第69話


翌朝、私は起きていたけど寝たふりをして葵が部屋から出て行くのを待った。葵は早朝に起きてから身支度を整えて何かテーブルで書くと私にキスをして出て行った。この子の優しさは身に染みるけどちゃんと反省して私の気持ちがそれなりに落ち着かないと前みたいになるのは難しい気がした。

私はそれだけ自分がやったことを後悔した。して良いことと悪いことがあるのは考えなくても分かることだ。


葵が出て行ってから私は目を開けて体を起こした。上手くいかないことに嫌気がさす。大きくため息をついてからテーブルの方に目を向けると葵が置いていったであろう紙があった。それを取って見てみると思わず笑みがこぼれた。


[由季おはよう。昨日はごめんね。でも話せて良かった。由季は昨日のことを気にしてるみたいだったけど、私は本当に大丈夫だよ。嫌いにならないし、すっごく好き。あれは私が悪かったから、だから気にしないで?あとね、もうすぐ前話したファッションショーがあるから来れたらで良いから来てね。大好きだよ]


相変わらず綺麗な字で書いてある。私のために書いてくれた優しさにまた好きになった。葵は例え私が暴力を振るったとしてもこうやって好きでいてくれるんだろう。あの子は私を本当に依存的に愛している。


でも、今回のは本当にだめだ。もうしてはいけない。常識的に考えて最低だ。最中に葵は泣いていたのにそれでも私に愛を囁いていたその姿を思い出すと自己嫌悪に陥ってしまう。本当に酷いことをした。葵は許してくれているけど私は許せない。



それからファッションショーの日まで私達の連絡のやり取りは再開した。だけど毎日今日一日のスケジュールを書いて送り合うだけでいつもみたいに最近あったことを話したり気になることや食べ物の話をしたりすることが上手くできなかった。楽しい話をしていつもみたいに戻りたいのに私の気持ちは誤魔化せない。

そんな私の様子がおかしいのを感じて葵は控え目だけど軽く楽しい話題を選んで話しかけてくれた。でもそれも私が話す気になれなくて、まだあの日のことを気にしている自分がいた。


このままじゃだめなのは分かっている。だけど振りきれない自分がいた。やってしまったことはある程度考えてしっかり反省してから前に進めば良いけど、私しか私を責めないこの現状になんだか上手くいかない。



そんな気持ちをどうにかしたくて私は葵にもう一度謝ろうと電話をかけようか悩んでいた時に葵から気を使ったような連絡が来た。それを見た私はさらに気分が下がった。

葵は普段から友達と遊ぶことが少なくて数える位しか遊んでいないのに友達と遊んだと友達と写る写真を一緒に付けて送ってきたのだ。その写真はモデルの仲間なのか綺麗な女の子何人かとよく笑った葵がいて、それを見たら電話をする気にならなかった。


葵に限って気を引きたいとか妬いてほしいとかっていうのは考えられないし、葵はただ単に私が話しやすいように何も思ってないと言うアピールをしているのだと思う。あの性格だから悩んでそうしてくれたんだろう。こんな誰かと撮った写真を私に送ってきたのは初めてだから。


でも結構私にはショックだった。

葵が本当に嬉しそうに笑っていたから。

本当に友達なのは分かるし葵が何でこうしたのかも分かる。葵の気遣いも楽しそうにしてるのも嬉しくは感じる。それなのに、葵が笑っているのを見て胸が抉られたような気分だった。



あの子のこんな嬉しそうな笑顔を引き出せるのは私だけじゃない。それにやっと気づいた気がした。葵の世界は狭いけど私以外にもあるのだ。そんな当たり前のことを突き付けられて、分かってはいたけどショックを受けた。

葵も私をこんな風に見ていたのかなと初めて考えた。


付き合ってはいるけど、言い様のない悲しみや不安が渦巻いて心を落ち込ませる。好きな人が自分以外に笑うとはこういうことなんだ。葵は私よりもそれを敏感に感じていたから不安になっていたんだ。


私はその日、返信をしなかった。

かなり落ち込んでしまってファッションショーに正直行く気にもならなかった。葵の顔を見たくないし、色々ありすぎて心がずっと沈んだままだ。それでも葵は変わらずに連絡をしてくるのが私は苦しかった。ああやって笑っていてもあの子の一番は私だけど、それでも私は苦しかった。私はその日葵の気持ちが初めて分かった気がした。




そしてファッションショー前日に葵から久しぶりに電話がかかってきた。出ない訳にもいかないし電話に出ると葵は嬉しそうに笑った。私はあの日から落ち込んでいたけど、嬉しそうな葵の声を聞いて幾分安らいだ気になった。


「なんか、久しぶりに電話するね」


「そうだね」


「由季の声聞けて安心する」


葵は変わらない。あの日のおかげで喧嘩は終わったけれど、まだ関係は少し違う。


「そっか」


「うん。……ねぇ由季?こないだね、由季に前言ったけどうちの家族皆でご飯食べたの。久々にお母さんとかに会ったからなんか懐かしくていっぱい話しちゃったんだけど、ちゃんとご飯は食べてるのか?って由季みたいに心配されちゃった」


