悪役令嬢に非ず
結城ヒロ
前編
「私はイオレット・フェイタルとの婚約を破棄し、新たに真実の愛を見出したマリアンナ・モント男爵令嬢と婚約することを宣言するっ!!」
卒業記念パーティーで、突然現れた一団に壇上から言われたこと。
名指しされた一人であるイオレットは厳しい視線を彼らに向ける。
鋭い目つきの彼女が睨むと大抵の人間は臆するが、
「何をやったのか理解出来てるだろう? イオレット」
この国――セイレン王国の第二王子にして王太子。
そしてイオレット・フェイタル公爵令嬢の婚約者であるフィルク・セイレンが、憐れむような表情をイオレットに向ける。
「殿下。そちらこそ何をしたのか、ご理解出来ているのでしょうか?」
「君がやったことに比べれば、この程度と言えるよ」
そう言ってフィルクが合図を送れば、体格の良い青年が一歩前に出る。
彼は騎士団長の長子であり、学園でも剣技において右に出る者はいない。
「イオレット・フェイタルっ!! 彼女が元平民であることを侮辱し、さらに手荷物を窃盗し、挙げ句に階段から突き落として殺そうとするなど、断じて許されることではない!!」
さらに宰相の次男坊と魔法士長の長男が並ぶように立ち、
「言い逃れできるとは思わないことです、イオレット嬢」
「僕達のマリアンナに酷いことした報いは受けてもらうよ。君のことを追放してもらうよう、殿下には言ってあるんだからね」
四人が揃ってイオレットを断罪するように声を張る。
一方のイオレットは彼らの言葉を理解するかのように繰り返した。
「侮辱に窃盗、殺人未遂……ですか。しかもわたくしを追放する、と」
何をふざけたことを言っているのだろうかとイオレットは思う。
それを自分が、後ろで震えている少女にやったとでも言いたいのだろうか。
「一応、釈明したいことがあるのなら聞こう」
フィルクが最後に謝罪ぐらいはするだろう、と。
せめて謝罪くらいはしてみせろと言外に告げる。
しかし小さく息を吐いたイオレットは、壇上を見据えた。
「一つは婚約破棄について、了承致しましたわ。このようなことになってしまっては、そうする以外にありませんもの」
それほど酷い状況だ、ということ。
そして、
「もう一つは――」
イオレットは彼らの背後に視線を向けた。
「――マリアンナ」
怯えた様子の少女に声を掛ける。
まるで騎士のように彼女を守ろうとする四人は、事実彼らの中では騎士のつもりなのだろう。
だがイオレットは無視して、真っ直ぐに言い放つ。
「わたくしの名に誓って告げましょう」
笑みを浮かべて、柔らかな表情で。
彼らが盛大な勘違いをしていると述べるように。
「もう大丈夫ですわ」
何も心配はいらない、と。そう言った。
当然、壇上にいる男共に理解は出来ない。
彼女を虐めていた人間が何を言っているのか、と。
「……イオレット様」
しかし少女は違った。
イオレットの言葉を聞くと目を見開き、そして――壇上から駆け下りた。
そして男性陣が力づくで止める間もなく、マリアンナは断罪の言葉を告げられた公爵令嬢の胸に飛び込む。
「イオレット様っ!」
「今まで、よく頑張りましたわ」
イオレットは抱きついてきた少女の頭を撫でながら、背を柔らかく叩く。
緊張と恐怖で竦ませていたのが分かるほど、彼女の身体は震えていた。
「おいたはされてない?」
問えば少女は震えながら何度も首肯する。
そのことにイオレットも安堵の息を漏らした。
「正直、焦りましたわ。まさかわたくしが遣いの話を聞いている一瞬の隙を突いて、貴女を連れて行くなんて」
最悪、パーティーが終われば監禁されるのではないかと思ったほどだ。
さらに何人かが二人の所に寄ってくる。
そのうち二人は宰相子息と騎士団長子息の婚約者だ。
「マリアンナ、無事に見つかってよかったわ」
「ああ、こんなに震えて可哀想に。怖かったでしょうけど、もう安心なさいね」
二人が優しく話し掛けると、マリアンナはイオレットの胸元にある顔をあげて僅かに表情を崩した。
