい。

そのことはニュースで大きく取り上げられた。彼は自殺するような奴ではなかったとか、彼は自殺と見せかけた他殺で死んだのだとか。多くの人間が、多くの推察をしていた。

そして、彼らが結局にしてたどり着いたのは『どのようにして銃を手に入れたのか』だった。

僕はその時ようやく彼の言っていたことが身に染みてわかった。たどり着けない結論に、無意味の過程。そして、自分がいかにこの世界を生きやすい人間であるかということに。


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幸福な人 人新 @denpa322

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