ボクっ子幼馴染によるテセウスの船。
イーベル
恋慕の不一致、テセウスの船
ボクっ子幼馴染によるテセウスの船。
狙い通り、雨上がりの屋上はまだらに水たまりができていた。と言うのも、対象の人物以外には聞かれたくない話をするつもりだったからだ。
もし聞かれてしまったのなら、結果がどう転んだにしろ、これからまともに学校生活を送れる気がしない。
ただでさえ俺はまわりに弄られることが多いのだ。友人たちはこの行為を見逃すはずがなかった。
さらに失敗したとしたら……考えるのは止めよう。余計に自分にプレッシャーがかかる。頭をグラグラと揺らされているように気持ち悪い。吐き気がする。
そんな気分を深呼吸して誤魔化した。
しばらくして一つしかない入口がギシギシと音を立てる。
扉の隙間から見えるセーラー服。黒い二つのおさげ。日焼けした事が無いのかと聞きたくなるほど白い肌。そして極めつけはマッキーペンの太い方で縁取ったのかのように、はっきりとした黒縁眼鏡。間違いなく小さい頃から見続けて来たあいつの姿だった。
「君か、ボクを呼び出したのは」
彼女は気怠そうに頭をかくと、問いかける。俺は頷いて肯定した。
「そうだよ。あの手紙を出したのは俺だ」
「……へぇ」
「なんでちょっと驚いてるんだよ」
「かわいい丸文字だったからてっきり女の子かと」
「悪いかよ。というかお前は昔から知ってるだろ、俺の文字」
「そうだけど、相手がかわいい女の子方がテンション上がるだろう?」
彼女は目を細めて鬱陶しそうに太陽を睨むと、こちらに近づいて来た。腕で日の光を遮りながら「あっつ」と呟くのが聞こえる。
「悪かったな。期待にそぐわずヤローの俺で」
「全くだね。おかげでボクの『毎日百合姫』計画もパアだよ」
「どんな計画だよ……」
「聞きたい?」
「いや、いい」
俺は首を横に振った。こいつがちょっとアレな話をするのにはもう慣れているけれど、その妄想を直に浴びせられるのは勘弁願いたい。
彼女は「残念だね」とだけ返事をする。
「じゃあ、早速だけど本題に入ろうか。手紙にあった大事な話とは何だい? ボクも暇じゃないんだ。この後図書委員の仕事があるからね」
そう言いながら三つ編みに触れた。
「そうだな、じゃあ単刀直入に言おう」
急かす彼女にペースを握られないように、俺は一度深呼吸をする。
緊張はあるが迷いは無い。
遅かれ早かれ言う事だ。もったいぶっても仕方がない。俺は覚悟を決めて彼女の瞳を見た。
「俺はお前が好きだ。ずっと前から好きなんだ。良かったら俺と付き合って欲しい」
言い終わった途端に心臓の音が大きくなった気がした。告白するまでは想定内。ここから先の未来は、それこそ神様しか知らないのだから当たり前と言えば、当たり前だ。
俯く彼女を見つめて返事を待つ。
沈黙していた時間はたいしたことは無いのだろうけれど、その間にも血液の循環は早まるばかりだった。
「……なんか意外。君はボクの事をそんな風に見てないと思ってたから。いつからなの?」
「幼稚園ぐらいの時からだな。『結婚するなら君が良い』って言われてから、ずっと頭から離れなかった」
「へ、へぇ……」
声が震えた。何だか露骨に目を逸らして、頬を指先でかいている。目線もあっちこっちに右往左往で落ち着きがない。
普段は落ち着いていて表情が動くことが少ない彼女でも、告白となると流石に動揺するのだろうか。緊張しているのが自分だけではないと分かったからか、何だか落ち着いてきた。
「その一言だけなのにずっと覚えていたのかい?」
「一言だけじゃない。抱き着かれて、指切りもして、それから……」
「ちょ、ちょっと待って!」
彼女は目の前で手を振って、思い出を指折って数えていた俺を止めた。何だろうか。せっかく二人だけしか知りえない思い出を語っていたのに。
彼女は眉間によったシワを隠す様に、額に手を当てた。
「ボク? 本当にボクがそんなことをしたのかな?」
「ああ、そうだけど」
「――全く覚えていない。それって本当にボクなのかい?」
