136 水面下に潜むもの

 心菜たちとの通話を切って、俺は溜め息を付いた。

 

「あいつ、絶対に俺の言い付け無視して特攻するよなあ」

 

 マナウを襲っている霧の災害は災厄魔だった。

 世界を滅ぼすと言われている災厄魔が相手だ。念のため撤退するように心菜たちに指示した俺だったが、あいつらが大人しく撤退する訳がない。

 恋人の猪突猛進具合は把握している。

 なので、夜鳥には予備の武器も持たせた。

 使わずに済めば、それに越したことはないのだが。

 

「カナメ殿は、マナウに行かないのか?」

 

 サナトリスが聞いてくる。

 俺とサナトリスは、時空神殿を脱出して、災厄の谷に戻っていた。

 

「もう一体の災厄魔が召喚されるのを防いだ後に、すぐにマナウに向かうさ。クロノアは、ネフライトに火の災厄魔を召喚すると言ったんだな」

「ああ。既に準備は整っているとも言っていた」

 

 ネフライトは、クロノアが守護する国だ。

 自分が守護する国に災厄魔を召喚するだなんて、何を考えてるんだ、あいつ。

 

「カナメ殿。これからネフライトに向かうのか?」

「いや。災厄の谷の底へ行く。災厄魔をネフライトに転送するための、対になる魔方陣がそこにあるはずだ。そっちを壊す方が手っ取り早い」

 

 ネフライトの街を壊す方法も検討したが、関係ない人たちを巻き込むのは可哀想だからな。未来では勢いで壊しちゃったけど。できるなら被害を極力減らしたい。

 

「災厄の谷底か。いったいどんな場所なのだろうな」

「クロノアが鼻歌まじりに通うところなんだ。そんな危険な場所とは思えない」

 

 谷底を覗きこむ。

 

「……」 

 

 暗くて底の見えない暗闇の中から、かすかに少女の歌声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 一方、マナウでは心菜たちも谷底に降りているところだった。

 縄ばしごを崖の上から垂らして、一人ずつ梯子を伝って谷川の淵に降りる。高低差の激しい土地で、今は霧で見通しがきかない。梯子の手配も含め、降りるのには数時間掛かった。

 

「綺麗な川ですね!」

 

 心菜が弾んだ声を上げる。

 水の色は澄んだエメラルドブルーで、水流に削られた岩肌は白く輝いている。

 

「水の温度は……」

 

 真は手を突っ込む前に、まず落ちていた枯れ枝を水に突っ込んだ。魔界で探索していた頃に、呪いの掛かった泉や毒の川に出くわした事があったからだ。用心するに越したことはない。

 

「普通の水だと思いますよ。えいっ」

「心菜ちゃん?!」

 

 警戒して、なかなか水に触れない面々にしびれを切らしたのか、心菜はブーツを脱いで素足でジャブジャブ水に入った。

 

「大丈夫?!」

「ほわ~、温かいです~。ぬくぬくです」

「へ?」

 

 真は慌てて自分も手を水に浸してみた。

 

「本当だ。温かい……」

 

 一緒に来たイロハが、水を手のひらですくって驚いた顔になった。

 

疑念おかしい。翡翠川の水は、真夏でも凍えるほど冷たいというのに、この温かさは何だ?!」

 

 心菜は、なおもジャブジャブと水の中を歩いている。

 水深は膝たけほどの深さらしい。

 途中で立ち止まった。

 

「温かい水が流れているところと、冷たい水が流れているところがあります」

「……上流にさかのぼってみるか」

 

 イロハによれば、マナウの谷川は溺れるほど深い場所は少ないらしい。

 川底の石は丸みを帯びているが、素足だと石で怪我をする恐れがある。

 一行は靴が水に濡れるのは我慢して、温水を辿り、流れをさかのぼった。

 しばらく行くと他の川と合流しているところもあったが、水温を確かめて温かい水の流れる方向に進んでいく。

 

「……ここが行き止まりだ」

 

 そこは、垂直にそそりたつ壁がぐるりと円を描く場所だった。

 エメラルドブルーだった水の色が、円の内側で暗色に変じている。

 暗い色の場所は、水深がある場所だと一目で分かった。

 コポコポと深淵から温水が沸きだしている。

 上空からは重く冷たい空気が覆い被さっているようで、温水に接する暖かい空気と上空の冷たい空気の間で、白い霧が生じていた。

 

「ここが霧の発生する場所か? この丸い淵はなんだ?! 私が知らない場所があるなんて」

 

 イロハが動揺している。

 

「……!」 

 

 真は、足元を流れる水から微妙に伝わってくる振動に眉をひそめた。

 何か生き物の気配がする。

 

「下がって、イロハさん!」

 

 心菜がイロハを引っ張って下がらせた。

 その瞬間、暗い淵の水が盛り上がり、ぬらぬらした蛇の胴体のような影が見えた。水の上に現れたのは一部だけだが、数百歳の大樹の幹を思わせる胴回りだった。

 そいつは、真たちに気付いていないように、元通り水に潜って姿を消した。

 

「……一旦戻ろう」

 

 相手は手の届かない水の下にいる。

 それに枢の言葉を信じるなら、神の力も届かない災厄魔という怪物かもしれないのだ。

 真たちは簡単な調査を終わらせると、その場を後にした。

 

 

 

 

 一行は拠点にしているイロハの邸宅に戻り、濡れた服を着替えた。

 イロハは落ち込んでいる。

 

「あんな魔物がマナウにいたのに、私は気付かなかった……」

「そもそも、なんでホルスの神器で霧を払えると思ったんだ?」

 

 真は気になっていた事を聞いてみる。

 

「それはクロノアがそう言っていたから……」

「いや、クロノアは敵じゃん。騙されてるんじゃ」

「ハッ……言われてみると」

 

 なぜ気付かない。

 ここに来て真にも、イロハの天然具合が分かってきた。

 なんだかズレている。

 一生懸命だけど真面目すぎて空回っている。

 

「では、倒しに行きましょう!」

「ちょっと待て」

 

 目をキラキラ輝かせる心菜に、真は待ったを掛けた。

 

「枢っちに、止めとけって言われただろーーっ!」

「制止すなわち逝けということなのだと、心菜は理解しました。武士道といふは死ぬ事と見つけたり……」

「違うーーっ」

 

 枢が聞いていたら「心菜それは違う。原文は死ぬ覚悟で奉公しろと書いてあるだけで、死ねと言ってない」と反論しただろう。

 だがここに枢はいないし、心菜の暴走を止められる者もいない。

 

感謝ありがたい! 共に戦ってくれるか!」

 

 イロハも喜んでいる。

 収拾が付かなくなってきた。

 

「だいたい、水の下にいる相手をどうやって引きずり出すんだよ」

 

 真は苦々しく、能天気な二人の盲点を指摘する。

 戦おうにも、敵は相当、深い場所に潜っていそうだった。 

 

「僕が手を貸そうか」

 

 その時、大地の頭からピョコンと白いウサギが顔を出した。

 ウサギは海神スサノオの変化した姿だ。

 

「僕は、誘惑の盃というスキルを持っているんだ。敵を酒の匂いで誘き出すスキルだよ」

「よーし、スサノオさんのスキルで引きずり出して、一気に叩きましょう!」 

「えいえいおー」  

 

 リーシャンが心菜の肩の上で調子を合わせる。

 真は猛烈に嫌な予感がした。

 

「俺だけ戦線離脱……って訳には、いかないよな、やっぱ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る