対立

 あの後俺は記憶の奥底を必死にかきだして、庭の植木鉢の下に合い鍵があったのを思い出した。それによって彼女の親とのエンカウントを避けることができたのだ。


 もしも彼女の両親と遭遇することがあったならばいろいろと面倒なことになっていただろう。昔の男友達とはいえ、愛娘が病気でせっている時に上がり込んでいるのだ。とても褒められるような状態ではない。


 例外として彼女が俺との関係を話していてくれたのならば別だが、それは期待しない方が良いだろう。何故ならば彼女は俺の事を好きだなんて思ったことは無いのだから。

 ……思い返すと気が落ち込むな。


 そんなこんなで窮地を脱した俺は、無事に翌日を迎えた。普段通りの時間に家を出て、通学路を歩き、教室に入った。唯一違う事は、たった今――


「で、では今後のクラスの動きについて説明したいと思います」


 こうして教壇に立っている事である。


「声が小さいぞー!」なんてヤジが絡みのある男性陣から次から次へと飛ばされて来た。やかましい。特に秀斗は意気揚々としている。あの野郎あとで覚えてろよ……。

 確かに、彼女の言葉を聞いていたのは自分しかいない。見舞いには一人で行ったのだから当然だ。俺には彼女の言葉を伝える義務がある。故に報告までは不本意ながら請け負うつもりでいた。

 だが指揮を執るなんてことは昨日の時点ではこれっぽっちも聞いていない。


「でも、その前に聞きたいんですけど……俺がやるの? 現場指揮」


 自分の胸を人差し指で指して周りの人間に問う。当然と言わんばかりに頷く男性陣。女性陣はバツが悪そうに目をそらした。最後に担任に目を向ける。


「反対意見もないみたいだから川田君、しばらくの間お願いするね」

「ちょっと待って下さいよ。俺の意見は!?」

「でも、これ以上ここに時間を使っている余裕なんてないでしょう? それに川田君、自分の作業終わって暇そうにしてたじゃない」


 ごもっとも。昨日の見舞いも暇そうにしていたから任されたのだ。勿論、家が近かったのもあるが。断れる大義名分の持ち合わせがない。

 それに、もし俺が無事彼女の代わりを務めることができたのなら――俺を見る目が変わるかもしれない。そう考えるのであれば、この仕事を請け負うだけのメリットがある。

 俺は先生に「わかりました」と伝えて、再び教壇からクラスメイト達を見下ろした。


「じゃあまずは報告をします。昨日、に会って来ました。いろいろと指示を貰ったのでまずはそれから」


 小道具、事務そして役者それぞれの確認を終えてからノート片手に報告を始めた。


  ▼


 直接的な仕事はあまりない。だが間接的な仕事は山ほどあった。彼女のノートに乗っていた『やるべきことリスト』よると過半数は終わっていたけれど、それでも尚やる事は多い。彼女はこれに加えて図書委員の仕事もこなしていたというのだから、倒れたのも納得だった。


「なあ、カントク。この小道具なんだけどさ」

「秀斗、その呼び方やめろ。最近他の奴にまで呼ばれ始めて面倒なんだ」

「いいだろ別に。実際にお前は現場監督だろ?」

「千恵が戻ってくるまでの俺は代理だ。彼女の手腕には到底及ばない」

「そう言うなって。代理でもこれだけ回れば十分だろ。急に渡された役目にしてはよくやってるよ、お前」


 秀斗は肘で俺のわき腹をつついた。

 俺は千恵ほど優秀ではない。自分にできる事なんてたかが知れていると言う事を知っている。それ故にまわりに情報を回し、分担できる作業は分担した。結果として何とか作業が続けられていると言った具合である。


「……まあいい。それで、何を聞きたいんだよ?」

「ああ、これなんだけどな――」

「ちょっと川田」


 秀斗の声を遮って、高い声が割り込んだ。俺達は視線を声がした方向に向ける。

 その女性は腰まで伸びた金髪を揺らしながら近づいて来た。ドギツイ目付きは俺達に圧をかけてくる。作美真奈。今回の台風の目。千恵が体調を崩した原因だ。

 正直、このまま逃げてしまいたい。彼女みたいなタイプは苦手なのだ。不真面目で、常に空気を乱し続ける。まるで書物に出てくる暴君のような人間は。

 ……まあそれも俺みたいな下っ端から見た印象に過ぎない。上の方から見ると案外いい子だったりするのかもしれない。俺の目線は偏見に満ちているからな。千恵への件もあったことだし。