すると呆然とした様子で彼女達のやり取りを見ていたフィルクが、はっとして声を出す。
「な、何をやっているんだ!? マリアンナ、早く彼女から離れるんだ!!」
「馬鹿なことを仰らないでくださいませ。この子を虐げていた方々に返すと思っているのですか?」
壇上の男性陣にとっては、被害者が加害者に飛び込む理解出来ない状況であろうが、彼女達にとっては違う。
正しく加害者から被害者を救い出した状況だ。
「私達がマリアンナが虐げていた!? 馬鹿なことを言わないでくれ!!」
「いいえ、殿下。馬鹿なことを言っておりません。壇上にいる方々こそがマリアンナの学生生活を奪い、恐怖を与えた張本人ですわ」
イオレットはそう言って、抱きついている男爵令嬢をあやしている手を緩めた。
「ミレイ、ミュース。マリアンナをお願い」
蜂蜜色の柔らかな髪をもう一度、撫でてからイオレットは少女を二人に預ける。
そしてフィルクに向き直った。
「今日の卒業パーティーぐらいは、マリアンナを普通の生徒として過ごさせたいのです。ですからここで決着としましょうか、殿下」
本来、この場は王子達による公爵令嬢を断罪する場……だったはず。
しかし今、会場はどうなっているだろうか。
彼らが守ろうとしている男爵令嬢は公爵令嬢に駆け寄り、助けられたとしか見えない。
会場の中にいる生徒達は、それが当然だと思う者もいれば唖然とする者もいる。
だが、どちらにしろ会場の空気は一変した。
他の誰でもないイオレットの手によって。
「さて、そこの貴方。身勝手な冤罪を述べただけでなく、勝手に呼び捨てにするなど大層な礼儀知らずである騎士団長の子息」
イオレットは手に持っている扇子で手の平を一度、ポンと叩く。
「今一度、頭のおかしな罪とやらを述べてくれるかしら? この場で反論しなければわたくしも婚約破棄以上の醜聞となりましょうから、きっちり否定させてもらいますわ」
そう言って彼女はふっ、と嘲笑するような笑みを零した。
「とはいえ、この状況で言えるほど頭のおかしさがあれば、の話ではありますが」
状況を最初から理解している者は無理だと分かる。
唖然としていた者ですら、自分の考えが間違っていたとすでに悟っているだろう。
しかし、それでも言葉を発するのであれば。
それはきっと愚か者だと、誰もが思うはずだ。
「ならばもう一度、言ってやろう!! 彼女が元平民であることを侮辱し、さらに手荷物を窃盗し、ドレスに飲み物をかけるどころか切り裂き、挙げ句に階段から突き落として殺そうとするなど、断じて許されることではない!! マリアンナを脅し恭順させた罪も加えさせてもらう!!」
そして皆が思った通り、彼は愚かだった。
今、マリアンナを支えているのは誰なのか。
本当に彼女が脅されているのなら、二人の令嬢に支えられて安堵しているわけがない。
「それでは一つずつ問題を紐解くとしますが、まずは何が侮辱だと仰っているのでしょうか?」
イオレットは騎士団長子息に言葉を返す。
すると彼は勝ち誇った顔で言い放った。
「彼女に対して殿下に近付くなと、そんなことも分からないほど愚かなのかと言ったこと、忘れたとは言わせんぞ!」
「婚約者がいる殿方に対して、遠慮なく近付くのが正しいと言えますの? ですから貴方が言った通りの注意をしましたわ。とはいえ話を聞けばわたくしの勘違いでしたから、その時の言葉は謝罪しております」
そう、勘違いだった。
礼儀も知らなければ常識も知らない。
でなければ、あのようなこと出来るわけがないと思っていた。
だがその日の夜、マリアンナはイオレットが住んでいる女子寮の部屋に謝罪と同時に相談をしに来た。
「勘違い、だと?」
「その後、相談されましたのですわ。わたくしの部屋に来て『殿下達に近付くつもりはない。どうやったら彼らが離れてくれるのか』と、そのようなことを」
そして話を聞けば、確かに彼女が逃げられるはずもなかった。
彼らは全て彼女よりも爵位が高い子息達だ。
