第53話 タバコ屋
実家の近くには古いタバコ屋がありました。
私が子どものころには、よく祖父や父のお使いで、タバコを買いに行かされたものです。当時は未成年に対しても、かんたんに売られていたんですよ。
大人になってからは、自分がタバコを吸わないもんだから、あまり、そのタバコ屋のある細い路地へ入っていくことがありませんでした。
私は大学で県外へ出て、そのまま、そっちで就職したので、実家に帰ることが少ないせいもありましたがね。
なんとなく、そこへ行くのがイヤだったんですよ。
というのも、タバコ屋のとなりに、これまた古いお社がありまして。鳥居の奥に階段があって、そのさきは、ちょっとした森です。昼でも、なんとなく暗くて薄気味悪いんですな。
当時は子どもだったから、わけもなく怖がっていただけだと思うんですがね。大人になっても、ついつい、さけていました。
ところが、ある盆休みに実家へ帰ったとき、親父のやつが、ねんざしましてね。どうしてもタバコが吸いたいから、おまえ買ってきてくれって言うんですよ。
いい年して、暗がりが怖いからイヤだなんて言えないじゃないですか。しかたなく、お使いに行くことになりました。夕飯前の七時ごろです。
その路地のなかへ入っていくのは何年ぶりだったでしょうか。夏のことだから七時なんて、まだ夕方ですよ。あたりは、ほんのりと明るいんですな。
路地の手前に何軒か家があって、その向こうにタバコ屋。例の薄気味悪い森も見えました。あいかわらず、うっそうとして、なんかイヤぁな感じがするんですよね。
まあ、とにかく、タバコ買うだけなんで、急いで店の前まで行ってみました。
入口はしまっていましたが、通りに面した窓はあいていました。ちょっと出窓になった、昔ながらのタバコ屋に、よくあるやつです。
タバコ屋のおばさん、まだ元気にしてるんだろうかと考えながら、なかをのぞきます。薄暗い店内。いわゆる土間になっていて、その奥に障子が見えています。
「こんにちは。タバコ欲しいんですが、どなたかいますか?」
すると、ガラリと障子があいて、女が出てきました。今どき珍しく着物を着ています。
子どものころ、お使いに来たときに店番をしていたおばさんではないようでした。もっと若いし、けっこうキレイな女です。
「タバコください。そこの銘柄。一カートン」
私は商品を指さしました。
女はうなずきましたが、なぜか障子の奥へむかっていきます。
「ちょっと、あの?」
一カートンなんて言ったから、在庫が表になかったのかな?——私はそう思い、その場で待ちました。
あたりは急激に暗くなっていきます。
すうっと足元を風が吹きぬけていったので、私はふりかえりました。
なんでしょう?
どこかから音が聞こえてきます。
カラン、カラン。カツン。カツン。
私は音の正体を探しました。
見まわすと、どうやら、となりの神社からのようです。森のなかから音がひびいてきます。
カラン。カラン……。
境内に続く石段から人がおりてきます。白い着物を着て下駄をはいていました。聞こえていたのは下駄の音でした。
それにしても、私は寒気がしてたまりません。
なぜでしょう?
女の姿は妙に暗闇のなかでも浮き立ち、ふわふわとただよっているように見えたのです。
カラン。カラン。カツン——
女は石段をおり、少しずつ近づいてきます。
そして、女が近づくにつれて、すうっ、すうっと、冷たい風が吹いていきました。
「おい、タバコ、まだか?」
私は店のなかへ声をかけました。
とにかく、あの女がそばに来る前に、この場を離れたい。その一心です。
ようやく、障子の奥から店番の女が出てきました。
でも、その姿を見て、私はギョッとしました。着物が白い。うつむきながら、こっちへ向かってくる姿は……。
カラン。カラン……。
女が顔をあげました。
その顔は生きている者のそれではありません。
わあああッと叫んで、私は走りだしました。
いつのまに店番が、あの女に変わってしまったんだろう? それとも最初から同じ女だったんだろうか?
背後から、カツカツと下駄で走るような音が追ってきます。
私は無我夢中で逃げました。
路地から大きな通りに出ると、とたんに下駄の音は聞こえなくなりました。
家に逃げ帰った私は、きっと、とんでもなく青い顔をしていたに違いありません。心配した父が聞いてきました。
「どうかしたのか?
「なんでもないよ」
「タバコは?」
「……なかった」
さっき体験したことを口に出すのも恐ろしかったのです。私がそう言うと、父は首をひねりました。
「ふうん。コンビニでも置いてないことがあるんだな」
「コンビニ?」
「あれ? そこに行ったんじゃないのか? 前にタバコ屋があった場所、コンビニになってたろ?」
では、あのタバコ屋はいったい、なんだったのだろうか?
たしかめに行く勇気は、私にはありませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます