86 時の神クロノア

「光の七神のひとり、時間を司る神クロノアともあろうものが、なぜ魔界の奥にいる?」

 

 クロノアの守護する国は、魔界の外、北の山脈にあったはずだ。

 ちなみに時の神クロノアは会う日によって姿を変える。

 よぼよぼの爺だったり、幼い男の子の姿だったり。

 今回は金髪碧眼の若い男性の姿をしていた。

 

「いやあ、老人の姿の時に、入れ歯を落としてしまってね。この辺に落としたはずなんだが」

「俺の質問に答えてるようで答えてないぞ。そもそも入れ歯を落とすほど魔界に通ってるのはどういうことだ?」

「あー、入れ歯どこかなあ。一緒に探してくれないかい」

「……」

 

 マイペースなクロノアは、俺の質問を入れ歯でかわす。

 そんな流暢にしゃべってるのに入れ歯なんて必要ないだろ!

 

「魔法でちゃっちゃと探せ。魔法で」

「入れ歯を探す魔法を忘れてしまってね。歳かな」

 

 クロノアは「いやー面目ない」と笑っている。

 俺は、土埃をズボンから払いながら立ち上がった。

 サナトリスはどこだろう。無事だといいが。

 彼女とはパーティーを組んでいないので、居場所が分からない。自分を含めて六名のパーティー枠は、別行動の真たちで埋まっていた。サナトリスと組もうと思ったら、既存のパーティーメンバーの入れ替えになる。

 ひとりだけ、名前が文字化けしたパーティーメンバーの表示を、俺は複雑な気持ちで眺めた。文字化けしているのはたぶん、記憶から消えた恋人の名前なのだろう。

 

「ここは災厄の谷のどこらへんかな……?」

 

 何もない壁を右クリックするイメージで、このダンジョン全体のマップを開く。異世界転生で無機物いしころになった俺にしかできない裏技だ。

 空中に光の線が走り、立体的なマップが投影される。

 

「……最下層か」

 

 穴ぼこだらけの地面の、一番深いところにいるらしい。

 クロノアが笑顔で人差し指を上にかかげた。

 

「君の連れの女の子なら、ひとつ上の階にいるよ」

「本当か?」

「神様は嘘を付かないよ」 

 

 調子の良いクロノアに何となく不信感を覚えつつも、俺は上に登ることのできる場所を探して、緑色の壁沿いに歩き始めた。

 

「入れ歯~入れ歯~」

 

 ふらふらと入れ歯捜索を再開するクロノアは放って置く。

 明らかに行動も言動もおかしい。

 何を企んでいるんだか……。

 そういえば、俺が聖晶神で名前はカナメだって、説明したことあったっけ?

 

 

 

 

 上へ向かうカナメとは逆に、クロノアは下に向かっていた。

 

「危ない危ない。この下にカナメが行ったら、彼の強い力に反応して災厄魔が起きてしまうところだった」

 

 ゆったり歩くクロノアの姿が、時を巻き戻したように縮む。

 クロノアは子供の姿になった。

 やや早足になって奥へ進む。

 

 薄暗い緑色の壁と木漏れ日が続く通路の先には、白い花が群生する野原があった。

 野原の中央には泉があり、温かい水があふれだしている。

 温水は放射線状に伸びた複数の水路に沿って、緑色の壁の向こうに流れこんでいた。

 野原を囲む四方の緑色の壁に同化するように、苔を全身に生やした巨大な生き物が五体、うずくまっている。元は六体だったのだろう、壁の一部には大きな凹みがあった。

 

 クロノアは壁から野原へ視線を戻す。

 ちょうど白い花に埋もれるように座っていた少女が、立ち上がるところだった。

 

「……大丈夫かい? テナー」

 

 彼女は肌も髪も白かった。

 衣服の類いを身にまとっておらず、全身の無垢な肌をさらしている。地に付くほど長い髪が、少女の幼い身体を辛うじて覆い隠していた。白い手首にはまった金色のブレスレットと、片足のアンクレットだけが飾りである。

 カナメは気付いていなかったようだが、少し前から子守唄が途絶えていた。

 地底に響く子守唄を歌っていた少女は、黙って喉を撫でている。

 

「数千年も歌っていたら、喉が枯れてしまうなんて当然のことだ。無理をしなくて良いんだよ」

 

 少女は戸惑ったように目を伏せ動かない。

 何か言おうと開いた喉からは、ヒューヒューと草笛のような音がこぼれた。

 クロノアは少女に近寄って抱きしめ、額を軽く彼女と合わせた。

 

「待っていてくれ。もうすぐ、君をその役割から自由にしてあげるから」

 

 

 

 

 時の神クロノアと別れ、俺はひとつ上の階を目指した。

 緑色の壁を、木登りの要領でえいやっと踏破する。

 

「キャーーッ!」

 

 わりと近くからサナトリスの悲鳴が聞こえた。

 

「大丈夫か?!」

 

 声が聞こえる方向に向かって駆けだす。

 上の階は普通の土色の壁になっていて、木の根が這っている洞窟といった雰囲気だった。

 障害物を飛び越えると、動物に押し倒されたサナトリスの姿が。

 

「キュー!」

「……メロン? どうしたんだ、そんな大きくなって」

 

 人間より大きいサイズになった胴長で耳の長い哺乳類は、ウサギギツネのメロンと思われる。

 いつもは俺の服の下にひそんでいるのだが、災厄の谷に入ったあたりから、気配を感じないなと思っていた。本来は拳よりちょっと大きいくらいの生き物なのだが。

 ふかふかの腹毛に埋もれて、サナトリスは息絶え絶えである。

 

「この動物、私を食べようとしているのか?!」

「いや、単に懐いているだけだと思うが」

「キュー!!」

 

 敵意のなさそうなメロン。

 俺を見て目を輝かせると、素早く突進してくる。

 確かに、人間よりでかいと襲われてるみたいで怖いな……というか、なんでいきなり大きくなったんだろう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る