第55話 それは、蜜のような痛み 3
*
病室に夕食を運んできたとき、ナースが言った。
「木下さん。このあと、インフルエンザの予防接種、やりなおすから待っててね。この前の注射は木下さんにはあわなかったみたい」
氷上から聞いてたので、柚子葉はあわてなかった。
「はーい」
素直に返事をすると、看護師は出ていった。
二十さいくらいの若い女の看護師さん。けっこう美人だけど、やたら背が高い。
どうでもいいけど、この病院の看護師は、みんな、なんとなく、容姿が似てる。ちょっと、男か女わかりにくい中性的な顔立ち。
一人になった柚子葉は、トレーに載った病人食を、ひとくち、ふたくち、口に運ぶ。でも、すぐに、ハシをほうりだした。
(病院のごはんってマズイんだよね)
たしか、受付の近くに売店があった。そこで菓子パンでも買ってこよう。柚子葉は小銭入れを手に売店へ向かう。
菓子パンとジュースを買って、売店を出たとき、そばに公衆電話が置かれているのを見つけた。
めずらしい。今どき、公衆電話なんて、めったに見ない。ふだんなら見向きもしないが、スマホがない今、これは貴重な外部との連絡手段だ。
小銭入れのなかに十円玉が何枚かあった。百円玉も数枚。
ヒマつぶしに、叶美と話したくなった。叶美は塾にも行ってないし、この時間なら家にいるはず。叶美のスマホの番号を押すと、電話がつながった。
「叶美? あたしだよー。今ね、入院中なんだぁ。もうヒマでヒマで——」
ふつうに話しだしたら、向こうから、急に大声でさえぎられた。
「柚子葉なのッ? 入院って、もしかして、蜂巣病室なの? そこ、ヤバイよ! 逃げたほうがいいって」
「……えっ?」
また、からかおうとしてるのか?
柚子葉は、とまどう。
「もう、その手には、のらないよ? おどかそうとしてるんでしょ?」
「そんなんじゃないよ。高木さんが死んだって! さっき、ヒロミから聞いたんだけど。あそこのお母さんがパートから帰ってきたら、冷たくなって息してなかったらしいよ。今、ラインじゃ、すごいことになってる」
「高木さんが死んだ? でも、あたし、昼間、見たけど。ぜんぜん、ふつうだったよ?」
じっとしたまま動かないのが普通だとしたら……だが。
「とにかく、蜂巣病室はヤバイって。絶対、急に成績あがったことと関係してるよ。インフル注射のせいだって」
叶美のあせった声が聞こえてくる。
そのとき、急に、プツンと通話が切れた。忘れてた。公衆電話はお金を入れないと切れてしまうんだった。
もう一度、電話しようとしたが、サイレンが聞こえてきた。
病院の入口に救急車がよこづけされる。ガラガラとストレッチャーが運びこまれてくる。そこに、よこたわる人を見て、柚子葉は、がくぜんとした。高木だ。今まさに電話で話題にしていた高木。その顔色は青というより、緑色がかって、どう見ても死人だ。
「しおり! しっかりしてェー! しおりィー」
高木の母親が泣きながら、ストレッチャーによりそって走るのが見えた。
そこへ、院長の蜂巣がやってきた。
「お母さん。大丈夫ですよ。これは仮死状態です。数時間で息をふきかえしますから」
「でも……でも、こんなに冷たいんですよ? ほんとに大丈夫なんですか?」
「大丈夫。安心して、こっちへ来てください。娘さんは今が大事なときですからね」
そんなことを話しながら、一団が通りすぎていく。
その集団が見えなくなったあとだ。そばで見ていた看護師の一人が、つぶやいた。
「ヘンタイキに入ったのね」
へんたいき?
なんのことだか、柚子葉にはわからない。
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