JK侍必殺剣

開かれた障子戸の向こう、見上げる空には月が昇っている。

薊は、山城の天守に座り込んで、夢と現の狭間をさまよっていた。

身に着ける鎧は二日前の戦いから変わらず、砕けた胸の隙間には、一筋傷の残る肉塊が、ぼんやりと光を放っている。

ちらりと正面を見やれば、部屋の反対側に、鎖に繋がれたひたきが座り込んで眠っている。


「あんたは、なんで信じられた。」


そう言って、手にした仮面をそっと撫でる。兜に備えられていた不動とは違う、簡素な造りの仮面。今の薊には小さなそれを。


――生まれてからの十数年、欠かさずに身に着けていた仮面だ。


有力な飛曾家人の元に生まれた薊は、その産まれついての痣の為に、まるで腫れ物のように扱われ続けてきた。

乳母とは物心付いてすぐに引き剥がされ、両親からは居ない者のように扱われる。

そんな子供が家に居付かなくなるのは自然なことだった。何時しか彼女は裏道をねぐらに、盗みや恫喝で口に糊するようになった。それも長くは続かず、人里を追われるように、裏道にあぶれる手下の少年たちと、山の廃寺で過ごすようになった頃。


飛鳥と、出会った。


剣生の任務の一端で、廃寺に訪れた飛鳥達。そこで二人は、初めて斬りあった。木刀と、粗末な木剣の、試合とも呼べぬ拙いものではあったけれど。

気に入らないものは暴力と恐怖で打ち砕いてきた薊に、初めて正面からぶつかって来たのが彼女だった。


……命など、なんとも思っていなかった彼女が、初めてと感じられた瞬間だった。


斬りあいは続き、双方が傷と痣だらけになった頃。ついに飛鳥の面打ちが薊の仮面を振り落とし、その勢いのまま、薊は仰向けに倒れこんで。


『なんだ、もっと上等な顔が出てくると思っていたぞ。』


抜けるような青空を背負って、鼻血を垂らした飛鳥がにっと微笑んだ。ただただ痣だらけだな、と茶化すようにして。


『お互い様、だろ。』


薊もまた、傷だらけの顔でにっと微笑んで。


それから、薊は飛鳥達三人の勧めで飛曾の私塾に通うようになった。仮面を捨て、剣生長屋に転がり込んで。

日々の修行とて決して楽ではなかったが、打ち込むものを得て、薊は少しずつ変わっていった。時には飛鳥達といがみ合い、腕を競い合って。

一度も口にはしなかったが。飛鳥との打ち合いが、彼女にとって何よりかけがえの無い時間だった。


四、五年もした頃だったか、薊に留学の話が舞い込んだ。行き先は鷺橋の国。飛鳥たちの私塾だ。断る理由もなく、薊はその話に飛びついた。

努めて表に出すことは無かったが、薊はその日を心待ちにしていた。何より、飛鳥と思い切り打ち合えることが嬉しかった。


やがて、その日が来て。

飛鳥は、居なくなっていた。


迷走する思考を振り払うように、薊が首を振る。

もはや、どれほど思い返しても取り返すことはできぬ。いまや、心までも魔道に落ちた身だ。

あの居士が、野心を燻らせていた康人に取り入って。彼らが強力な兵を創るため繰り返していた実験に、薊はその身を捨てるように、志願した。


あどけないひたきの寝顔を見つめながら、それでも薊は考えてしまう。

もしも、飛鳥を信じられていたら。


――そんな思考を破るように、不意に下界が騒々しさを増す。気だるげに立ち上がった薊が、下を覗き見れば。


山城の彼方此方から、火の手が上がっている。


「夜襲だとぉ、ええい、兵どもは何をやっているっ。」


ばたばたと足音をあげながら、寝巻き姿の男……謀反の下手人、康人が、泡を食いながら兵を問い詰めに現れた。慌てて駆け上がってきた伝令が、跪いて報告する。


「恐れながらっ、すべての門が破られておりますっ。」


その言葉に、康人は憤慨した様子で兵のほほを張って、どたばたと薊へ詰め寄った。


「貴様、何をぼんやりとしておるっ。はよう降りていって、こんな手勢など蹴散らしてしまえっ。」


「いやぁ殿サン、そうも、いかないようでね。」


予想外の言葉に、康人は薊の目線を追う。いつの間にか、燃え上がる下界ではなく空を、月を見ていた薊の視線を。


どこからか、からん、からんと鐘楼の音が聞こえてくる。その音にあわせて、次々と、城の内外を問わずに梯子が立ち上がってくる。天守の高さまで届くその梯子の、一番向こうには。


