113 守護神の復活
枢が倒れた。
大聖堂の床に、青年の体がゆっくり崩れ落ちる。
手を伸ばして助け起こそうとして、心菜はすんでのところで自制する。
みっともなく泣きわめいて枢の体にすがれたらどんなに良いか。
けれど、それを選ばないことが心菜のプライドだった。
「……」
「へえ。一人になったのに、絶望しないんだ」
油断なく日本刀を構えた心菜に、シノノメが感嘆の声を上げる。
「もう君を守る者はいないんだよ。この国で動く生者は、君だけだ」
シノノメの言葉を裏付けるように、アダマスの王都は静まりかえっている。人の声は、シノノメと心菜のものだけだ。人のいなくなった街は、まるで山奥の廃坑になったかのように、不気味な沈黙に包まれている。
あまりの静けさに、吐く息の音すらも、大きく聞こえる。
「……私は、諦めません」
心菜は、震える手足を、おびえてすくむ心を叱咤する。
真っ直ぐに、シノノメを見据えた。
「枢たんだって、たまには休みたい時もあります。ずっと、ずっと頑張ってきたんだから」
知っている。
彼が家庭に問題を抱えていることも、それを悟られないようにいつも笑顔でいたことも。誰かを守るために、助けるために、ずっと一生懸命だったことも。
「今度は心菜が、枢たんを助ける番です!」
踏み込んで跳躍し、切りかかる。
シノノメは、瞬間転移して避けた。
空振りに動揺せずに、壁を足場にしてさらに高く跳び、追いすがる。
「っつ!」
「私は、何度だって枢たんの名前を呼ぶ! 絶対に、諦めない!」
青い鳥の形の髪飾りが、心菜に勇気を与えてくれる。
いつも一緒にいる。
そう、信じられる。
「無駄だよ。その刀が当たったら、さすがの僕も痛いけど、死にはしない。HPが尽きたって、MPさえあれば死なないんだからね」
シノノメは、心菜を馬鹿にしたように笑う。
「いいよ、鬼ごっこに付き合ってあげようじゃないか。時間はたっぷりある。君の体力と精神力が尽きて、絶望するまで……!」
俺は暗闇の中にいた。
ここは、地下のダンジョンの中なのだろうか。異世界に来て、最初にいた頃の、寒くて暗い洞窟の中なのか。
『……ちがう。外界から閉ざされた心象世界。分かりやすく言えば、心の中』
誰だ?
『俺は、お前自身……クリスタルに残された思念だ』
クリスタル。そういえば、ここは大聖堂だった。
見えないが近くに、異世界での体だった、青く輝くクリスタルが存在しているはずだ。
這いつくばる俺の前で、青い幻想的な光は揺らいで人間の姿を取る。
それは鏡に映る自分自身。
ひとつ俺と違うのは、神官服をバージョンアップさせたような、大聖堂の主にふさわしいヒラヒラした服を着ていることだった。
「その服やめろよ!」
『残念だが、俺はアダマスの守護神としてのお前だからな。人々の願いにより、ちょっとばかり神様に近い格好になってしまう』
恥ーずーかーしーいー。
俺が悶絶していると、もう一人の俺は呆れたように言った。
『転がっている場合か、近藤枢。そもそも、あの程度の攻撃、特殊攻撃を防ぐ結界を張ればしのげたはずだ。まともに受けて気を失うなど』
「うーわー! 言うな! ああ、今の俺のMPどうなってんの?!」
『相手も神クラスだからな……一撃でMPの最大容量を半減させられた。それだけなら、本来は気を失う程ではないのだが、事前に黒崎との戦いでMPが半減していたから』
「MPが底を尽きたってことか」
見事にしてやられた。
今こうして、意識の欠片を保っているのは、戦場が大聖堂で、近くに俺の体だったクリスタルがあったからだ。クリスタルに残っていたMPが、辛うじて意識を繋いでくれた。
『異世界に転生した俺は、恋人と再会することを夢見て、千年の時をこの地で過ごした。時は流れ目的は今、達成された。思い残すことは何もない……本当にそうか?』
