第76話


翌朝、私は仕事だったからいつもより早めに起きて静かに仕事に行く準備をしていた。葵は昨日の疲れがあったのかまだ眠っている。あんな大きなイベントがあればそれは頷けることだ。準備を終えた私は小さな寝息を立てて眠っている葵の頬に優しくキスをした。心地良さそうに眠っている葵を少し眺めながら顔を優しく撫でて立ち上がろうとしたら服の袖を引っ張られた。


「ゆき……もう、行くの?」


どうやらさっきので葵を起こしてしまったらしい。葵は私より先に起きてることが多いから寝顔をよく見ておきたいと欲を出したのが良くなかった。眠そうな表情で私を見てきた葵に嫌がるだろうなと思いながらも言った。


「うん、もう行くよ」


「…………まだいかないで…」


やっぱり嫌がった葵は目を擦りながら私の服の袖を引っ張る。葵は付き合ってから駄々をこねることが多くなっているけど、この子が我が儘を言える存在でいたいし、我が儘を言う葵が可愛らしくて私はいつも怒れない。仕方なくまたしゃがんで葵と目線を合わせると優しく頭を撫でた。


「行かないと仕事間に合わないよ」


「……でも、やだ……」


「そんなこと言われても……また会えるんだからちょっと我慢して?」


「……次いつ会えるか……分からないもん」


葵は頭を撫でていた私の手を離さないように握ってきた。私を行かせたくないようだが可愛い葵を振り払うのは無理だ。早めに起きたから時間には余裕があるけど早く切り上げないと長くなってしまいそうだ。


「また電話とかしながら決めようよ?」


「……すぐ会いたい……」


「すぐ会えるから」


「……仕事で会えない……」


拗ねて嫌そうに、眠そうにしている葵にどうしようか悩んでしまう。仕事なのは確かだけど昨日のように疲れている葵を見るとあまり仕事がある日は会いたくなかった。それに今までも仕事がある日はなるべく会わないようにしていた。でもこの様子だと葵はすぐにでも会いたいだろうし私も気持ちが揺さぶられてしまう。


「……疲れてるでしょ?無理して会わなくても休みの日に会えるじゃん」


「……無理してないよ」


「でも、昨日は疲れてたでしょ?」


「……」


葵は手を強く握って黙ってしまった。合っているから反論できないでいる葵は不機嫌そうな顔をして私を見てくる。そんな顔さえも私には愛しくて何も言えなくなってしまう。私は片手で葵の顔を撫でた。


「そんな顔しないでよ」


「…だって、…疲れてても由季に会いたい。私、いつも……由季に会いたいよ…。由季はいつも……仕事が体調がって…私のこと考えてくれてるの分かるけど……寂しいよ。休みまで長くて由季に会えなくて……会えると嬉しいけどずっと一緒にいたくなっちゃうしまた会えなくなるの……本当に寂しいからやだ…」


「……葵」


今までは休みの日を狙って会っていたけどこんなことを言われると切なくなってしまう。葵は普通より忙しい分私が気を使っていたがそれは嫌だったみたいだ。それなら私の対応を変えた方が良い。こうやって寂しい思いをし続けると葵の心に負担だし疲れていても体のことなんか気にせずに私に会いに来たりするだろう。私は少し考えてから葵に言った。


「……じゃあさ、私が一週間に一回は葵の家に行くよ。私が行けば寂しくないし葵は家に帰ってくるだけだから疲れないでしょ?どうかな?良いと思うんだけど」


「……本当?」


葵は私の提案に顔を明るくした。前から一週間以上会えないのはざらにあったから我ながら良い考えだと思う。私は少し大変になるかもしれないけど葵のためなら苦でもないし寂しく思っているのは私も一緒だ。私は何度か頷いて答えた。


