第26話
葵の鍵を自分のキーケースにいれてご飯を食べて服を着替えると葵は化粧をして家を出る準備をしていた。昨日別れ際に山下さんは葵を迎えに来ると言っていたからそろそろだろう。私も出よう。ここから電車で数駅の所に昨日の病院はある。駅から歩いてすぐだからそんなにはかからないと思うが早めに行っておいて損はない。
「私、そろそろ行くよ。戸締まりはしっかりね?」
葵は化粧をちょうど終えたのか玄関に向かった私の所まで慌てて来た。
「うん、気を付けてね」
「はいはい。葵もね?」
「うん」
「あ、そうだ、何か買ってきて欲しいものとかある?あればついでに買ってくるけど…ってなにそんな顔してんの?」
靴を履きながら顔を見たら本当に不安そうな顔をしてるから驚いた。さっきまでそんな顔してなかったのに、離れるのが不安なんだろう。
「だって……不安なんだもん」
「大丈夫だよ。もうストーカーも捕まったし、私もそんな酷い怪我じゃないから。用が終わったらすぐ帰ってくるし会えない訳じゃないでしょ?」
「そうだけど…」
「もー、大丈夫だってば」
渋る葵の腕を引いて軽く抱き締めてあげると葵も抱きついてきた。葵は本当に不安になりやすいから私は優しく言った。
「ね?大丈夫だから」
「うん」
「もうすぐ迎え来ちゃうでしょ?」
「うん、私も終わったらすぐ帰るから早く帰ってきてね?」
子供みたいな葵に笑ってしまう。
「はいはい」
体を離すと先程よりは、ましな顔をしているから少し安心して頭を撫でると行ってくるねと部屋を出た。歩くのも少し痛いから私はゆっくり病院へ向かった。平日の朝方の時間は電車も空いている。
病院についてから昨日の今日で急遽予約をしてもらったがすんなり検査もできたし傷も見てもらった。特に化膿もしていないし骨も折れていないのでこのまま安静にするように言われて検査は問題なかった。打撲や切り傷の痕は痛いけど、とりあえずひと安心ではある。病院を出る頃にはお昼を過ぎていて私は近くのレストランで軽く食事をした。
葵に検査結果を報告して、昨日山下さんから貰った警察の方の名刺を見て電話をかける。今から警察に行くのかと思うとしんどくて億劫だけど葵のためだ。電話で用件を伝えると早速警察署に来てほしいと言われた。
警察署に付いてから変に緊張しつつ警官に詳しく事情聴取される。それは長々と続いて気づけば夕方に差し掛かる頃に終わった。お礼を言われたものの警察署を出る頃には少し疲れてしまった。
でも、これでやっとこの問題が終わった。長く悩まされていた葵ももう大丈夫だ。あの男にはきっちりと罪を償ってもらう。後は彼女のメンタル面を支えてあげなくては。昨日の怯えようは並みのものじゃないしこればかりはすぐに解決するような話ではない。
携帯を確認すると葵から連絡が来ていて心底安心しているようだった。そういえば朝聞き忘れてしまったけど二日も泊まるわけだしいつも作ってもらうばかりだから何か買って行ってやろう。帰り道にスーパーによって適当に食材やお菓子等を買った。
片手で荷物を持ちながらゆっくり歩きつつ葵の家に向かう。足の痛みにあまり長く歩くのはまだ良くなさそうだと思いながらやっとの思いで葵の家についた。少し日は落ちてきているけど早くは帰れたのか。貰った鍵でロックを解除してエレベーターに乗る。そして葵の部屋までたどり着いた。鍵を開けて中に入る。
「葵、ただいま。もう帰ってる?」
靴を脱いで声をかけながら上がると葵がキッチンの方から出てきて飛び付くように抱き付いてきた。痛みを感じながらも優しくどうにか受け止める。不安だったのだろう優しく背中を擦った。
「おかえり。ちょっと遅いから心配した」
「心配しすぎだよ。早かったんだんだね?」
「うん。警察に行って事務所でスケジュールの確認とか色々しただけだったから」
「そっか。それよりさっきスーパーで食材とか適当に買ってきたよ。あとね、甘い物も買ってきたから食べてね」
「そんなの良かったのに、ありがとう。座ってて?疲れたでしょ?」
葵は私からスーパーの袋を取るとリビングに持って行ってくれた。何か作ろうとしていたのかキッチンは料理の途中のようだった。私はとりあえずテーブルの近くに座ると葵がお茶を出してくれる。
「ありがとう」
「ううん。もうすぐ終わるから待ってて。寝てても良いよ?起こしてあげるから」
「大丈夫だよ、それより何作るの?」
「ん?今日は、ビーフシチューとロールキャベツと後は酢の物とか適当に。嫌いなのない?」
「ないない!何でも好きだよ!わー楽しみ。おとなしく待ってる」
うん、とにっこり笑ってまたキッチンに戻った葵は手際良く料理を再開した。料理は気分転換にはなるんだろうなと思いながら私は後ろ姿を眺めつつお茶を一口飲むと静かに葵を待っていた。だけどなんだか急に眠くなってきてしまってベッドに背中と頭を預けて、足を伸ばすと少し目を閉じた。今日は移動も多かったしやっぱり結構負担だったかな、と自嘲した。
ふと、耳に話し声が聞こえる。
「うん、心配かけてごめんね。大丈夫だよ。心配ないから、私は何もなかったから。うん、うん、その、由季が怪我、させられちゃって、……うん」
目を開くと体に毛布が掛けられていた。葵がやってくれたんだろう。顔を上げるとリビングの方で葵が誰かと電話をしているようだった。
「由季は、大丈夫だから。……うん、仕事は少し休むけど平気だよ。うん、……あの、由季が、ね、その…私のこと気にかけてくれるから怖いけど平気。うん、ありがとう。…え?良いの?うん…、分かった、嬉しい。うん。ありがとう。また連絡するね」
親しげに話して電話を切る葵。嬉しそうに画面を見て笑っている。そういえば私は葵の交友関係を知らない。葵にはタブーな話かと思って聞いてもいなかった。いい機会だし聞いてみようか。
「友達?」
「え?!びっ、びっくりした、いつの間に起きてたの?」
体をびくつかせてあからさまに驚く葵。そんなに驚かなくても良いのに。
「今さっきだよ。毛布ありがとう」
「う、うん。さっきの、友達の綾香ちゃん。ニュースになったから心配して連絡くれたの」
「綾香ちゃん?え?しかもニュースになってるの?」
知らない名前だけどたぶん同業者なんだろう。それよりもニュースになってることに驚いた。
「うん、由季の名前は出てないけど軽傷を負ったとはちょっと出てる」
「さすが芸能人。なんか、芸能人なこと忘れてたよ。でもそうだよね、ニュースになるかそりゃ」
「でも、少しだけだよ?」
頷きながら納得する。控えめに言う葵はスーパー美女のモデル兼女優だ。ならない訳ないだろう。すっかり忘れていた。私が感心していると葵は私の近くに座ってきた。
「さっきの綾香ちゃんね、モデルの仕事し始めた時に友達になった子で同じモデルなんだけど色々話があってね、ストーカーのことも心配してくれてたの」
「そうだったんだ。じゃあ、結構仲良いんだね」
「うん、そう。綾香ちゃん優しくてよく話聞いてくれて」
「へー、そっか。で、私の話もしてるの?」
「え?!き、聞いてたの?!」
また慌てている葵。何かまずかったのか。よく分からないけどたぶんそこまで話は聞いていないはずだし、首を傾げながら答える。
「そんなには聞いてないと思うけど、私の名前を出してたから気になって」
「え?あぁ、……うん。ちょっとだけ。話してる…かな」
「そうなんだ。あんまり恥ずかしいことは言わないでね。酒に酔ったエピソードとか」
「うん、それは大丈夫だよ」
本当に大丈夫か不安だけど、まぁ大丈夫ではあるだろう。それにしても良い友達がいるみたいで安心した。それなりに綾香ちゃんにはプライベートについて話しているみたいだし、その子も今後葵を気にかけてくれるだろう。
「それより由季に本当に何もなくて良かった。今日、由季が心配であんまり集中できなくて。でも本当に安心した」
心底ホッとした顔をしながら手を控えめに握ってくる葵。それに握り返して軽く笑って答える。葵は本当に心配してくれていたみたいだ。
「心配かけちゃったね、でも平気だよ。まだ顔とか体は痛いけど私も安心だよ。でも酷い顔になっちゃったよね?電車で知らない人に引かれたし、あんまり人に顔見せられないよ」
ちょっと笑わせてあげようとしたのに葵は真面目な顔をして私の顔に触れてきた。その手つきは優しくて指先から優しさが伝わる。
「痛そうだけど、そんなことないよ」
「そう?顔にコブができたみたいだよ?」
「確かに腫れてるけど、いつもの由季と変わらないよ。それに、由季の怪我が良くなるまであんまり行けないかもしれないけど看病してあげるからね」
葵は私の顔を触るのをやめる。看病なんてそんな病気じゃないのに葵は大袈裟だ。
「そんなことしなくて大丈夫だよ。しばらくは外出控えるし自宅療養するから」
葵はそれに当たり前みたいに答えた。
「そんなのだめだよ。体もまだ痛いでしょ?あんなに傷だらけだったんだからあんまり動かないで。また由季に何かあったら嫌だから、しばらくは通わせて?」
最後は少し照れていたけど本当に心配してるみたいだから頷いた。葵の気持ちを無下にはできない。
「うん、分かった。でも仕事が忙しくない時ね?」
「うん。……ちゃんと安静にしててね」
「分かってるよ。それよりさ、もうご飯できた?」
私は楽しみにしていたことを聞いた。怪我もあるけどそれよりお腹が減った。
「うん、できてるよ。食べる?」
「うんうん、食べよ食べよ」
その後私達は夜ご飯を食べた。今回も本当に美味しくて葵は嬉しそうに、にこにこ笑っていた。
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