同等の爵位か平民ならば逃げられるだろうが、彼らに近寄られてしまえば堂々と拒否出来るはずもなく、さらに不興を買ってしまえば彼女の家族、家の領民に危険が迫ってしまう。
「念のために後日、マリアンナの対応を確認したところ問題はありませんでした」
男爵令嬢として出来る限りの拒否はしていた。
イオレットとしても、彼女が最大の抵抗をしていることは理解した。
「というより問題はそちらですわ。どうしてマリアンナの言葉を素直に受け取らないのですか? 彼女はしっかりとお伝えしたはずですわ。婚約者であるわたくし達に対する不義理になってしまう、と」
もちろん解釈の仕方はいくらでもあるだろう。
しかし彼女の言葉は上辺ではなく、本心での言葉だった。
「ですが皆様、このように仰ったでしょう? 『自分の婚約者に何か言われたのか? 心配する必要はない、君は自分が守ってみせる』と、何故かわたくし達を悪とした」
「貴様らの非道に対して臆する必要はないと言っただけだ!」
「そう言ってマリアンナにベタベタと触れるのが常套手段ですのよね? ですからわたくし達の名を使って逃げるのは一旦、辞めさせましたわ。皆様にとっては、それが免罪符となりマリアンナに触れる口実となってしまうので」
どのようなことを言って否定しても、曲解されてしまう。
さらには自分が守るからと解釈して触れようとしてくる。
厄介極まりない。
「マリアンナが伝えても駄目だった以上、わたくしや皆様の婚約者も含めて何度も注意しました。しかし皆様は一向に聞き入れなかった。それぞれの家に連絡を入れても、火遊びだと取り合っても貰えません。まあ、男爵令嬢を火遊びの相手と仰る神経も理解出来ませんでしたわ」
言い方は悪いが、まだ平民であれば理解は出来る。
だが貴族の令嬢を火遊びと称するなど、何を考えているのか問い詰めたくなった。
「さすがのわたくしも手詰まりになりまして、仕方ないのでわたくしと彼女達、それに口の堅いクラスメートとで皆様の行動を見張っていたのです」
イオレットはそう言うと、釣り上がった目で再度睨み付ける。
「マリアンナが傷物にされないように」
実際、色々と綱渡りだった。
彼らの婚約者である二人を加えても、人数は足りない。
本来はクラスメート全員で守れたらよかったが、不穏な空気を感じ取った彼らが何をしでかすか想像も出来ない。
「人の話を聞かないのですから、暴走されてどのようなことをマリアンナにされるか。なので場しのぎでしかありませんが、邪魔することが彼女の安全を守る一番の方法ではありましたわ」
だからマリアンナには申し訳なかったが、爵位の高い貴族子息や王族にすり寄っている男爵令嬢と勘違いされていたほうが、彼らが不埒な行動を働くリスクは下がる。
とはいえそれが、後々に間違った判断を気付かされたが。
するとフィルクは冗談じゃないとばかりに反論した。
「わ、私が彼女を傷物にしようとするわけがないだろう!?」
「戯れ言を。婚約者がいないとはいえ、恋人でもない相手に口づけの一つでもされてしまえば、それは十分に傷物と言えるでしょう。しかも婚約者がいる殿方にされたとなれば今後、彼女の婚約者捜しが難航することは確実ですわ」
一線を越えてしまえば、マリアンナは毒婦やら売女やら淫女などと多数の侮辱が並べられるだろう。
もしや自分が婚約者になるから大丈夫、とでも思っていたのだろうか。
正統な手順を踏んでイオレットと婚約を解消したわけでもないのに。
「そして殿下に伺いましょう。貴方様の行動によってマリアンナは誹謗中傷を浴びましたわ。そのことについて謝罪はありませんの?」
「だ、だが君だって衆人の前で彼女を侮辱したはずだ! 淑女のマナーと称してマリアンナを貶めたのは、どういうつもりだ!? 謝罪の一つもするべきだろう!?」
フィルクが反論する。
会場の空気は完全にイオレットに向いているのに、それでもまだ彼女が悪いと考えているらしい。
「いきなり何を言い出すのかと思えば……」
イオレットはそう呟くと、大きな溜め息を吐いた。