「うんうん。絶対一週間に一回は行くから一ヶ月会えないとかはなくなるし前より寂しくさせないよ」


「うん、そうしたい。それならあんまり私も寂しくならないと思う。…でも、由季が大変になっちゃうよ…」


「そんなの平気だよ。葵に私も会いたいから」


笑ってキスをすると葵も笑って頷いてくれた。これで寂しい思いを軽減させてあげられる。


「ありがとう由季」


「いいよ。確かにちょっと寂しかったよね?やっぱり会うと会わないじゃ違うし、私も葵が頑張ってるの見るとどうしても体が心配でね。ごめんね葵」


「ううん。……私がすごく……寂しくなっちゃっただけだから…」


「それでもだよ。葵はとにかく無理しないで体調に気を付けて仕事頑張ってね。そしたら私が会いに行くから」


握られている手を握り返すと葵は嬉しそうに頷いた。これに関しては私にも得ではあるので今後が楽しみだ。


「由季にまたすぐに会えるって思うと嬉しくて顔がにやけちゃう」


そんなことを言う葵はいつもみたいに可愛らしい笑みを見せるだけだ。葵の笑みを見るのは好きだ。嬉しいし私もつられて笑ってしまう。私はこの笑顔を守りながらこの子を普通にしてあげないとならない。少しずつ葵が傷つかないように私が変える。いや、変えないといけない。


「私も嬉しいよ。……でも、もう行かないと」


複雑な胸中を隠して普段通りに答える。全部葵には秘密だ。私の大切な葵には言いたくない。葵はその途端また寂しそうな顔をした。


「……うん、分かった…」


「またすぐ会えるよ」


「うん。……由季キスして?」


「うん、いいよ」


笑って啄むようにキスをすると葵は私の手を名残惜しそうに離した。やっと葵は納得したみたいだ。


「次は電話の約束もしてあげるからあんまり寂しがらないで?」


「……うん。行ってらっしゃい。気を付けてね」


「うん、行ってくるね。また連絡する」


葵の頭を軽く撫でてから私は家を出た。約束を色々としてはいるけどまずは葵の世界を広くしてあげないとならない。私は葵のことを考えながら仕事に向かった。



それから数日間、私は葵と次に葵の家に行く日を決めてから然り気無く趣味や楽しめることについて話した。私は色々提案してどれかをやってみようと話してはいるが葵は仕事があるしとりあえずはできそうな興味があるやつをやってみるとは言っていた。これで何かハマって楽しめたら良いが…。

私は少し不安だった。葵を疑っている訳ではないけど直接話していないからだ。あの子は私を優先しがちだし私との時間を何よりも大切に重要に考えているからもしかしたら嫌になってやらないかもしれない。


でも、一応はこれで手を打ったので後々様子を見ながら考えるとして、次は直接的に人と関わらせて行こうと考えている。

葵はコミュニケーションを得意とはしておらず人間関係も狭い。別にこれは悪い訳じゃないけど今の洗脳的な依存を招いている。だから次からの二人の時間は私が連れ回そうと思った。


一番最初に葵と遊んだ時よりも葵は確実に変わっているから嫉妬して泣いたりすることはないと思うし、上手く話せなくても私がいるから私の友達なら問題ない。二人の時間も取りながら外に出ていろんな人と話す機会があればそれで友達ができてまた世界が広がるかもしれない。


私はそこに賭けていこうと思った。いきなり知らない人はあの子にはハードルが高いけど私と言うクッションを挟めば葵の中の警戒心や不安もなくなる。葵には悪いがそうやってあの子を私から少し離していかないと良い関係は保てない。私にも葵は必要な存在だからこれをどうにか上手く事が運ぶように私が動かなければいけないのだ。次の休日はそのことばかり考えていた。




でも、それも少し行き詰まってしまった。

葵のことを考えれば考えるほど、あの子が傷ついたり寂しがったり不安になったりしないかに最終的な考えがいってしまって上手く行くのか不安になってしまう。


「あー、なんか…どうしたら良いんだろう」


私は翔太のバーで酒を飲みながら考えていたら思わず声に出してしまっていた。正直恋愛でこんな風に悩むのは初めてだった。


「由季なんか悩んでんの?」


今日出勤していた翔太はグラスを拭きながら私を意外そうに見た。すると横に座っていたレイラがおもしろそうに笑った。


「ね!由季がそんなこと言うの意外!」


「んー、悩みって言うか心配事?かな」


軽く笑って言ってみる。他の皆が想像もつかないであろう葵のことを誰にも言うつもりはなかったから。

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