 何はともあれ、話しかけられたのだから、会話はしなければならないだろう。


「悪いな。今こっちで話をしているから、それが終わったらでいいか?」

「緊急なの。口答えしないで、そっちのと違って忙しいんだから」


 間を取る事すら許されなかった。隣の秀斗がピクリと眉を動かした。そっち呼ばわりされたのが苛立ったのだろう。


「……わかった。それで何? 緊急って」

「実行委員の仕事を手伝って欲しいんだよね」

「実行委員の? どうして」

「人が足りないんだよねー。今日中に終わらせないといけないことがあって」

「それで、俺を引っ張り出そうって事か」


 問いかけると作美は頷く。

 つい先日までの俺ならば渋々頷いたかもしれない。でも今は違う。ダメだ。ようやく現場に指揮官の代理が立ったのだ。それが数日と持たずに離脱するなんてことはあってはならない。

 そんな事をしてしまえば現場は再び混乱状態。作業はまた中断されてしまう。彼女、千恵の見る目を変えるという目的のためにも彼女の提案を受けることはできないのだ。

 故に俺は首を振りながら答える。


「駄目だね。この間までのクラスの状態は知ってるだろ」

「そうは言っても、クラスより学校全体の作業の方が大事っしょ。学校無くしてクラスは無い。アタシの言う事、間違ってる?」


 作美は何の疑問を持たないまま、当たり前の様に言葉を投げかけて来た。俺はズボンの袖を強く掴む。

 何が学校の為だよ。お前がそう言って千恵に仕事を回さなければ倒れることは無かっただろうに。これは個人的な感情だ。抑えるべきものなのは分かっている。でも、ここで引くのはなんだか腹立たしかった。


「……全体の目線だけで言うならばそうかもしれないな。でも、俺にその仕事を求めるのは違うだろ。お前は文化祭の実行委員。まあ、代理だけど俺はクラスの指揮者。だから俺の手の出せるのはクラスの範囲内だけ。お前らだけで解決するべきだろ。これは間違ってるか?」


 お互いに睨み合う。作美の細い目がより鋭くなっている気がした。眼を離したら負けだとでも思っているのか、彼女はなかなか目を離さない。彼女も折れる気は無いようだ。

 そんな意地の張り合いに大きな手の平が割って入った。


「まあまあ、二人ともその辺にしてくれよ」


 俺たちの間に一人の人物が間に入った。いつもの様にうっとおしく、長い髪をかき上げて。高い背丈で見降ろしてくる。


浩紀ひろき……」

「このままじゃ埒が明かない。クラスの仕事がヤバいのも、実行委員の仕事が詰まっているのも事実だ」

「実行委員はともかく、クラスの方は確かだな。でもどうするんだよ。全部解決できるウルトラCは存在するのか?」

「ウルトラC? なんだよ、それ」

「悪い死語だった。すごい手段と思ってくれればいい」


 籠島からの問いにそう返した。店のおじさん達の語彙が移ってしまっている。


「ああ、成程ね。そういえば俺も父さんから聞いた事があった気がするわ」


 籠島は納得がいったように頷くと言葉を続けた。


「じゃあそのウルトラCとして、俺の出張を提案する。俺は役者班だし、仕事は家でもできる。真奈と川田もそれで良いだろ?」

「浩紀がいいなら、それでアタシはいいけど」

「俺も問題ない。ちゃんと台本を覚えて、実演できるならの話だけどな」

「ああ、頑張るよ。行こう、真奈。時間ないんだろ?」


 籠島は作美の肩を叩いて、二人そろって教室から出て行った。

 隣で散々無下にされ続けていた秀斗は彼、彼女らが立ち去ってからあからさまに舌打ちをした。表裏の差分が少ない彼ではあるが、ムカつくことはムカつくらしい。

 結果として籠島には助けられてしまった。彼は何を思って助け船をだしたのだろう。作美の様に分かりやすく好意を抱いているという訳でも無いだろうし……。

 考えたけれど、俺は人の考えを覗ける訳でも無い。だからその思考を取りやめて、作業に戻った。


  ▼


「へぇ、そんなことがあったのか。君にしては珍しいね」

「珍しいって何が?」

「そうやって対立するのが。草食どころか、リン酸とかカリウムとかを吸収してそうなものなのに」

「俺は農作物かよ」


 彼女、千恵はベッドの上でクスクスと笑って見せる。

 俺は再び彼女の見舞いに来ていた。日付が開いて、彼女はこの間より余裕がある。どれぐらいかと問われれば、今はこうして俺を弄る具合にはと答えられるだろう。

 マスクもしていないし、横になっていない。更に言えば肌色は赤から白へと近づいている。弱っている時は吹けば消えてしまうかのような儚さが魅力的だったけれど、今は普段通りの力強さが戻って見る影もない。

