まったくの徒労
普段、わたくしはこういう考え方はしない。
万一、自分の行為が全くの勘違いだったとしても、「その方法は勘違い」と認識に至った過程として評価する。迷子になっても、目的地にたどり着ければいいのだ。(実際、たどり着けないこともあったけれど)
しかし、今回は母が保土ヶ谷警察署まで出向き、その後地元の警察署に行ったら。
わけを聞いてくれた警察は「昨日の聞き役は相談員」で、警察ではない、という情報をもたらした。
どうりでおかしなことがあると思った。
相談したとたん、椅子から立ち上がり、上から目線でものをいい、わたくしがいつものように、相手の言葉を先取りしていると、自分のお株をとられたとばかり、「うるさい!」と恫喝した。おお、これが悪徳警察か、あんたステレオタイプだねえ。と、思った。
件のリフォーム業者を「知能犯」と言ったのは正解だと思うが、それを保土ヶ谷警察署まで、母がわざわざ行って確かめようとは思いもしなかったのであろう。
悪いがこれ以上やられると母がパンクする。だから、あくまで普段通りにしようとする母をおいて、わたくしがフライング的に「警察へ行く」と言って、家を出て、途中、資料を持って出なかったことに気づいて、すごすごととりに帰るなどのハプニングはあったものの、自宅のインターフォンで母に、
「資料持ってきて! 証拠! 物件! 早く!」
と切れる息を整えもせず呼びつけ、資料を持って出てきたところを腕をひっぱって警察まで行った。
「夕飯が、私とおばあちゃんの夕食作らないと」
っていうから、
「私の(という名目で買っておいた)寿司を半分こして食べればいいよ。私は自分で食べるから!」
と言って、とりあえずは母と二人で、家から警察署までノコノコ出向いた。
途中、母が道路交通法を無視した行為を勧めるので、「駄目! だめ!」と言って、遠くの信号付きの横断歩道を渡って行った。
制服を着ている、警察署の前に立っていた、白いマスクをした風邪ひきの警官に挨拶。
「どうも、お世話になってます」
母は、昨日と違う人物におじけた様子。
なにせ、もう、同じ説明を何回もし続け、そのたびに言いたいことを飲みこみ、フラストレーションがたまっていたのだろう。
しかし、わたくしの見た限りでは、この警官はお話ししたなかで二番目に感じのよい人だ。ちゃんと以上にちゃんと聞いてくれるし、テンポもよく引き出しも多い。気の毒に、数日間、調子がよくないと言って、咳をしていたが、話の内容はよく記憶してくれていた。
母も安心して話せるに違いない。
「この人は安心。ちょっと怖いけど。キムタクに雰囲気似ててイケメン」
という認識。
心配に心配を重ねるわたくしに、
「それは心配しすぎ」
と言って、もし明日隕石が降ってきたらどうしようってくらいの心配しすぎ、と言って笑わせてくれた。
「それは詐欺にあったらどうしようってレベルの話でしょ? しかも、お金払うのはあなたじゃない、お母さんが来るならまだしも」
という話だったので、今日は連れてきましたよ、と。
母も、
「それは詐欺じゃない。――請求が来ました。だからと言って、払いますか普通。払わなきゃいい。この書面も重要な証拠だし、こんなの残すなんて……」
まあ、うっかりやの詐欺師だこと、で済まされそうだった。そこでわたくし、まぶたを押さえ、一考する。
話の流れが停滞しかけたところで、やおら顔をもちあげ、きりこんだ。
「もし、彼が、うちの家の前で自殺なんてしたら、こちらはたまったもんじゃないんです」
「?」
警官はわけがわからない、という顔だった。しかし、わたくしは請求書と一緒につきつけられた書面を2ページ目から読んでください、と言ったあとで、
「頭おかしい……」
と呟いておいた。伏線だ。さあ、回収にかかるか。
「彼がうちの前まで来て、自分の胸をグサ! うあー! って自殺したら! うちの前で! そしたら、うちは事故物件です」
少しはこちらの恐怖が伝わったろうか。そう、母はそういった、嫌がらせを恐れて、業者に強く出られなかった。
警察は意外そうなので、わたくしは続ける。
「埼玉の物件でそれを、やられたら、母の物件は事故物件になってしまう。そういう怖さがあるんですよ」
なになに? という顔で、改めて母の顔を見る警察。とたん、強く咳き込むから、
「大丈夫ですか?」
と再三聞いたが、返事は、
「ここ数日、調子がよくなくて」
ということだったので、思わずわたくし、
「調子のいい人いないのか……」
と呟いてしまい、資料をまとめ始める。
ここからは、母のこれまでの恐怖にもとづくあれやこれやが、語られる。
わたくしは資料を持って、入り口の前に立ち、母がついてこないのを認めると、深々と礼をとって、警察を後にした。
これで、警察も母のシリアスさに気づいてくれただろう。
母も、警察にもいろんな人材がいると、気づいてくれるとうれしい。
みんな、話してみなければわからないのだ。
わたくしは家に帰る途中、頭に熱気が上がるのを感じて、思わず天を恨んだ。
「詐欺だ……セキハウジング」
そうつぶやいて、よろめきつつ角を曲がり、うずくまった。
「頭痛い……」
電信柱に右手をついて、こっそり泣き言。
そうやっていても、だれも助けてはくれない。わかっていたはずじゃないか。
大丈夫だ。ああ! まだ、立てる。やり遂げてみせる。戦い抜く。だが、まだ母が盤面に上がっていない。あるいは彼女が盤面に上がらずとも、ひょっとして白黒つけなくとも構わないのかもしれない。それでも。
この足を使って、母の時間を稼ぐ。母の体力と気力を回復させ、核心に近づくための道のりをショートカットさせる。
母はもう、年だ。ローン返済だけのために、馬車馬の如く働かせるには、忍びない。そのうえ、知り合いの業者に脅されるなど、許されることであろうか!
励ますさ! なぐさめる。そして諭す。弁護士もいろいろ。警察もいろいろ。あきらめずに進もう、と。
これは徒労ではなく、実績を積むための、なにがしかの経験であったという、証を得られる日が来ると、信じる。
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