淑女らしからぬ行動に、むしろ周囲の生徒が驚いてしまう。
公爵令嬢として常に完璧な振る舞いをする彼女が、人目憚らずに大きく溜め息を吐いた。
とはいえ驚いたとしても、理解出来てしまう。
それほどまでに呆れてしまったのだろうから。
「馬鹿なことを仰るのですね。令嬢らしからぬ振る舞いについての注意は、わたくしがマリアンナを指導していたからに決まっているでしょう」
単純にそれだけのこと。
しかも互いに了承している。
「指導? どうして君がしているんだ?」
「今まで平民であった彼女は、貴族令嬢としての振る舞いが出来ない。それは当たり前ではありますが、学友として放っておけるはずがありません」
出来ないのは当然だ。
彼女は今まで平民として生きてきたのに、急に男爵に引き取られて貴族の令嬢となったのだから。
他の令嬢と同じように振る舞えと言われても、無理に決まっている。
「もちろんわたくしもやる気がなければ相手にしませんが、彼女は真剣に取り組んだ。そして夢を語ったからこそ、わたくしも様々なことを教えました」
「だが、あれほど厳しく言う必要はないはずだ! 酷いとは思わなかったのか!?」
「必要があったからこそ厳しくしたのですわ」
実際、指導が厳しかったのは間違いない。
授業でも平民用にマナーの授業があるとはいえ、それでは時間が足りない。
フォークやスプーンの使い方、歩き方一つでさえも注意を受けるのが貴族の令嬢だ。
「貴族の令嬢が淑女として振る舞えないことが、どれほど恥になるか理解出来ませんの? マリアンナはよく理解していましたわ。だからわたくしの厳しい指導に付いてきた」
それを酷いなど、彼女の努力を侮辱しているに等しい。
「わたくしはマリアンナのことを男爵令嬢として扱いました。ですがそちらは平民として扱った。その齟齬故と殿下の言葉を諫めるのは諦めましょう」
そもそも会話になっていない。
マリアンナの意思すら都合の良い解釈をしているのだから、当然ではあるかもしれないが。
「イ、イオレット。そんな事実に反することを――」
「――強いていたではないですか、殿下達は。今までの君でいろ、と」
最初の頃、彼女の行動や言葉遣いが貴族令嬢らしからぬから。
そのことで王族としての自分ではなく、貴族としての自分ではなく、素のままの自分でいられるから、と。
男爵令嬢として頑張ろうとしていたマリアンナの意思に反して強いた。
「礼儀がなっていなかった頃のマリアンナでいろ、と。貴族の令嬢に頑張ってなろうとしているマリアンナを否定してまで、そのことを強いた」
そして王子に言われてしまえば、爵位の高い子息に言われてしまえば、マリアンナが拒否出来るはずがない。
自身の想いに反していたとしても。
「マリアンナに対して淑女らしからぬやり取りの強要。はっきり言って最悪ですわ。しかも個々人の安寧のためなど、紳士の風上にも置けません」
話を聞いた時は、ほとほと呆れた。
どうしてこんな愚か者が婚約者なのかと、心から嘆きたくなったものだ。
だがフィルクはそのことを知っているイオレットに衝撃を受ける。
何故なら彼女が言ったことは、壇上にいる仲間とマリアンナにしか言ったことがなかったからだ。
「ど、どうしてイオレットがそのことを知っているんだ!?」
「どうしても何も、マリアンナの努力を否定する皆様の心ない言葉に対して、彼女が抱いた悲しみを慰め、落ち込みそうな気持ちを叱咤し、間違っていないと断言したのは誰だと思っているのですか?」
マリアンナがやってきたことは正しい。
間違っていないのだから、胸を張ってこれからも頑張れ、と。
そう言ったのは当然、
「わたくし達ですわ」
彼女を守るために動いた令嬢達。
同じ令嬢として当たり前の言葉だ。
「そろそろ皆様が間違っていることに、気付いていただけると非常に助かるのですが」
「それはあとでマリアンナに確認をする! だがしかし、イオレットが窃盗したことは間違っていないはずだ!」
