『領域』シリーズ

伊嵜 寝眼

反復領域

人間は同じイメージを繰り返すものだ。

それは強調のためであり、雰囲気を作り出すものでもある。昔から作曲家は同じメロディを、作詞家は同じフレーズを、画家は同じモチーフを繰り返してきた。

それは固執とも呼ぶ。


瞼の裏に誰かがこちらを向いたままビルから飛ぶイメージが浮かぶ。髪は風で乱れ、服は普段着で、季節は冬で、靴は履いたまま。そして恐らく少年。少年はたいてい無残な姿で死ぬ。


何故かそのイメージは、私の中で何度も繰り返されてきた。


夕刻の、仕事終わりの会社員が群れをなすころ、目を開ければ無数の眼がこちらを見ている。凍える人混みの中で眼だけが心に残る。無感動無感情な目。それを嫌とは思わない。私もきっと同じ眼をしていたから。

ブランコ。

必要のないものが脳裏に浮かび消える。

少年の気配がして振り返る。少年は地面に嘔吐しているはずだが、目をこすってそれが勘違いだったと知る。吐いている少年なんかいない。絶望に目を見開く少年もいない。

海岸。

献花。

見たこともないが既視感のある残像が浮かぶ。少年は死んでいるのか。自分の中で何となくイメージをつなげる。

ただしこれは私の記憶ではない。私が少年であったことは無かったんだし、イメージに過ぎない。

単なる、イメージ。

そんなものに囚われている場合ではないだろう、と複数の眼は語る。そうだとも、そうなのだけど、浮かんでくるから、仕方ないのだ。

目をつぶれば一瞬で滅びる街は、冷たい現実を網膜に焼き付けた。


✿✿✿


同じイメージを繰り返すことで人は安息を得ようとした。繰り返すという行為は安らぎに繋がるのだ。気に入ったイメージなら尚更安定した。


それなのに。


目の前にある献花。

ぼんやり眺めていると、ふいに別の花が置かれた。

飛び降り自殺があったの。だからその子のためにね。まだ小さかったのにねぇ。

おばちゃんはそう言ったので、そうですかと覇気のない返事をしておいた。

その子は男の子でしたか。

おばちゃんは不思議そうな顔をした。

そうよ。どうして分かったの。

なんでもないです、と慌てて吐き捨ててその場を去った。


どろどろなもの。崩れたババロアとかそんなんじゃない。

轢かれて潰れた肉。摩擦の熱で溶解した。そういうものが頭をよぎる。好きなのではない。全て、好きだから浮かぶのでない。ふと、ゼロの領域から浮かんで来るのだ。

目の前のものを描写するために必要なものが。


手。いろんなサインをした手がいろんな方向を指差す。手は賑やかでお喋りだ。何を伝えたいかを暗に示す。

口。食べるという行為が大嫌いだ。くちゃくちゃという咀嚼音も、噛み砕くその顎の動きも何もかも、恐ろしいもののうちに入る。だからマスクをしている人は好感度が高い。けれど何も食べない代わり、その口でありえないほどひん曲がった笑いを見せて欲しい。そうして一緒にこの世を笑いたい。


✿✿✿


同じイメージが不必要に繰り返される時は、どうすればいいのか、誰も教えてくれなかった。


要らない。要らない要らない。要らないのにどうして。もういらない、いいでしょ?これ以上必要ないのに。


この町は私を嘲笑っているのだ。無闇矢鱈に何かを思い出させて、私を苦しめたいのだ。そんな馬鹿げたことを考えていた。


電車に乗るために列に並ぶ。目の前の人は小さい。その人はふとこちらを振り返って、にんまりと笑った。

少年だった。

間もなく1番線に、電車が参ります。

ダイヤが乱れている時の音声が鳴り響く。

少年はホームドアを乗り越えて線路に立ち入る、その瞬間に電車が滑り込む。

客はざわつき、迷惑そうなトーンで話し始める。足元に飛んできたのは眼球付きの肉塊だった。

恐れおののいて逃げ出す客の流れに押されて、一旦駅の外へ出る。――ちょっと遅延してただけなのに見合わせかよ。――しばらく様子を見なきゃ。――おかしいよ電波通じない。人々の声は私の脳を素通りする。こんなことにも怖がれない。だって何度も繰り返して来たもの。


駅ビルの屋上庭園に行き、時間をつぶすことにした。温かいコーヒーを片手に椅子に座っていると、横にさっきと別の少年がいた。少年もコーヒーを手にしていたが、飲むと不味そうに吐き出した。大丈夫?と声をかけ背中をさすっていると、不思議そうな眼がこちらを見た。吐いていて喋れないはずの口で少年は言った。

――あんた、面白いね。

そう言って大人のように目を細めた。


楽しそうな声がしてそちらを向く。ブランコを押してもらう、また別の3人目の少年の姿。

吐き続けて顔まで溶けつつある方の、2人目の少年は言う。

――あんた、何が見える?俺と一緒だね。

少年はびっしりと永久歯が生えそろった口で笑う。

私も笑ったはずだが、きっと引きつっていたと思う。

ブランコの鎖が急にちぎれ、漕いでいた少年は「また」目の前で潰れた。


簡単に壊れるんだね。

それを聞いた溶けた2人目の少年は毒のある笑い方をした。

――そういうもんだろ。ところでオーシャンビューが綺麗だな。

そう言えばここは海の近くなのだった。

飛び降りたら終わるだろうか。少年の死は。

――どっちが飛び降りたい?

少年は私の心を読んだかのように問う。

飛び降りたら終わるだろうか。繰り返される夢は。

――早く決めてよ。そうじゃないと――


溶けた少年を私は思いっきりフェンスへ突き飛ばした。

フェンスは崩れ、少年の顔は急速に元に戻り、その瞬間は時の流れが止まったようだった。

――これがあんたの答え?

そうだよ。

――いくら変なイメージが続いても?生き続けたい?

そうだよ。

私は両手を固く握り締めた。

――やっぱりあんた、面白いね。

少年は蔑むような目をしていたから、睨み返してやった。

だって、終わらせないといけないからさ。


少年は地の底へと飲み込まれていった。



✿✿✿


繰り返されるイメージは時に人を蝕み、そればかりを繰り返し求めるようになる。そうして安らぎを得る行為はまさに中毒である。こうして人は依存し、足りなくなればまた補充し、そして一時的に満足し再び渇望するのだ。それが好きなのか嫌いなのか、分からないうちに。



露天に手が売られていた。

露天商は帽子を目深に被っていて顔が分からない。こんな所で店を開くのだから一定の年齢だろう。

貴重だよー。今ならお買い得。さぁさぁ買いな買いな。

虚空を掴もうとする手が一つ。何かを握りつぶす手が二つ。……

全部で六つの手。

お客さん、見慣れない顔だね。

そう呼び止められて、はぁ、見覚えのあるような手でして、と答えた。

ふうん。お客さん運がいいね。採れたての手なんだよ。飾っても食べてもいけるよ。どう?

よく聞くと声が若い。

露天商は帽子を上げた。

息を飲んだ。

もう終わりかと思った?ふふふ。あんたってやっぱり、



面白いね。

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