第75話


私は知らぬうちに葵を操って、洗脳して依存させていたのだろう。葵のこの想いは好きじゃないのかもしれない。そう考えると心が落ち着かない。

こう言ってしまう葵の気持ちは葵のことを考えると分かるけど私は本気で言ってきた葵の方に体を向けると顔を寄せてキスをした。もう修正は効かないとこまで来ているのかもしれない。だけど私は行動を起こしたい。


「死ぬなんて言わないでよ。葵が死んだら私は嫌だよ」


「……でも、由季がいないと……無理だよ。私、由季じゃないと、由季がいないと…本当にだめなの」


「私も葵がいないと嫌だけど、でも死ぬなんてだめ。……葵はさ、もっと楽しいことを増やした方が良いよ」


すがるように言った葵に私は緊張しながら慎重に提案した。私は今日からでもこの子を変えていく。私にもしも何かあった時や一緒にいない時間を充実させてほしくて、葵には広い世界を持ってほしかった。そうすれば自ずと依存心は減っていく。洗脳に近い状態から解放されてもっと考え方が変わると思った。


「今も楽しいよ。由季がいるから私はいつも楽しい」


閉鎖的な返事に私は優しく言った。


「そうじゃなくて、今も楽しいけどもっと趣味とか好きなことを増やした方が楽しくなると思うんだよ。葵はあんまり友達と出かけたり趣味に没頭したりすることがないからそういう風に思っちゃうのかもしれないよ?確かに私達は付き合ってるからお互いの一緒にいる時間は大事だし想い合うのは良いことだけど一緒にいれない時間は必ずあるでしょ?その時間も私は葵に楽しんで充実させてほしいんだよ」


「…でも、何したら良いか……分かんない。いつも由季と話していたくなっちゃうし…」


葵は少し目線を逸らして困っていた。この子は私みたいに友達が多くはないから付き合ってから友達と出かけに行く頻度が低い。プライベートは本当に狭くて私のみになってきているのだ。まぁでも、こういう子は葵に限った話じゃない。彼氏ができたら友達と遊ばなくなる、何てのは当たり前にいるし変でもないけど葵は元々遊ぶ頻度が低いから余計に生活が私だけになっている。だからまずは、ここからどうにかしようと思っている。


「じゃあ、一緒に探そう?葵が好きな料理のために料理教室とかに行っても良いし、今ならそうだなぁ……ハンドメイドとかヨガとかフットサルとかさ、何でもあるから。それに、そういうのじゃなくても良いからさ」


「……うん。でも、でも……由季との時間、減っちゃったらやだ」


「減らないよ。今もちゃんと時間作って会ってるから平気だよ」


「……うん」


葵は表情を暗くして頷いた。あまり乗り気でないのは分かるけどこれは重要なことだし悪いことではない。世界が狭いと柔軟性に欠ける。欠ければ考え方も対応も話し方さえも変わってくる。それは人として生きていくのに大事なことだ。私は葵を愛してると思っているから変えてあげたい。まだ目を逸らしている葵に話しかけた。


