137 水の災厄
囮は、白いウサギ=スサノオを頭に乗せた大地がすることになった。
怪物が首を伸ばしたところを、上から飛び降りた心菜が一刀両断するという、至極単純な作戦である。
「俺、いらなくね?」
非戦闘員の真は、留守番がしたかった。
「真さんはレフェリー役です」
「敵に点数を入れてもいいのかよ」
真さんがいると安心する、と謎の理屈で心菜に引きずられ、真は泣く泣く川に入った。
ふと隣を見ると、大地が鎧の入った袋を小脇に抱えて、普段着のままでガッシャガッシャと歩いている。
「鎧、着なくていいのか?」
「川をさかのぼるのに、重い鎧を着ると水の抵抗が増えて動きにくいっすよ」
一番危険な役をする大地は、騎士の鎧を持って来ていた。
大地は過去の地球に戻った時に、アダマスで支給された聖堂騎士の鎧を含め、装備品一式を失っている。今持っているのは、タンザナイトで買った中古の冒険者の鎧である。
「……もうすぐだ」
イロハが低く呟く。
怪物が潜む水源の手前で、大地は鎧を身に付けた。
心菜も刀を召喚して、刃をチェックしている。
「では、お先に……とうっ!」
掛け声を上げて、垂直の壁をよじ登り始める心菜。
上から飛び降りるために先回りするらしい。
続いて大地が盾を構え、水源に足を踏み入れた。
「いくよ!……我が前に出でよ。ここに誘惑の盃あり」
スサノオがスキルを使用すると、日本酒の芳しい香りが一帯に満ちた。
水源の暗い淵が泡立ち始める。
程なくして、水面が盛り上がり、弾けた。
水面から巨大な蛇の頭が、鎌首をもたげる。
蛇には目が無かった。まるでホースの穴のような口があり、コポコポと水を吐き出す異形の姿だ。
後ろで見ていた真は、咄嗟に鑑定を使った。
水の災厄 Lv.?????
レベルの表示が文字化けしている。
これが枢の言っていた災厄魔なのか。
「来い!!」
大地の盾を前方に掲げて一喝する。
怪物は左右に首を振りながら、 大地に向かって首を伸ばす。
ガツンと激しい音が鳴り、怪物は盾にぶつかった。
「その素っ首、切り落とす!!」
上空から心菜が日本刀を手に降ってくる。
落下の重力を加算した一撃は、見事に怪物の首に命中した。
ザンと音を立て、首が切り落とされる。
「ふぅ……」
着地した心菜が額の汗をぬぐう。
「作戦成功っすね。あれ? 首が溶けてる?」
大地は、分断された怪物の頭部を見下ろして不思議そうにした。
ちょうど怪物の死骸が水になって消えていくところだった。
こんなに呆気なく終わるはずがない。
後ろで見ていた真は「 注意しろ」と呼び掛けようとした。
「おわっ」
急に水の
足元に波が押し寄せた。
水源から次々に、先ほどと同じ怪物の頭部が、複数現れる。
「チンアナゴみたいですね」
「見ている場合かよ!」
「……皆~、僕に乗って~!」
怪物は複数の頭部から水を垂れ流した。
どんどん増える水量に、一行は溺れそうになる。
リーシャンが元の竜神の姿になり、皆をすくいあげた。
「
イロハは悔しそうだ。
「奴が水を吐くせいで、川の水量が増している」
怪物は際限なく水を出し続けている。それは壊れた蛇口を思わせる光景だった。まるで台風の後のように、川は濁流と化してしまっている。
「我がマナウは高台なので被害は少ないが……このままでは、下流にあるネフライトの川が氾濫し、低い土地が水に飲まれてしまう!」
「ネフライトって……例の黒幕だっていうクロノアの守護する国だろ。滅亡したっていいんじゃ」
「
真の茶々に、イロハはきっぱり首を横に振る。
「私は一度タンザナイトを滅ぼそうとしたが、カナメは誰も犠牲としない道を示してくれた。また間違うのは嫌なのだ……!」
