第55話 それは、蜜のような痛み 2

 *


 気がつくと、蜂巣病院にいた。病室のパイプベッドに寝かされている。

 すでに、夜が明けていた。ベッドの枕元で、母がイスにすわって、うたたねしている。


「お母さん……」


 声をかけると、母が目をさます。


「ああ……柚子葉。あんた、なんともないの? もう大丈夫?」

「うん。痛くはないみたい」


 痛みは、おさまっている。

 ただ、自分の身に何が起きたのか、わからない。


「ねえ、わたし、病気なの?」


 母は、ため息をついた。

「あんた、もう少しで左腕切断しなくちゃいけなかったんだよ。なんで痛かったんなら言わなかったの?」

「切断?」


「この前、予防接種した針のあとが、化膿かのうしてたんだって、お医者さんが。抗生物質、点滴されたから、もう治ってるはずよ。今日明日は、ようす見で入院しましょうって言われたからね」

「化膿……」


 そういえば、叶美から聞いた都市伝説が気になって、あのあと、ひんぱんに針あとをさわっていたかも。


(なんだぁ。それだけのことか)


 自分の身に、何かとんでもないことが起こっているような気がした。


 ほっとすると、また眠くなった。

 うとうとして、夢を見た。夢のなかで音を聞いた。ブーン、ブーン……と、モーターのような音が、高くなったり低くなったりしている。その音は柚子葉にまといついてくるように、しつこく、しつこく続いていた。


 目がさめると、夕方になっていた。西日が強い。帰りじたくをしている母を見て、あわてる。


「お母さん?」

「じゃあね。明日の今ごろになったら迎えに来るから」

「えっ、ちょっと待ってよ」

「ここに着替えも入ってるからね」


 母は、そそくさと帰っていった。まあ、家には父や妹もいる。夕食のしたくもしなければならない。


(はあ……ヒマぁ……)


 意識がないあいだにつれてこられたので、マンガもなければスマホもない。しょうがなく、柚子葉は病院のなかを歩きまわった。小銭だけは母からもらってたので、自販機を探して、うろうろする。


 あれ?——と思ったのは、ろうかを歩いているときだ。


 見知った人が前を歩いている。同じクラスの住谷奈苗すみやななえだ。パジャマを着てるから、お見舞いに来てるわけじゃない。そういえば、奈苗は一週間ほど学校を休んでいる。インフルエンザにかかったからって話だった。

 すごく仲よしってわけじゃないが、こんなときは話し相手になるなら、誰でもいい。

 柚子葉は奈苗のあとを追いかけた。奈苗は、まがりかどの向こうに消える。


「——待って。住谷さん」

 呼びかけながら、かどをまがる。

 奈苗は一番近い病室に入るところだった。


 あそこが、奈苗の病室か——

 ほっとして、歩調をゆるめる。


 病室の出入り口に立ち、なかをのぞいた。声をかけようとして、柚子葉は、ハッと口をつぐむ。


 奈苗一人じゃなかった。そこは四人部屋のようだ。だが、使われているのは、奈苗のベッド一つ。


 ただ、そのまわりに何人も高校の制服を着た男女がいる。イスにすわったり、ベッドに腰かけたり、あるいは立ったままで、微動だにしない。みんな、マネキンみたいだ。


 異様なふんいきに、柚子葉は言葉を失った。


(一組の高木さんだ。それに里田さん。氷上くん……)


 急に成績があがったメンバーだ。ほかにも何人かいる。その生徒たちが、ひとことも言葉をかわすでもなく、ただ、じっと目を見かわしている……。


 なんだか、薄気味悪くなって、柚子葉は、そっと奈苗の病室を離れた。




 *


 逃げるように、奈苗の病室から遠ざかるうちに迷ってしまった。


 柚子葉の病室は内科の一階にある。だが、歩きまわるうちに、うっかり、地下に来てしまっていた。地下は昼間でも薄暗くて、気味が悪い。早く、自分の病室に帰りたいのに、さっき、おりてきたはずの階段が見つからない。


