115 異界の侵攻

 黒崎永治くろさきえいじには、忘れられない記憶がある。

 古い建物の一室で、幼馴染みの少女の上にのしかかる、汚い中年の男。彼女の悲鳴と、己の無力さを噛み締めた少年時代の自分。

 

「やめろ……やめてくれ!」

「ガキは引っ込んでろ」

 

 男に蹴られて床を転がり、嘔吐する。

 涙に濡れた視界に映る、絶望した少女の瞳。

 守れなかった。

 約束は果たされなかった。

 傷付いた少女は病院に運び込まれ、虐待の傷痕に気付いた親切な大人に運良く助けてもらって、最悪な養父の元から去った。

 きっと彼女は永治に落胆し、失望しただろう。

 あの悲劇の一夜から、彼女と話す機会は無かった。

 

「椿……」

 

 抜けない刺のような後悔を抱いたまま、長い年月が経ち……永治は大学生になっていた。

 あの日、異世界が地球に接近して、多くの若者が夢の中で異世界転生した時、永治は力の弱い魔物になった。

 また底辺からスタートだ。

 だが、今回は少し勝手が違う。

 格上の魔物に踏み潰されて死んだかと思ったら、レベルが倍になって復活していた。

 殺される度に強くなって復活する。

 とんでもないチートを手に入れたと、永治は歓喜した。

 

「俺は、強くなれる……もう誰にも大事な人を傷付けられないように、強くなるんだ」

 

 幸い、仲間にした預言者の少女によれば、地球と異世界の時の流れは異なるので、時間はいくらでもあるらしい。

 異世界で長い時間を掛けてレベルを上げる事ができる。

 

「この力を持ったまま、地球に戻る方法を見つけよう。そして、あいつらに……」

 

 復讐をする。

 

 

 

 

 幼い頃の夢を見ていたようだ。

 永治は、微睡みから覚めて体を起こした。

 そこはダンジョンの中だった。

 壁や床は謎の金属でできており、湿った空気が薄暗い地下道に流れている。息を吐くと白い。気温は真冬並みに下がっているようだ。

 人界で有名な、ダンジョンの国。タンザナイトの地下に広がる広大な迷宮、その最深部へと、永治は降りていく途中だった。

 

「時刻ぴったり私の予知した15:05。仮眠は取れましたか」

 

 銀色の長い髪をゆるく頭の両脇で結んだ少女が、永治をのぞきこんでいる。褐色の肌と尖った耳。ダークエルフの特徴だ。

 少女は懐中時計を首飾りにしていた。

 

「ハナビ……予定通りにいきそうか?」

 

 立ち上がって歩き始めながら、少女に聞く。

 彼女は、宮下華美みやしたはなび

 同じ転生者で、預言のスキルを持つ「闇の巫女」だ。

 

 永治は、近藤枢との戦いで消耗した体力や魔力を回復するため、ダンジョンの中で一時の休息を取っていた。

 狭いダンジョンで動きにくい魔獣の体型は解除して、今は黒髪に金色の瞳の青年の姿をしている。

 

「イエスです。近藤枢は、東雲穂波しののめほなみと戦闘に入りました。これで少なくとも三時間稼げましたよ」

 

 華美は、日本の巫女を思わせる袖の長い白い衣服を身にまとっていた。

 巫女服は彼女のお手製らしい。

 身軽な足取りで、永治の後を追ってくる。

 

「でも、うーん。やっぱり地球が滅びるのは確定した未来のようなんですが、永治さんが滅ぼすビジョンが見えないんですよねー。黙示録獣アポカリプスかと思ったんですが、違ったし。この選択で、異世界の存続が確定するんでしょうか。不安になってきました」

「うるさい……俺は、日本が滅びるところが見たいだけだ」

 

 幼馴染みの椿が、嫌な事を思い出さないように、日本という国は無くなってしまえば良いのだ。

 椿は、異世界の吸血鬼の女王という、華やかな経歴さえあればいい。

 

「……もうすぐ狭間だ。タンザナイトの冒険者は大したことがないな。この程度の迷宮をいまだ攻略できていないのだから」

 

 無造作に敵モンスターを屠りながら、呟く。

 

「いや、転生者で神クラスのあんたらに比べたら、何だって雑魚ですよ……あ、門が見えて来ましたね」

 

 華美が片手を目の上にかざしながら答えた。

 目の前には、地球と異世界をつなぐ重厚な門がある。

 狭間の扉は、ダンジョンに元からあったものではない。異世界と地球が接近した影響で、一番魔力が濃いダンジョンの最深部に自然発生するのだ。

 永治は扉に手を掛けた。

 力を込めて押し開けようとする。

 しかし、扉はまるで永治を待っていたかのように、向こう側から開かれた。

 

「永治さん、下がって下さい! 今、この扉は、私たちが来たのと別の時間軸につながっています!」

「何?!」

 

 開かれた扉の向こうから、小さな火の塊が高速で飛来する。

 独特の撃鉄の響きと火薬の匂い。

 銃撃だ。

 

「がはっ!」

 

 銃弾は、Lv.4042の永治の体を容易く貫いた。

 

「一体……?!」

「おやおや。一撃で消滅しない魔物がいるんですね。さすが異世界」

 

 光が差し込んで、扉の向こう側の、人影の輪郭が明確になる。

 機能的で無機質なアサルトスーツを着込み、ヘルメットを被って重火器を持った男たちと、それを指揮するように中央に立つビジネスマン風の眼鏡の男が見えてきた。

 

「地球人、だと」

 

 ファンタジーにSFが紛れ込んだようだ。

 永治はそんな感想を抱いた。

 その直感は間違っていなかったのだと、すぐに知ることになる。

 

「君は……黒崎永治君ではないですか。アマテラス様がお世話になりました」

「お前は誰だ?」

  

 自動回復スキルが働いて、シュウシュウと音を立てて傷が塞がっていく。

 永治は向けられる銃口を睨みながら、ビジネスマン風の男に聞いた。

 

「私は、国家非常対策委員会の佐々木ですよ。はじめまして」

「日本人か」

「はい。君がアマテラス様を連れ去った後、日本はモンスターが街中に入り込み大混乱になりました。それから何年も掛けて、近代兵器に魔力を付与する実験が行われ、モンスターを殲滅してようやく平和が訪れたのです」

  

 男の言葉は、彼らが未来から来たことを示していた。

 

「ハナビ」

「佐々木さんの言ってることは本当だよ。地球と異世界アニマの接触は、非常に繊細で不安定な要素が多いんだ。狭間の扉が、別の時間、過去や未来に繋がったって、全然おかしくない」

 

 華美は、早口で永治の声に出さない疑問に答える。

 

「なるほど」

  

 永治は口の端を吊り上げて笑った。

 

「ははっ、地球人が異世界に何の用だ。まさか銃を持って、異世界の人間とオトモダチになりに来た、なんて冗談は言わないだろう」

「勿論」

 

 佐々木は右手で眼鏡を押し上げて、冷たく微笑した。

 

「過去、人類が新しい大陸を見つけた時に、冒険や探索と称して推奨した行為。異文化と接した際に自分の国の文化が正当だと主張するため、いち早く勝利を先取する。すなわち原住民の制圧と虐殺、物資の徴収ですよ」

 

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