上から水をぶっかけられたかのような驚き。俺がこれだけ強烈に覚えているのだから彼女も当然覚えていると考えていた。正直言って予想外だ。
人違い? いや、それはあり得ない。俺の記憶にあるのは間違いなく彼女だ。つまり……
「本当に覚えてない、のか」
「……うん」
「……そっか」
うわっ、なんか……気まずい。
そりゃあ高校生二年にもなって何十年も前の約束を覚えているなんて、重い。さらに言えば気持ち悪い。そう取られてもおかしくないだろう。
なんかあいつもずっとこっち見ないし、心なしかよそよそしい。普段なら幼馴染と言う事もあって、もっとガツガツ来るのに。
ああ、もう後悔しかない。こんな事ならこの想いは墓まで持って行くべきだった。そう思わざるを得ない。
俺がそんな風に気分を沈めていると、彼女はようやく顔を上げて話し始める。
「だいたい、何でボクに告白しようと思ったのさ。そんなか細い理由だけじゃないでしょう?君なりに考えて今日告白した訳だよね。それを僕は聞きたいよ」
そう言われて俺は少し困ってしまう。
俺がしたいから。
彼女が欲しいから。
好きだったこいつに想いを伝えたかったから。
そんな自分の「したい」を突き詰めていった結果がこの告白だからだ。
こんな理由を彼女にぶちまけてしまったら、自分勝手な奴だと低い株をさらに下げることになってしまうかもしれない。
だから俺は彼女にこれらを伏せることにした。
「……俺には無いよ。お前の言う所のか細い理由以外には」
「へぇ、そうなの。ちょっと残念」
彼女は俺から目を逸らして、片足をぶらりと揺らす。丁度小石を蹴るような仕草だった。
「どうして?」
「それじゃあ、今のボクは君にとってちっとも魅力的に映っていないじゃないか。君は幼稚園児のボクの面影を今の僕に重ねているだけ」
「それは――」
「ないとは言い切れないよね? それにその一個だけの理由だって、ボクから言わせれば脆いものだよ。君の思っている所の好きだという気持ちは、当時の事だ。今もそうだとは限らない。そう思い込んでいるだけかもしれない。そうは考えられないのかな?」
彼女は屋上からフェンス越しにグランドを見る。
そう言われると俺はどうしようもない。俺は今の彼女と過去の彼女を重ねて見ている。否定はできない。俺にとってはかつての彼女と現在の彼女は同一人物。
彼女の意見としては、成長したから過去と今は別人。だから私は君の好きな人ではないと言いたいのだろうか? その真意ははっきりとは読み取れなかった。
そんな俺を見かねてなのか彼女は助け舟を出す。
「――君は『テセウスの船』という思考実験を知っているかな」
「いや、知らない」
「まあ期待はしてなかったけどね。じゃあ、軽く説明しようか」
彼女はそうして話を始める。
『テセウスの船』とはギリシャ神話に登場するアテネの王様、テセウス。彼の使った船を長らく国民たちは保存していた。状態を保つため、朽ちていた木材を次々に交換していく。
そして、全ての部品が置き替えられた時、それは同じ『テセウスの船』と言えるのか。
古い部品で別の船を作り上げたら、どちらの船が『テセウスの船』と言えるのか。
そう言った同一性を問う思考実験なのだそうだ。
「その回答についてはいくつかあるのだけれど、今回は省略するよ。私が聞きたいのは君の答えだからね」
「俺の答えって、そう言われてもなぁ。そんな船についてなんて知った事じゃないぞ」
「そうだろうね。だからここでは船の代わりに『君の感情』に置き換えて考えて見よう」
「俺の、感情?」
「ああ、君はボクに好意を持っている。それは君が幼稚園の頃から続いている。でも行為を持つ君自身を構成する細胞は日々入れ替わっているだろう? 全てが入れ替わっているとは言わないけれど、それでも全く同じとは言えないはずだ」
彼女は「さて」と間を空けてから人差し指を突き差し、俺に問う。
「ここで問題だ。幼稚園児の時と今この瞬間、君の感情は、好意は、全く同じ物と言えるのだろうか?」
その問いに俺は目を閉じて思考を巡らせる。