もう一人の俺が腕を振ると、暗闇の中に四角いスクリーンが映し出される。
そこには、日本刀を振るって戦う心菜の姿があった。
「心菜……!」
『待っている人がいる。恋人だけではない。幼馴染みに、旅の仲間。救いを求める、アダマスの人々……』
石になってしまった、神官たちの姿も見える。
そっか……あいつらを放って無責任に死ねないな。
『千年の間に、俺はこの国の人々と深く縁を繋いだ。それは神と呼ばれるにふさわしい力を持った絆。その絆が、クリスタルに宿っている』
闇の中に、ぼうっと青く輝くクリスタルが浮かび上がった。
もう一人の自分との統合。
唐突に、それが危機を脱する手段なのだと、思い至る。
「えぇ……人間辞めるとか、したくないのに」
石の体に入っていた時は、人と話したくて仕方なかった。
誰かと触れあって体温を感じたかった。
広くて冷たい大聖堂で、たった一人、千年の時を過ごした。
また、あの頃に逆戻りするかもしれない。
「もう一人になりたくない……けど」
失いそうになって、初めて分かった。
自分の根っこにあるもの。
「守護神とか言われておきながら、この体たらく……くっそムカつく」
神様なんて恥ずかしいから名乗りたくなかったけど、今は受け入れよう。
俺はアダマスの守護神、聖なるクリスタルに宿る意思。
この世界で最も堅固な盾を持つ神。
アダマスの人々を守ること、大事な人を傷つけさせないこと……それが俺の守護神としての誇り。千年かけて築いたプライド。
その誇りに掛けて、絶対に、このままでは済まさない。
何十分、何時間経っただろうか。
枢が倒れてから、心菜は空中のシノノメに必死に飛びかかり、刀を振り回してきた。二度ほどシノノメをかすったが、致命傷を与えていない。
戦いに集中していた心菜は、時間の感覚を失っていた。
「枢たん、起きて!」
時折、枢に向かって呼び掛ける。
届いているか分からないまま。
「本当に諦めが悪いねー……ん?」
シノノメは眉をしかめ、次の瞬間、異変に気付いた。
枢の倒れた体の上に、青い輝きを放つクリスタルが、いつの間にか転移してきている。
「あれは、近藤枢の、もうひとつの体……まだ統合してなかったのか。まさか今」
枢の意図を察知して、シノノメは焦った。
「パワーアップさせてなるものか!」
火炎属性の魔法を続け様に撃ち込む。
爆炎が大聖堂の絨毯を焼いた。
しかし炎の中、こゆるぎもせず空中のクリスタルは青く輝いて変形し、滑らかに水晶の花弁を広げる。六角柱の中心の水晶はそのままに、平たい結晶が複数枚、出現して中心の水晶の回りに円を描いた。
それは、今まさに開花の時と言わんばかりの光景だった。
枢の体を飲み込み、水晶の花は成長を続ける。
「物理は駄目か。なら、
死神の鎌を叩きつける。
鎌は、水晶の花弁に弾かれた。
「これも効かないのか?!」
水晶は大聖堂の天井まで伸び、バキバキと音を立て砕け散った。
クリスタルの破片が空中を舞う。
割れたクリスタルの中から現れたのは、水晶の鱗で全身を覆い、一対のコウモリ型の翼を持った、青く輝く竜の姿だった。
「枢たん」
目を丸くする心菜の前で、竜は前肢を伸ばし、無造作にシノノメを捕まえる。
「ぐあっ、僕は霊体だから、捕まえられないはずなのに……!」
『
竜の吐いた息が虹色の檻を作り出し、シノノメの霊体を拘束する。
『これは魔力を石に封じて、魔石を作る魔法の応用だ。シノノメ、霊体のお前は実体を持たないゆえに、封印から逃れられない』
「い、嫌だ! 石になんかなりたくない!」
悲鳴を上げるシノノメの体が消え、白く輝く魔石がポトンと床に落下する。
それが、あまりにも呆気ないシノノメの最期だった。
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