この話は数日前にしてくれた。葵は久しぶりに家族と会ってご飯を食べに行ったらしい。私はそれにも内心モヤモヤしていた。でも明るく答えた。もう気まずくなりたくない。


「ふふ、そりゃ心配になるのは分かるからね」


「お母さんは私の心配ばっかりしてたんだよ。由季のこと思い出しちゃって笑っちゃったよ。あ、……あと、そのことなんだけどね」


急に言いづらそうにした葵に不思議に思いながら優しく促してみた。いつも通りを心がける。


「ん?何かあったの?」


「あの、何かあったって言うか……その、ね、……言っちゃったの」


「……もしかして、私達のこと?」


「……うん」


まさか家族に言ってしまったなんて。驚いて少し動揺した。女となんか別れろって言われたのかな?私達はもう終わりかもしれないけど私は落ち着きながら言った。


「そっか。別れろって言われた?」


「そ、そんなこと…言われてないよ?言われたとしても別れたくない…私から別れるなんて、絶対言わない」


すぐに否定する葵に安心はするけど不安はまだある。葵が傷ついたかもしれない。


「うん、ありがとう。じゃあ何か言われちゃった?」


「ううん。……あのね、私、お兄ちゃんがいるんだけど、私が一人暮らししてからお兄ちゃん私を心配して家にたまに来てくれてて…。こないだもね、来てくれたの」


葵の家族の話はほとんど聞いたことがなかったけど関係は良好みたいだ。兄妹で仲良くしていて微笑ましいけど葵があの写真のように笑ってるのかと思うと私の心は沈んでしまう。


「…そっか。じゃあお兄ちゃんに言っちゃったの?」


「うん。……と言うか、恋人でもできたのかって言われて……しつこく聞いてくるから……答えちゃったの。そしたらお兄ちゃん……喜んでくれた」


「喜んでたの?」


それは意外だった。理解できる人が増えた世の中になってきているが理解できない人の方が断然多い。理解を示してくれるのは葵を本当に大切にしてくれているからだろう。葵は照れたように続けた。


「うん。私、前から人間関係とか上手くないから……お兄ちゃん私のこといつも気にしてくれてたんだけど、久しぶりに会ったら私が見違えてたからそうなのかなって思ったんだって。女の子なのは驚いてたけど、私が嬉しそうだから良いって言ってくれたの。今度ね、由季にも会いたいって」


嬉しそうに言った葵にやっと安心した。広い心で私達を祝福してくれたのが純粋に嬉しかった。


「そっか、良かったね。でも、葵のお兄さんに会うのは何か緊張するな…。絶対イケメンじゃないの?」


見たことはないけど葵の家族となれば容易く想像できる。葵の容姿を見れば身長も高そうだし顔だってイケメンの部類だろう。

それに葵をよく理解しているみたいなのは確かだ。じゃなきゃ葵もこんなに嬉しそうに言わない。


「え?んー、どうなんだろう?お兄ちゃんは普通だと思うけど……。でもいつも由季みたいに優しいんだよ」


「ふふ、そっか。なんか……妬けちゃうな」


あの写真の葵を思い出して今の話を聞いていたら自然に口から出ていた。私は葵の家族にも少し妬いてしまっていた。今まで感じたことがない感情に葵への気持ちが強くなっているのを感じる。葵は私の言葉に驚いて動揺していた。


「え?…な‥何言ってるの由季。私とお兄ちゃんは兄妹だし、そんなこと絶対あるはずないし……からかってるの?」


「からかってないよ。仲良さそうだから良いなって思っただけ」


「…ほ、本当に……妬いてくれたの?」


信じられなさそうな葵に私は笑って答えた。


「さっきから言ってるじゃん。仲が良くて、葵が取られちゃった気分だよ」


それだけじゃない。私以外があんな風に笑わせてあげてると思うと悔しかった。でも、そんなことまでは言わない。


「…由季がそうやって言ってくれるなんて思わなかった。……嬉しい」


「私もそれくらいは思う時はあるよ」


葵は些細なことなのに本当に嬉しそうに言った。


「だって、由季は大人だからそんな風に思わないと思ってた。でも、私とお兄ちゃんは何にもないし、私は由季と一番仲が良いと思ってるからね。お兄ちゃんには悪いけど由季が一番だから、安心してね。……ふふふ、でも本当に嬉しい。由季に好かれてるって実感する」


「そう?でも、そんな疑ってる訳じゃないからいつも通り仲良くして大丈夫だよ?もう妬いたりとかもしないから」


「え……もう、妬いてくれないの?」


さっきまで嬉しそうだったのに、もう声のトーンは下がる。普通焼きもちとかってめんどくさがったり嫌がったりする人がいると思うけどこの子はそうじゃないらしい。

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