年月による記憶の劣化。細胞の入れ替わり。彼女を想う気持ちが同じだなんて言えるはずも無い。
この間マンガで読んだ『絶対記憶能力』なんてものがあれば、話は別なのだけれど、残念ながらそんな大層な持ち合わせは無い。
故に俺は彼女の問いに対して『絶対に不可能である』という証明しかできないのだ。
でも、それだけが全てじゃない。同じでいなければいけないという訳ではない。だから俺は偽ることなく語る事にした。
「できない。俺の感情が同じだという保証はできない。できたとしても証明することができない。知っていた俺自身が忘れている」
「だろうね。ボクだってそうだと思う。だから君が抱いている好意は純粋な物じゃない。不純物が混ざってしまった、かつてそうであった何かだ。そんなものは捨てて、もっと素敵な物に感情を向けるべきだと思う。新しく作ったばかりの物は純粋で、それは間違いなく、本物と言えるはずだから」
彼女は俺の眼を見てそう言った。
純粋で綺麗な想いこそ価値がある。
そうでないのならば捨ててしまえ。
時間の経過は劣化しか生まないのだから、新たな物を生み出した方が生産的だ。
そう言った価値観。正しくて美しいロジック。
でも、俺はそれを打ち砕かなければならない。正しいと、美しいと分かっていても、それでは俺の「したい」は貫き通せないのだから。
「そうだな。確かにそれは本物だ。純粋で、美しい心の在り方なんだと思う。だけれど、その方針には賛同しかねる」
「へえ、これはまたどうして」
「時間の経過が劣化しか生まないなんてことは無いはずだ。きっとそれだけじゃない。宝石の原石みたいに削られ、磨かれて、輝きを増す物もある。少なくとも俺はそう思う。そうじゃないと俺は……この気持ちを抑えきれなくなった訳に説明がつかない」
ゆっくりと、自分の想いを確かめるようにそう告げた。
自分の胸に当てた手が熱を帯びていく。それをワイシャツの胸ポケットを握りしめて誤魔化す。
彼女は俺の言葉に一瞬だけ目を見開くと、目線を切ってふっと息を吐いた。
俺は一秒、また一秒と時間を噛み締めながら彼女の返事を待つ。ただ単に待ちきれないだけなのだろうけれど、この間の時間が鬱陶しくてたまらない。
そんな沈黙に耐えた末に彼女の声を聴いた。
「そうか、そういう考え方もあるのか。……そんな事、これまで考慮した事も無かった。ボクにとって未知の考えは興味深い」
彼女は小さく呟く。俺に向けていた人差し指を降ろして、俺との距離を詰めた。
「じゃあ……!」
「君と恋仲になろう。ボクにその考えの正しさを証明して見せて欲しい」
「ああ、わかった。してみせるよ。時間は、かかってしまうかもしれないけど」
「気長に待つさ。証明と言われるものは総じて時間がかかる物だよ」
「ありがとう。じゃあ、俺達は今日から恋人って事で、いいか?」
頷く彼女を見て俺は柄にもなくスキップを踏みたくなる程舞い上がる。でも水たまりだらけの地面を見て踏み留まった。上履きを水で濡らしたくはない。代わりに俺は彼女に背中を見せて、小さくガッツポーズをした。
そんな事をしていると背中越しに「ねぇ」と声をかけられる。振り返って「なんだよ」と返事をした。
彼女は指を組んだり解いたりして、申し訳なさそうにしている。
「なし崩し的に了承してしまったけれど、君はこれで良かったのかな。ボクは君の事を好きだなんて思ったことは無かったのに。そんな本心から愛し合えない恋人でも君は良いのかな」
「良いさ。証明するのに都合がいい」
彼女に俺のことが好きだと言ってくれたのならば証明は完了する。時間が経つことで強くなる想いもあると言う事が嫌でも認識できるだろう。
近いようで遠い未来、そんな日が訪れるのを祈って俺はこの場を後にする。正面に立っている恋人の手を引いて。
いきなり触れられたことに驚いたのか、彼女は間抜けた声を漏らす。それを聞いて俺は、声を押し殺して笑った。
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