どうやら問題を棚上げして別件で責めようとしているようだ。
イオレットがマリアンナを守ると言った以上、彼らが望む言葉を紡がれることは二度とないというのに。
「……殿下。この状況下において、そちらの言葉を誰が信じると思うのですか?」
呆れていいのか、憐れんだほうがいいのか判断に難しい。
しかも次の話題に上げたことが、また馬鹿らしい。
「誰がも何も、普通に考えれば――」
「――普通に考えたのなら、皆様が窃盗したのではないかと疑うに決まっているでしょう」
散々、言葉を返して立場を明確にしたというのに。
どうしてまだイオレットを疑えるのか。
「……まあ、仕方ないので説明致します。マリアンナはそそっかしいので、幾つかは落とし物として届けられていましたわ」
どうして彼女が落とし物をしたことを、窃盗と言っているのだろう。
「ですが見つからない物もあります。彼女の亡くなった母がくれたペンダントですわ」
マリアンナは男爵が平民の女性との間に産まれた子供だ。
母が亡くなった後、彼女が産まれていることを知った男爵が家へ連れてきた。
結婚前の出来事ということもあり、男爵夫人も受け入れて義弟とも仲が良い。
そんな彼女が唯一、産みの母との繋がりとして持っていたのがペンダントだ。
大事にしていることはマリアンナの家族も、イオレット達も知っている。
「彼女が行動した範囲を捜索しても見つかりませんでした。であれば〝誰か〟が拾ったか奪った可能性が非常に高い」
だから、とイオレットは強い言葉を言い放つ。
「この後、学園長の許可さえ下りれば皆様の部屋を捜索します。ご理解のほどを」
犯人はおそらく四人のうちの誰か。
そう考えるのが自然だ。
するとイオレットは一人の子息が僅かに身じろぎをしたことに気付く。
「……なるほど、貴方でしたか。宰相の子息ともあろう者が、随分と愚かな真似をしてくれましたわ」
そして、思い出したかのようにイオレットが言葉を付け加えた。
「ついでに関連として、ドレスが切り裂かれていた件についても追求致しましょう」
獲物を見つけたとでも言いたげな視線を、イオレットは宰相子息に向ける。
「わたくしが調べていないとでも思いましたか? マリアンナが大層ショックを受けていたというのに」
ドレスが切り刻まれるという非道な行為は、令嬢であれば心を痛める。
当然のことではあるが、イオレットの言い方ではまるで宰相子息が犯人のように言っていた。
フィルクは何を言っている、とばかりに反論する。
「それはたまたま彼が予備を持っていたから良かったものの、でなければマリアンナは大変な辱めを受けていた! 文句を言われるべきは――」
「――随分と脳天気なことを仰るのですね、殿下」
フィルクの言葉だけでも、大半の人間は疑いの眼差しを向ける。
それだけの失態を吐いたというのに、彼らだけが気付いていない。
「ちなみにわたくしがドレスに飲み物をかけたのは、聞いておられる皆々様は理由を察していただいているでしょうから、割愛させていただきますわ」
マリアンナを助け出すための緊急措置。
ただそれだけのこと。
「話を戻しますけれど、マリアンナの父母が用意してくれたドレスが切り裂かれていた。しかしその日、マリアンナが違うドレスを着てパーティーに出席していましたのは、同じく出席していた方々も覚えてらっしゃるかと思います」
ドレスが切り裂かれていたのは、パーティーの数時間前に発覚した。
招待されたというのに欠席してしまえば、それは大層な醜態になる。
だが偶然にもマリアンナは欠席という事態に陥らずに済んだ。
「さて、それはどうしてかと申しますと、何故か宰相の子息がドレスの予備を持っていたからですわ」
これだけで大方の予想は付く。
誰が何をやったのかを。
「婚約者でもないマリアンナが着ることの出来るドレスを、何故か、あの日だけ、たまたま予備として持っていた。これに対して反論することがあるのなら、どうぞ?」
周囲の人間はマリアンナと宰相子息の婚約者――ミレイの体格差を見る。
