春夏秋冬の章

asteain-ninia

秋 亜季の節目

 昔、昔から何かを忘れているような気がする。

 何時からだったかはわからない。何を忘れたのかも忘れている。でも、忘れたことだけは妙に覚えているような。

 それは忘れ物のような気もするし、物忘れのような気もする。

 いつもそんな焦燥にも似た気持ちが、私の胸の中には居座っていた。

 櫻の散り始める四月の中。私は新しい学校になじめずに居た。

 教室の扉を開ける先生も、談笑する女の子たちも、くだらないことで大笑いする男子も、なんだかそのどれもが画面の向こう側に在るみたいにぼやけていた。

 私に有るのはもしかしたらこの体と、今確かに触れている机だけなのかもしれない。

 このままではここから数年、全く友達もできずに終わってしまう。そう思い、勇気を出して話しかけて見ても、何故だか話は続かない。

 なんだか、例えにくいけれど、私は喋ったときだけ実体化して、その後徐々に透けていっているような。

 …もしも、この体が透明だとすると、私はどうなるのかな。

 誰にも見えない、触れもしない、私はなぜ地面を突き抜けていかないのだろう。

 透明になったとたん、靴も、地面も、服さえも私を場所に縛り付けなくなり、そのまま、

 落ちて、落ちて、落ちて…………

 不意に、ポケットの中の携帯電話が振動し、私は現実へと戻ってきた。

 何を考えていたんだろう。そう思いながら、携帯を取り出す。他の高校に行った親友からのメールだった。

『やっは!ごめんね、返信遅れて。

 それでこの前の話なんだけど、私ちょっと行けそうにないや><

 なんかその日ちょうど新歓があるんだって!部活の勧誘とかあるらしくって、出ないと入りにくいって先輩が言ってたの。

 だから、すごく残念だけどその日はいけないや、ほんとにごめんね!』

 どうやら、この前、春休みの終り頃に話していた集まりのことらしい。私も半分忘れていたが、それよりもなぜかこの文章に、異様な不快感を覚えた。

 異様だ。

 何故か、私は向こう側にいる彼女に、憎しみに似た感情を抱いていた。普段は何を言われても笑って許すくらいなのに。

 少し考えた後、これが嫉妬であると気づいた私は、すぐにそれをかき消すようにLINEを閉じだ。

 夏木は、私のものではない。

 自分に言い聞かせるために思ったこの言葉が、なんだか心をちくちくと痛めつける。

 それでも、彼女を独占したい、私だけの友達であってほしい、との感情が駆け巡る。丁度、さっきの焦燥にも似たような忘れの感情の空洞を。

 きっと、ずっと幼稚園から、小、中と一緒だったから、ちょっと喪失感を味わっているだけだ、大丈夫、大丈夫。

 胸に手を当てながら自分を宥める。そもそも、私が高校を内部進学せずに受験したから分かれたのだ、だから、私のせい。

 そうして嫉妬を握りつぶそうとしても、どうにもならなく、苦しい。

 逃げるように、私は教室から出た。


 それから数月、櫻の代わりに木の葉が散り始める九月の事。

 私と夏木は久々に二人で出かけていた。

「やー、ごめんね、GWには会おうって言ってたのにねぇ。」

 私の知るより少し髪が伸びた夏木がそう言う。

「夏休みも意外と合わなかったよね、どうしたの?あんなに忙しいって。」

 私が訊く、夏木は少し自慢気な顔で、こう言った。

「ふふん、それがねー。」

「私、全国絵画コンの高校部門で最優秀取ったの!」

 驚いた。そんな事、初めて聞く。

 何度かLINEで会おう会おうと話して流れていた裏で、彼女は私の遥かなる先を行っていたのだ。

「へ、へぇ、すごいね!何の絵?」

 内面、複雑な気持ちを押し殺して単純な感嘆の表情を作る。この一年で会得した愛想笑いだった。

「む、ほんとにすごいと思ってないしょー。ところでそういう亜季はなんか描いた?」

 見抜かれた。夏木の言葉が突き刺さる。

 そして、唐突に体が熱くなった。

 何事かと思ったが、そうかこれは自己嫌悪かと理解したとたん、今度は逃げたくなった。

「特にかなぁ、やっぱりすごいや、夏木は。」

 今度は、素直に素直にと心がけて発言する。

 夏木と話すのにこんなに気を使うだなんて、私と彼女は独占欲が産まれるほどの大親友だったのではなかったのか。

 そう言えば、夏木、手に持つ携帯電話にストラップがついている。

 元々あまりそう言う装飾に縁のないタイプだったので、珍しいなと思った。

 同時に、知りたくないような推察が浮かんだ。浮かんでしまった。

「そう言えば、そのストラップどうしたの?」

 気がつけば訊いていた。

 その答えなんてわかっていたはずなのに。

「ああ、これね、この前彼氏から貰ったの!」

 一瞬、頭が真っ白になった。何と身勝手だろう、かつての親友に恋人ができて、こんなに動揺するなんて。

「あーそうなんだ、あれ、彼氏なんていたっけ?」

 不思議と冷静に返せた。まるで壊れたハンドルが軽く回るような感覚だった。

「そうそう、言ってなかったね…」

 夏木はそう言って携帯を操作して、一枚の写真を開き、画面を私に向けた。

「この人この人、ねぇ、かっこいいと思わない?」

 そう言うその画面には、顔を腕で隠そうとしている一人の男子生徒が写っていた。

 少し長めの髪、耳の上のヘアピン、それに、夏木と同じ制服、色の違う校章。

「冬樹先輩?」

「大正解!」

 ヤな予感が当たる。冬樹先輩、飛沢冬樹。私とも夏木とも仲の良かった春花の兄だ。

 いよいよどろどろとしてきた。親友の彼氏がもう一人の親友の兄とは。

「でね、この前冬樹がね……」


 あっという間に夕方になった。夏木に夜に絵の用事があると聞いて、もうお開きにしようという話になる。

「じゃあね!また今度会おうね!」

 そう言って別れた。夏木は駅に続く大通りへと、私は反対の住宅街へと。

 分かれてすぐに、予報にはなかった雨がしとしとと、そのうちにざあざあと降ってきた。

(やっば…傘持ってないのに。)

 何とか、大して濡れる前に家に帰りついた、すると、待っていたかのように雨脚は弱まっていく。

 秋雨は、夏の終わりを告げた。

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