約束の魂

第1話

はぁ……


青年は溜息をついた。

目的もなく生きることに疲れていた。

あてもなく神社に来てみたものの、それだけでなにかが変わるわけもなかった。

石段に腰掛け、だらりと足を投げ出してみた。

細身の身体に、石の冷たさがしみる。

新緑が眩しく、爽やかな風が彼の痛み切った金髪を弄んだ。


「死にてぇなぁ……」


声に出して呟いてみる。

しかし、それを行動に移そうという気は一ミリも湧いてこなかった。

彼は惰性で生きてきた。

友人に誘われるままにギターを手にし、バンドを始めた。

友人がバンドに熱を込めれば込めるほど、真っ当な職や家庭という道はどんどん狭くなっていった。

それを頭では分かっていたが、彼にはなにかをなしたいという希望は特になかったのでそのままにしておいた。

気づけば二十代も半ばに差し掛かっていた。


「地獄って、あんのかなぁ……」


生きていても仕方ない、とは思いながらも死ぬのは怖かった。

親は自分が死ねば哀しむのだろうし、あの世で責め苦を与えられるのなら死ぬ意味もないと思った。


「ありますよ、地獄。」


不意に後ろから声がした。

驚いて振り返ると、長身の男が立っていた。

黒いスーツは一分の隙もなく彼に張り付いて、まるでマネキンの様だ。

少し長めの黒髪をオールバックにセットしている。顔は整ってはいるが、能面のように表情が薄い。


「……宗教の勧誘なら、間に合ってます。」


彼はやっとのことで声を絞り出した。

男は眉ひとつ動かさない。


「宗教じゃありませんよ。まぁ似たようなモノかもしれませんがね。」


「じゃあセールスっすか?俺のナリ見て分かると思うんですけど、金なら無いっすよ。」


彼は手をひらひらと振った。

彼はTシャツにジーンズというシンプルな出で立ちではあるが、その全てが少しヨレていた。

男はまじまじと彼を見つめている。


「つか。神社で宗教勧誘とかお兄さん罰当たりっすね。」


彼はそんな男を疎ましげに見つめた。


「花江晶。」


男はよく通る声で言った。

彼は目を見開いた。


「なんで、俺の、名前……」


男は薄い唇を歪ませた。

男なりの笑顔なのだろうか。不器用な表情は薄気味悪さを際立たせていた。


「晶、貴方は死んでもいいと思っている。しかし単純な死の恐怖、死後の世界の責め苦を恐れて死ねずにいる。」


「俺、さっき死にてぇって口にしましたし。死ぬの怖いのは誰でもそうでしょ。」


男は晶の言葉など聞こえていないように続ける。


「私に貴方の魂をください。痛みもなく、眠るように死ねますよ。魂は私のコレクションとして保管しますので、責め苦に会うこともありません。」


「ハハ……、お兄さん、頭オカシイ人?意味分かんないよ。魂とか、コレクションとかさ。」


晶の顔は引きつっている。


「私は悪魔です。少なくともヒトではありません。」


「は?」


男がなにを言っているのか益々分からない。

しかしあまりにも淡々と保険の説明でもするかのように話すので、晶はおかしいのは自分ではないかと錯覚し始めていた。


「魂には価値があります。今の貴方の価値は二文程度です。これでは朝早く起きて新聞でも読んでいた方が幾分マシです。これを」


「ちょっと待てって!さっきからなんなんだよ!」


晶は立ち上がり、男に詰め寄る。


「悪魔だとか魂だとか、オマケに俺の価値が二文だとか!好き勝手言い過ぎだろ!

アンタなんなんだよ!」


「死にたいのでしょう?」


男は能面の表情に戻り、晶を見据える。


「死にたい。だけど痛いのも、辛いのも、詰られるのも嫌だ。そんな甘ったれた我が儘を叶えて差し上げようと言ってるんですよ。」


返す言葉が見つからない。

甘ったれた我が儘。その通りだった。

長い沈黙。いつの間にか風も止み、辺りは不快な温度で満たされていた。


「……アンタ、俺に何をさせたいんだ?

俺に魂の価値とやらは無いんだろう?

自分で言うのも何だが金もねぇし、社会的な地位で言えばド底辺だ。」


「話は最期まで聞くものですよ。」


汗を滲ませる晶とは対照的に、涼しい顔で男は続けた。


「魂とは宝石のようなものです。美しく、儚い。特に人のそれは無二の輝きを放つ。

聖職者しかり、芸術家しかり……。

崇高な魂であればあるほどその輝きは素晴らしいのです!」


男はどこか恍惚とした表情で遠くを見つめている。

晶はその表情に、怯えと、微かな呆れを感じた。


「崇高な魂ってなんだよ。悪魔の力とやらでちゃちゃっと有名人にしてくれんの?」


晶の一言に反応し、男は晶の胸ぐらを掴んだ。

男の細い身体のどこにそんな力があるのか、晶の体は男の細腕一本に軽々と持ち上げられた。

晶は体をばたつかせたが、男の腕は微動だにせず、足を地面に着くことは叶わなかった。

男は晶を掴んだまま、静かに告げる。


「あまり私をバカにしないで下さい。

私はコレクターなのです。私がそのような力を使えば、それはイミテーションを作ることに変わりありません。

私はあくまで自然に輝く魂を求めているのですよ。」


言い終えると、男は晶を掴んだ手を離した。

晶は無造作に地面に投げ捨てられた。

晶は平均よりはかなり細い体躯である。

それでも大の大人が片腕ひとつで軽々と投げ捨てられたことに晶は呆然とし、起き上がれずにいた。


男は晶を見下ろしながら、三本の指を立ててみせた。


「三年。」


晶はぼんやりと男の指を見つめている。


「三年の間に私の指示に従い、貴方は魂の価値を上げるのです。それが貴方に許された時間です。」


「……死ぬのに三年もかけろってのか?馬鹿らしい。」


晶は男から目をそらし、吐き捨てるように言った。その体は微かに震えていた。


「では、貴方はここで私に従わなかった場合、三年で何をするおつもりですか?

何を目的に生き、何を成すのですか?」


晶は男を見ることが出来ない。

晶の中に、三年あったところで無為に過ごしてしまうだろうという確信めいた予感が広がっていた。


「契約成立。よろしいですね?」


男は不器用な笑顔を称え、未だ立ち上がれない晶に手を差し伸べた。

晶は苦々しい顔をしながらその手をとった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る