小さく細いマリアンナに比べて、ミレイの方が背は高く全体的にメリハリがある。
あまりに注視するのも失礼にあたるため、さっと見て同じドレスが着られないことだけを理解すると、再びフィルクと宰相子息に視線を向けた。
どのような言い訳をするのかを聞きたいからだ。
「そもそも、どうやってマリアンナの身体のサイズを知ったのですか? 入手経路も同時に教えていただけると助かりますわ」
イオレットの追撃に、周囲の視線は変態を見るかのような酷いものに変わった。
女性がわざわざ自分のサイズを婚約者でもない男性に教えるわけがない。
「さあ、答えを」
「…………」
再度の問い掛けに対してフィルクも宰相子息も言葉を紡がなかった。
フィルクにとっては想定していない言葉であり、宰相子息にとっては反論出来る言葉が咄嗟に用意できていないからだろう。
「あのドレスはマリアンナにとって、初めて貰ったドレスですわ。わたくしが淑女たる行動が出来ると太鼓判を押し、わたくしが認めたことを大層喜んだ彼女の両親が大喜びしてドレスを作り贈ったもの」
少しずつ歩きながら、イオレットは下から壇上を見据える。
「それを己が欲望と独占欲で切り裂き、自身の物だと知らしめたいが如く用意したドレスを着させた」
挙げ句に都合が良いとばかりにイオレットに罪をなすりつけた。
このような輩に対して、端的に言うのならば一つ。
「恥を知りなさい」
状況証拠とは、このような形で知らしめるものだ。
証人がいなくても証拠がなくとも、彼女が傷付いたことによって誰が得をしたのか。
そしてどうして得することが出来たのかを考えれば、限りなく正しい真実として伝えられる。
しかし当然、壇上の人間達は認めることが出来ない。
「さっきからぐだぐだと罪をなすりつけようとしているようだが、お前がマリアンナを殺そうとしたのは俺が見ている!!」
その中でも見た感じから実際まで脳筋の騎士団長子息が声を荒げた。
今すぐにでもマリアンナを殴り飛ばしそうなほど、怒りを見せる騎士団長子息に対してイオレットは、
「貴方は話すだけ無駄そうですが、暴力を振るわれるの嫌なのでこちらも準備はしていますわ」
合図を送ると、一人の少年がすっとマリアンナ達の前に現れた。
「イル。マリアンナをしっかりと守りなさい」
出てきたのはイオレットの弟。
四つ下の末弟であるイルが帯剣した状態で、マリアンナのことを守るように立っている。
イルは背後の令嬢に一度、笑みを向けた後に姉へ声を掛ける。
「姉上、僕は――」
「――イル。貴方は〝いつも通り〟でいなさい」
十四歳の末弟に対してイオレットは、周囲の人間が少し不思議がる言葉を使った。
けれど彼女達にとっては、それで十分なのか、
「分かりました、姉上」
特に何を言うでもなく、素直にイルは下がってマリアンナの前に立った。
イオレットは彼らの行動を見守った後、周囲に向けて声を張った。
「少々、無粋ではありますがお待ちを。もう少しで終わりますので」
茶番はあとちょっとで終わる。
そう言ったイオレットに周囲は僅かに顔を綻ばせた。
「イオレット・フェイタル! このような場所に武器を持ち出すなど――っ!」」
「勘違いなさらないで。元々、武器は用意していなかったのですわ」
本来はマリアンナがパーティーを楽しんでいる最中、騎士団長子息が暴れて襲い掛かってくることを想定して、イオレットの末弟であるイルは準備していた。
しかし茶番が始まってしまい、状況的に断罪めいたことをしているから慌てて武器を用意して彼は現れた、ということだ。
なのでイオレットも合図を送ったイルが帯剣していて、内心では驚いていた。
「というわけですから話を進めますが、わたくしが階段からマリアンナを突き落とした、というのは勘違いですわ」
そうだろうな、と周囲に人間は当然のように思う。
あれほどまでに悉くを反論した上で、マリアンナを守るように彼女達が立っているのだから。