「あんまりやりたくない?葵がもっと楽しんでくれたらなって思ったんだけど嫌だった?」


「ううん。……ただ、一人なの……不安だから。上手くできるかなって……」


「大丈夫だよ。上手くやらなくて良いから。ただ楽しむためにやれば良いの。最初は私も一緒にやっても良いし、案外凄く楽しいかもしれないよ?」


「……うん。分かった」


小さく頷いた葵に笑ってキスをする。とりあえず一歩進んだ。でも顔を離そうとしたら葵は首に腕を回して阻止してきた。


「なに?どうしたの葵」


必然的に近い距離に葵は少し目線を下げてから私を見る。


「……してくれないの?」


恥ずかしそうな葵にそういえばそうだったと思い出したけど今日は控えた方が良い。私は葵に覆い被さるように葵の横に肘をついて唇を奪う。


「今日はお酒のせいで葵が調子悪くなっちゃうかもしれないからだめ。……私もしたいけど、違う日にしよう?」


「私は……大丈夫だよ」


強がる葵は可愛らしくて、してしまいたくなるけど我慢した。普段飲まないならさらに酒が回るだろうし今日はもう寝かせてあげたい。


「だめ。今日は頑張ってたし疲れたでしょ?あの約束はちゃんと守るから今日はもう寝よ?」


「………ばか」


葵は嫌そうな顔をして私から腕を離すと拗ねて反対を向いてしまった。困ったものだ。私は苦笑いしながら葵の体を優しく揺する。


「葵?そんなことしてないでお風呂入ってきな?お湯沸かしといたから」


「……」


「ねぇ葵?ちゃんと約束守るから大丈夫だよ」


「……」


それでも何も言わない葵にどうしたら良いのか分からなくなる。全く、こうなったら最終手段に出るしかない。私は揺するのを止めて少し大袈裟に言った。


「そんなことしてると今日は泊まろうと思ってたけどもう帰っちゃうよ?」


「やっ、やだ!ごめんなさい、帰らないで」


葵はすぐに私に向き直って服の袖を掴んできた。分かりやすい子だ。私はあんまりこういうことを言わないから本気にしたんだろう。ちょっと意地悪だったかなと思いながら小さく笑って頭を撫でた。


「帰らないよ。帰らないから早くお風呂入ってきな?」


「…分かった」


そうしてようやく葵をお風呂に向かわせた。これはすぐに約束を叶えてあげないと葵はまた拗ねて口を聞いてくれなくなりそうだ。私はそう思いながらベッドに入って葵を待っていた。



今日はしないけど葵は頑張っていたし甘えさせてあげたい。葵は普通では体験できない世界で大勢の人に囲まれて生きている。あんな泣き虫で甘えたがりなのに、仕事の時は堂々として笑って笑顔を振り撒いていた。それを見たら、葵には普通の人には感じられないストレスがあるように思ったしあの子は普段から疲れたと言わないからできるだけ休ませてあげたいとも思った。



葵はお風呂から出て来たら幾分酔いが冷めたようだったけど本当に眠そうだった。時間も時間だし私が寝ようと促すと葵は素直にベッドに入ってきた。目を擦りながら私にいつもみたいにくっついてきた葵を優しく抱き締めながら髪を撫でていると眠そうに呟いた。


「やっぱり、由季の顔見てると落ち着く」


「ん?いきなりどうしたの?」


「由季が私を見てくれるのが…安心する」


葵は私を閉じかけた眠そうな目で見てきた。こないだは罪悪感のせいで葵と向き合って眠らなかったから嬉しいのだろうか。あの日は本当に悪いことをしたが私も私で充分に反省した。もう葵をちゃんと見れる。


「じゃあ、見てるから早く寝な?」


「うん。……でも、由季の顔……もう少し見てたい」


葵はもう眠りに落ちそうだった。嬉しいが今日は本当によく頑張った可愛らしい葵に笑いかけて小さく囁いた。


「いつも見れるでしょ。今日はよく頑張ったね。かっこよくて惚れ直したよ。本当にお疲れさま」


「うん。ありがとう…由季…。大好き」


「私も好きだよ。おやすみ葵」


「うん、……おやすみ……」


小さな返事をするけど葵はもう目を開けられないみたいですぐに目を閉じてしまった。それと同時に小さな寝息が聞こえる。私のためにも一生懸命頑張ってくれた葵を労るように私は頭にキスをした。

こんなすぐに眠ってしまうくらい疲れていたのに私への気持ちを優先する葵が愛しかった。



眠っている葵の髪を撫でながら私は今日のことを思い出していた。

今日私は、また葵の心の底を垣間見た気がした。私がいなくなったら死ぬとまで言った葵に不安は消えない。私が葵の心を照らしていないと葵はある日突然いなくなってしまうかもしれない。そんなのは絶対に嫌だった。

死と言う言葉のせいで頭の片隅に優香里がちらつく。優香里のように葵が死んでしまったら私は耐えられない。それこそ私も死んでしまうだろう。

葵を自立させて広い世界を持たせてやりたいけどしっかり葵から目を離さないようにして見ておかないといけないと思った。


勘違いをさせたり、不安を煽ったりしないように私は慎重に丁寧にこの子を扱わないとならない。それは大変なことだけど私は葵が好きだと思うからちゃんとやっていきたいし、例え不安を煽ってしまっても向き合って分かるまで話し合っていくつもりだ。


でも今は、葵が傷つかないように秘密裏に私が動いて変える方向に持って行きたい。

それが一番、葵を傷つけなくて済むと思うから。




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