 すると、一か所だけ、とても明るい場所があった。ドアのすきまから光がもれている。


 柚子葉は、そこへ近づいていった。照明がついてるということは、少なくとも人がいる。階段かエレベーターの場所を聞こうと思ったのだ。


 近づいていくと、ドアにはカギがかかっていた。ドアの上部にガラスの小窓があり、なかをのぞくことができる。


 なかは研究施設のようだ。理科室みたいな実験道具が、たくさん置かれている。かべぎわには背の高い棚が作りつけられていて、試験管みたいなものが、ビッシリならんでいる。


 白衣を着た人が数人、室内にいた。たぶん、病院の患者の血液検査とか、尿検査とか、そういうことをする場所なんだろうと、柚子葉は考えた。


 とにかく、なかの人に階段の場所を聞こう——


 そう思って、ドアをたたこうとしたとき、足音が近づいてきた。同時に話し声も。


「——109の患者ですか? 今のところ落ちついてますが」


 109? わたしのことだ——


 とっさに、柚子葉はまがりかどまで後退した。なんとなく、その話し声には、他人に聞かれることをはばかるような響きがあったのだ。


 足音は近づく。反対側のまがりかどから、医者とナースが現れた。


「今夜、もう一度、移植してみよう。まれに適合しない患者がいるからな。あんなケースもあるだろう」と、医者が言う。


「わかりました。アンプルはアルファですか? ベータですか?」

「シータだ」

「……シータは、まだ臨床結果が出ていませんが?」

「かまわん。どっちみち、いずれ実験しなけりゃならんからな」


 ゾクッとした。

 話の内容は、さっぱりわからないが……危険な予感がする。


(もしかして、わたし、人体実験されようとしてる?)


 とんでもない病院に来てしまった。


(でも、それって、頭がよくなることと関係あるんじゃ……?)


 わからない。わからないけど、今ここで、医者たちに見つかると、マズイということだけは、わかる。


 幸い、医者とナースは、そのまま、例の研究室に入っていった。


 柚子葉は、その前をそっと通りすぎ、医者たちのやってきたほうへ逃げだした。少し進むと、エレベーターがあった。とりあえず、一階まで戻ってきた。


(なんだったんだろう……あれ?)


 むしょうに怖い。

 今すぐ、うちに帰りたい。


 ナースステーションから、看護師が、じろじろ、こっちを見ている。エレベーターが地下から上がってきたところを見られたのかもしれない。


 いきなり背後から、ぽんと肩をたたかれた。ビクンと心臓がちぢみあがる。あやうく、悲鳴をあげるところだ。


 でも、聞きなれた声。


「木下さん」

「氷上くん!」


 知った顔を見て、ほっとした。


「よかった。氷上くん。わたし、あなたに聞きたいことがあって」

「何?」

「ここじゃ、ちょっと。わたしの部屋に来て」


 氷上をつれて、109号室へ入る。

 あたりに誰もいないのをたしかめると、いきなり本題に入った。


「氷上くん、この病院の都市伝説って知ってる?」

「知らない」

「ここのインフル予防うけたら、頭がよくなるんだって! 氷上くん、このごろ、テスト満点ばっかだよね? それって、この病院で予防接種したからなの?」


 あっけなく、氷上はうなずいた。


「そうだよ」

「やっぱり……」

「ふうん。そんなウワサになってるんだ」

「その注射されたとき、変なことなかった?」

「変なって?」

「とつぜん、痛みだしたり」

「べつに、なかったけど」

「でも、人体実験されたでしょ?」

「何それ?」


 柚子葉は迷ったけど、思いきって、さっき地下で見聞きしたことを話した。すると、氷上は笑い声をあげた。その姿は、以前どおりの氷上で、柚子葉をほっとさせる。


「木下って、想像力ゆたかだね! てか、妄想癖?」

「妄想って、そんなんじゃないよ。さっき、ちゃんと聞いたんだから」

「アンプルって言ってたんだよね? それ、たぶん、インフルの予防接種のことだ。木下、この前のが効かなかったみたいだから、別のタイプので、やりなおすってことじゃない?」

「えっ? インフル?」

「うん。インフルエンザって、A型とか、B型とか、いろいろ、あるだろ? その年によって流行る型が違う」


 インフルエンザに型。

 それは……あったような気がする。


「ええっ! なんだぁ、それだけ? わたし、すっごいバカみたい!」

「病院は変なふんいきあるから、怖くなっても、しかたないよ」

「そうだね。ありがとう」

「なんなら、明日、また見舞いに来るよ」

「ほんと? 待ってる」


 氷上は手をふって帰っていった。二人の距離が近づいたようで、なんとなく嬉しい。前は、そんなに意識してなかったけど、今の氷上は妙にカッコイイ。顔立ちが可愛いのは知ってたが、あんなに整ってたっけ? それに、優しい。


 さっきまでとは、うってかわって、柚子葉は有頂天になった。


    

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