 またしばらく彼女と二人きりの時間が取れなくなってしまう。そう思うと、この時間が名残惜しかった。


「まあともかく、俺は作美あいつの考え方に賛同することができなかった。自分の仕事は自分でやるべきだ。他人に押し付けるのは違う。あいつがそんな事をしてなければお前だって――」


 こうやって病欠する羽目にならなかっただろうに。

 そう言いかけて、飲み込んだ。これは抑えるべき感情だ。そう教室でも結論付けたはずだ。このまま呑み込んで消化してしまうべきなのだと。

 こういった感情だけで行動する姿は彼女の好むものでは無いはずなのだから。

 俺が悩んでいると、彼女は微笑みながら口を挟んできた。


「そうだね。君の考え方は間違っちゃいない。でも、彼女が間違っている訳でも無いよ」

「……どういうことだ?」


 途中まで賛同してくれると思っていた。けれど彼女はどちらの肩を持つことなかった。その真意を知りたくて、俺は聞き返した。


「考え方とか優先度の違いだね。小さな集まりを重視するのか、大きな集まりを重視しているのか」

「俺が小さい方で、あいつが大きい方か」

「そう。今の社会的に考えれば、大きい方が近年では優先されているね」

「だから、俺が間違っていたって言いたいのかよ」


 俺は不貞腐れ気味にそう聞き返す。彼女に突き放されてしまったような気分になったからだ。でも彼女の言いたかったことは違うらしく、首を左右に振った。


「それは違うよ。最初に言っただろう? どちらも間違っている訳ではないってさ」

「分からないな。何が言いたいんだよ、お前は」


「そうだな――君は、『功利の怪物』という思考実験を知っているかな?」


「功利ってのは聞いた事がある。あれは歴史の授業だったな」

「そうだ、功利主義。個々よりも社会全体の幸福度を重視する考え方なんだけど。その問題点を指摘した思考実験、それが『功利の怪物』だ」


 入口の説明を終えた彼女は続けた。

『功利の怪物』、ある科学者が創り出した怪物は普通の人より数千倍に幸福度を感じることができるとする。

 例えば、俺たちはケーキを食べたら一定量の幸せを感じる。だが、功利の怪物はもっと幸福を感じることができる。

 ケーキが一つあったとしたらその怪物が食べるべきだ。二個、三個と際限なくケーキが増えていったとしても、その全てを与えるべきだ。それが最大の幸福を得ることができる方法なのだから。

 その結果ケーキを食べることができていない人が不幸を感じる。でも社会全体の幸福量は最大なのだから問題はない。

 このことから功利主義は本当に正しいのかを問う思考実験なのだそうだ。


 彼女が説明を終えて、ホッと一息つくとベッドから立ち上がる。そして机の上に置いてあったペットボトルを手に取り、封を切り口を付けた。


「それでお前は何を言いたいんだよ」

「どちらを優先にしても欠点が生まれるんだから、どちらの肩を持つ気は無い、と言う事さ」

「まあ、正しさを追求していくならそうなるだろうな」


 俺は頷いた。確かに、彼女の選択は正しい。どちらも間違っている部分が生まれるというのであれば、両方選ばない。この答えは間違いではないだろう。

 でも、それでも俺は、彼女には自分の肩を持って欲しかった。彼女とはそれなりに関係を深めている。どちらを選んでも同じなら、その差分だけ俺の方に天秤が傾いて欲しかった。

 彼女がそう言ったことをしないのは分かり切っているだろうに。

 自分に呆れ、ため息を付く。座っていた椅子の背もたれに体重を預けると、ギシリと音がして視線が上を向いた。そんな俺の顔を千恵は覗き込んで、弾んだ声で問いかけた。


「所で、もし良かったらコンビニに行かないかい?」

「……お前は良いのかよ。病み上がりなのに」

「今日は念の為の休みだったからね。別に問題ないよ。それに、今は機嫌が良いから、コンビニスイーツを奢ったっていい」


 機嫌がいい? どうしてだろう。俺を凹ませたことがそんなに嬉しいのだろうか。なんて考えてしまう俺はひねくれているかもしれない。

 だから、ストレートな言い分を聞くために「どうして?」と彼女に問う。


「決まっている。どちらを支持するのか分かり切っているとはいえ、このボクの事を支持してくれたのだから」


 彼女は胸に手を当ててそう答えた。喜ばしい事だ。緩む口元を抑えていると、彼女は人差し指を立てて続ける。


「それともう一つ、ボクのそばにいる怪物にもケーキを上げてみたくなっただけさ。割引券もあることだしね」


 彼女は人差し指を立てる。なんか上手いこと言ってやったぜ、みたいな顔でいる。だけどさ――


「甘いの苦手だって素直に言えよ。昔っからそうなの知ってるから」

「……あれ?」

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