忠松の操る歩行重機キヤリローダを立ち台に。剣制服姿の飛鳥が、腕を組んで立っている。


がらん、一際大きく、鐘楼が響く。その音を合図に歩行重機キヤリローダーは大きく跳躍すると、一歩、また一歩とかけられた梯子の最上段を跳び渡り。

ずん、と音を立てて、天守の瓦屋根に到達した。


「ひぃっ。」


小さく悲鳴を漏らす康人を尻目に、薊もまた瓦屋根へと飛び降りる。


「よう、何しに来た、飛鳥ァッ!」


漏れ出る笑いを噛み殺しながら、薊が吼える。


「妖剣破りさ、薊。」


炎はついに、天守に達した。燃え上がる火の手は、二人の下へ風を運び往く。

静かに、ただ見つめあう二人はやがて剣を抜き。――疾走した。

ぎぃん、と大きな音を立てて、刀と野太刀がぶつかり合う。

鍔迫り合いの最中、二人は視線を合わせて、凶暴に笑いあう。


「面白ェ、やってみなァッ!」


いよいよ力を増す薊の剣圧に押されながら、飛鳥もまた笑う。未だ砕けたままの肋がずきりと痛むが、炎の熱気と、ひりひりとした緊張感が痛みを忘れさせる。

飛鳥は一瞬腕の力を抜いて薊の野太刀を後ろに逸らすと、肩から薊に突き当り、距離をとってまた斬りかかる。

その一撃を反射的に趣向で受けながら、薊は己の体に登り来る高揚感を思い出していた。


そうだ。殺すために振るうのではない、この刹那を楽しむような打ち合いは。

渇望しながらも、ずっと忘れていた感覚。


首筋を狙うようにして、片手で野太刀を振るえば、飛鳥がそれをひらりとかわす。

二人の間に再び間合いが生まれると、飛鳥は刀を逆手に持ち替えて静かに脇へ構えながら、言う。


「終りにしよう、薊。」


その言葉に薊もまた横方へ野太刀を振りかぶり、笑う。


「いいぜ、飛鳥。」


炎の吹き上げる風が、飛鳥の襟巻きすかあふをはためかせる。

やがて、視界の遥か下方、山城の見張台が音を立てて崩れ。


その音を合図に、二人はもう一度、互いへ向かって走り出す。


「喰らって死にな、「うらみ胴」ォッ!」


薊が吼えて、その剣を、腕を、全身を唸らせる。

飛鳥は刹那、意を決するように瞬くと、走りながらその剣先を薊の剣筋にぴたりと合わせた。


それは、精緻の極みとも言うべき剣捌きであった。襲い来る妖剣に触れ合った飛鳥の刀は、その力の流れをように軌跡の形を変えてゆく。野太刀は刀の上を滑るようにして、少しずつ上へ向かって逸れてゆく。

やがて、恐るべき妖剣は身を屈めた飛鳥のわずか頭上を掠めて、静かに振りぬかれていった。


「返しの秘剣――無刃一刺むじんひとさし。」


飛鳥が小さく、しかし意思の篭った声で、静かに叫ぶ。

振りぬかれて無防備となった薊の上半身、その喉へ向かって。飛鳥は小手を返すように、柄頭を突きたてた。


「ふ、ぅツ!」


妖剣の要たる魔人の胆力、その全てが、柄頭の質量と共に薊の喉を砕く。潰れる様に漏れ出た声は、飛鳥の秘剣が気道を破裂させた、その残滓である。


一瞬の静寂の後、薊がふらふらと、二、三歩後じさる。野太刀を取り落としたその手で、喉を押さえるように、苦しげに。

胸元の腫瘍が、静かにその光を弱めていく。


「……いかな魔道に落ちようと、呼吸は必要であろう。」


人体は、その呼吸を塞がれれば僅か六十秒程で仮死状態に陥る。薊の喉の内では、すでにあの驚異的な再生が始まっているのだろうが、それが十分な吸気を齎していない事は、目にも明らかであった。


やがて恐るべき魔人は、燃え盛る瓦屋根に倒れ付す。苦しげに口を開閉させるその顔は、しかしどこか、満足げにも見える不思議な表情であった。


「……おい、貴様ぁっ。」


――静かに刀を納める飛鳥に、背後から罵声がかけられる。


「動くなよ、貴様っ。こ、この女がどうなってもよいのかっ。」


振り返れば、康人が眠ったままのひたきを捕らえ、そのこめかみに短筒を当てている。


「くだらん脅しなら、せんほうが身のためだ。康人、貴様も侍なら潔く腹を切れ。」


「黙れっ。俺は、この国をっ。日本ひのもとを、をォっ!?」


叫ぶ康人の腕に、何処からか飛来した電磁手裏剣が突き刺さる。遅れて、息を吹き返した手裏剣が火花を放つと、その激痛に康人は短筒を取り落とした。


「忠松っ。」


「飛鳥さん、もう危険ですっ。」


飛鳥を送り届けた後、炎が回らぬよう瓦屋根を壊して回っていた忠松が、重機に乗って駆けつける。飛鳥とひたきを急ぎ回収すると、忠松は燃え盛る山城から脱出するべく、重機の鉤足に力をこめ始める。


「逃が、してぇ、たまるかっ。」


激痛に喘ぎながらも、なお重機を追おうとする康人。しかし、突然体勢を崩し、座り込む。


「なぁ、殿サン。悪人にも、引き際ってモンがあるさ。」


静かに倒れ付す薊が、その右足を掴み、静かに微笑んでいた。

腫瘍の光はもはや弱々しく、立ち上がることもできないだろう。しかしその腕は、未だ残る魔人の胆力で、がっちりと康人の足を捕らえ、離さない。


「ふざ、けるな、この裏切り者っ」


そこまで叫んで、二人の姿が炎に包まれる。月夜にはただ、男の甲高い断末魔だけが響き。


歩行重機キヤリローダーは静かに跳躍して、去っていった。


――同じ頃、山城の後方、隣国へと続く山道を、老人が必死に走っていた。その手に、掻き集めた研究資料を抱いて。

いうまでもなく、あの居士である。火の手の上がった城内で、人体実験の成果を必死に守っていた居士であったが、奥の手たる魔人の敗北を見て、主を捨てた不届き者がそこにはいた。


「まだだ、儂の力を求めるものはごまんと居る。逃げ延びさえすれば、まだ。」


「いいや、もう仕舞いとしよう。」


その声に、老人は驚いて振り向く。老体に鞭打ったことが仇となったか、倒れ付す居士の前に、山伏姿の正眼が、息ひとつ切らさず立っていた。


「屍人兵は駆動鎧の遠隔操作。幻術の正体は、ただの幻覚剤か。科学者風情が、よくもここまで飾り立てたものだ。」


「貴様、きさ、まはっ。」


静かに錫杖を鳴らし、正眼がにじり寄る。一つの国を揺るがした大罪人に、引導を渡す死神の名は。


「内閣府公儀隠密方、巌正眼。誇りある日ノ本の名において、貴様を渡しに参った。」


姿を暴かれた妖術師が、狂ったように呪言を唱える。件の幻術であろうそれはしかし、一つ足りとて、盲人の目には届かない。

錫杖を一つ、大きく鳴らして。正眼が、かっと目を見開く。


「成敗っ。」


刹那、月の明かりに、細い糸のようなものが、一瞬だけきらめいて。

老人の首は、血飛沫を上げて地に落ちた。

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