「気を抜いたわたくしとマリアンナが悪かったのです。皆様がすでに帰ったと耳に入れていたので、マリアンナと一緒にいたのですわ。しかし階段を降りている最中に、そちらの横暴な殿方の声が聞こえ、慌てて逃げようとしたマリアンナが足を滑らせたのですわ」
なるほど、と壇上以外の人間が納得する。
今まで語った内容から考えれば、マリアンナは逃げようとするだろう。
加えて出会ってしまえば、懇意にしているイオレットに侮辱の言葉を並べるのは分かりきっている。
現に今、彼らはイオレットのことを侮辱しているのだから。
「階段から落ちたマリアンナに急いで駆け寄ろうと思いましたが、わたくしは殴られてしまって近寄れなかったのです」
と、その時だった。突然の言葉に周囲が耳を疑った。
公爵令嬢が殴られた、という事実に一瞬だけ理解が遅れる。
「覚えていらっしゃるでしょう? 『邪魔だ』と叫んだ貴方が、わたくしを殴ったのですから」
「そ、それは貴様が――っ!」
「右腕の骨にヒビが入ったのです。保健室に行って魔法で治療してもらいましたが、本当に痛かったですわ」
イオレットの暴露に周囲が息を飲んだ。
騎士団長子息が公爵令嬢に対して暴力を振るった。
これは完全に問題となる出来事だ。
「一応、婦女暴行ということで騎士団長にも一報は入れましたが、男爵令嬢の人権を無視した身勝手な逢瀬を火遊びと仰った方ですから、近衛騎士団長にも話はしておきました」
無理だとは思うが、事件自体を潰されてはたまらない。
だから決して話を潰さない人間にも伝えておく必要があった。
「当時は一応ですが殿下の婚約者でしたから、話は聞いていただけましたわ」
近衛騎士とは王族を守る騎士。
イオレットは貴族ではあるが、将来的に王家へ連なる予定だったが故に話をすることが出来た。
「公爵令嬢を殴り大怪我をさせたのに、罪はないと仰るつもりではないでしょうね?」
「貴様がマリアンナを殺そうとしなければ――ッ」
「だからといって、そもそもわたくしが罪を重ねていたとしても、騎士ですらない貴方が暴力を振るっていい理由にはなりませんわ」
騎士ですら私的な暴力を振るうことは許されていない。
だというのに、騎士でない者の暴力行為となれば問題でしかない。
「罪人であれ貴方が傷付けていい理由はない。もっとも冤罪であるのだから、無実の公爵令嬢に対する暴行罪でしかありませんわ」
要するに彼は罪人だ。
公爵令嬢に暴行を働き、大怪我をさせた。
イオレットが有罪であれ無罪であれ関係ない。
騎士団長子息は純然たる罪を犯した。
「というより保健室に行った時にマリアンナがいなかったので、顔が青ざめました。事情を知っているクラスメートの男子にどうにか探してもらって保護しましたが、心臓に悪かったですわ」
お姫様抱っこして怪我をしているマリアンナを連れ去った。
まあ、イオレットとしては行き先は同じく保健室だと思ったので遅れて行けば大丈夫だと思っていたが、そこに彼女がいなかったので慌ててしまった。
「あの、姉上。マリアンナ嬢はどこに連れて行かれたのですか?」
「彼の自室です。気を失っているわけではなかったのが幸いでしたわ」
慌てたイオレットの依頼を受けたクラスメートの男子が、急いでマリアンナを見つけ出し、連れ出す口実を作り、察したマリアンナが話を合わせた。
「……はっきりさせておいたほうがいいと思うのですが、その時にマリアンナ嬢は何をされて、何をされそうになったのですか?」
「身体を配慮なく上から下まで触っただけでなく、制服を脱がそうとしていたようですわ」
言葉の意味だけを捉えたら、完全に危ない状況だ。
騎士団長子息は大きな声を反論する。
「怪我の具合を確かめていただけだっ!!」
「マリアンナの許可を取らずに、でしょう?」
だから、とイオレットは声を発した後に壇上の四人に軽蔑した視線を向ける。
「皆様のせいで、マリアンナは男性不信に近い症状を患っていたのですよ」
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