実は、自分の短気を反省していたらしい。
イロハはネフライトも救いたいと言う。
だが怪物を倒すことは可能なのだろうか。心菜が切った頭部は再生している、ということは、弱点は首や頭ではない。水源の下に本体が潜んでいると思われる。
「どうすんだよ……!」
真は飛行するリーシャンの背中から、マナウの霧に包まれた山地を見下ろす。
まさしく解決法も五里霧中という光景だった。
俺とサナトリスは、慎重に災厄の谷の底に降りていった。
モンスターの少ない場所を選んで、浮遊の魔法を掛けて下に飛び降りるを何回も繰り返し、奥に進む。
「不思議だなー。地下深くになるほど、明るくなるって、どういうことだ?」
前は気付かなかったが、災厄の谷は途中まで真っ暗なのに、そこから奥が明るくなっている。
光源がどこにあるか不明だが、壁の色は薄い緑に変化し、可愛らしい雑草まで生えていた。こんな地下で光合成しているらしい。
「私もよく知らないが……あ」
「どうしたサナトリス」
「何か生き物を踏んでいる気がする」
「ん?」
俺は足元を見下ろした。
そしてギョッとする。
知らない内に巨大な亀の甲羅を踏んでいた。苔むして壁や床と同じ色になっていたから、気付かなかったようだ。
前方の窪みから、亀の頭が首を曲げて「ぬぼー」っとした様子でこちらを見ている。敵意も無さそうだし、襲ってくる気配もない。
俺は思わず謝った。
「踏んじゃってすみません」
「……おお。寝ぼけておって、踏まれたのに気付かんかった……」
亀は、のんびり答えた。
こいつ、いつか出会った亀の爺さんの親戚か何かか。
「温泉の神とは、面妖な……」
俺のステータスを見たらしい。
他にも色々あると思うが、突っ込むところはそこなのかよ。
「あー、俺たち通りすがりなんで、すぐに立ち去るから」
「待てい!」
亀は突然、大声を出した。
「な、何?」
「温泉を置いていけ」
とても斬新な脅しだった。
俺は無言で、谷で採取した魔石を鞄から取り出して火の魔法を込め、水の魔法で亀の足元を水びたしにして魔石を放り込んだ。
温泉、一丁あがり。
「ふぅー、良い湯じゃのー」
亀は満足したようだ。
俺は、前に会った亀の爺さんが「災厄魔は温泉が好き」と言っていた事を思い出した。
「……なあ、災厄魔がいる温泉って、ここからどう行くんだ?」
「ふむぅ、温泉の神であれば、温泉に行くのは道理じゃな。教えてやろう」
「いや温泉が目的じゃないけど……頼む」
最短のルートを亀に教えてもらった。
おかげでモンスターに襲われることもなく平和な道のりだ。
「カナメ殿、次にクロノアと出くわしたら、どうするつもりだ?」
サナトリスが聞いてくる。
「ヤトリ殿の隠蔽もない。見つかってしまうぞ」
「うん。そういうこともあろうかと、アイテムを用意した」
じゃーん、と俺は、お手製の仮面を荷物から取り出す。
デザインはアウロラ帝国にいた黒服の兵士が付けていた、黒いカラスをモチーフにした奴だ。かぶると声が低くなる変装の魔法付きである。
「これで堂々とクロノアを問い詰めてやる……!」
「さすがカナメ殿! 怪しさ爆裂だな!」
サナトリス、それは褒めているのか。
「……もうすぐ目的地のようだな」
通路の先には広い空間があった。
どこからともなく陽光が射し込み、木漏れ日が落ちている。
小さな花が無数に咲く野原がそこにあった。
そして、野原の中央には、歌をうたいつづける白い髪の少女の姿があった。
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