85 谷底の子守唄

 真たちにラスボスと言われているとは露知らず……俺はリーシャンを連れて砂漠を歩いていた。

 出発当時は珍しく晴れて青空が見えていたのだが、しばらく歩いたところで、また砂嵐が吹いてきた。

 視界が灰色の砂に閉ざされて右も左も見えない。

 そこに追い付いてきたサナトリスの案内で、俺たちは砂嵐を抜けた。

 

「いいのか? 俺たちに付いてきたら、蜥蜴族の里にいつ帰れるか分からないぞ」

「構わない。元より覚悟の上だ。それに……」

 

 サナトリスは、何故か意味ありげに上目遣いで見上げてくる。

 俺はきょとんとした。

 

「どうしたんだ? 腹でも痛いのか?」

 

 心配して聞くと、サナトリスは深々と溜め息を付いて「強敵だな」と呟いた。いったいどういう意味だ。

 

「カナメはにぶいからね~」

 

 俺の頭に座りながら、リーシャンが含み笑いする。

 

「失礼な。俺は女の子が髪を切ったら気付く男だぞ。リーシャン、いいかげん頭の上に座るのはやめろ!」

 

 頭の上に手を伸ばして小さな竜を追い払おうとするが、リーシャンは器用に手を避けて飛び回る。

 手を降ろすと元通り頭の上に座った。どうしてそんな俺の頭の上にこだわる。

 

「ねえ、見て見てカナメ! あそこに骨付き肉の山が見えるよ!」

 

 リーシャンは尻尾で俺の後頭部をペシペシした。

 砂漠を抜けた俺たちの前には、黒い穴だらけの岩山が立ちはだかっている。

 肉の山なんて見える訳が……

 

「気のせいか……パンケーキとどら焼きの山が見える」

 

 合成映像のように、バターがたっぷりかかった柔らかそうなパンケーキと、あんこがたっぷり入ったどら焼きが岩山に積み重なっていた。

 俺の好物ばかりだ。

 

「カナメ殿、リーシャン殿! 災厄の谷には、好きな食べ物の幻影を見せるモンスターが棲息していると、噂に聞いたことがある!」

 

 サナトリスの叫びに、つい立ち止まって好物の山に見惚れていた俺は我に返る。

 低レベルな幻影魔法に引っかかる俺ではないが、リーシャンも含め幻影を見せられていたことを考えると、敵はかなり高レベルの幻影魔法の使い手だ。さすが災厄の谷。

 

浄化解呪ディスペル……光盾シールド!」

 

 状態異常を回復して、ついでに防御魔法も使う。

 案の定、後ろの地面から現れた巨大なモグラのようなモンスターが、口を開けて俺たちを飲み込もうとしていた。防御魔法に阻まれて「ガチッ」と歯が弾かれた音がする。

 

『イリュージョンモール Lv.1211』

 

 俺たちに幻影を見せていたのは、モグラ?の尻尾に付いた魔法石だ。

 尻尾で幻影を見せ、地面に潜って油断した相手を丸のみにする。

 なかなか戦略的なモンスターだ。

 

「リーシャン!」

「良い匂い~」

 

 食いしん坊の竜はフラフラ尻尾の先を追いかけている。

 俺の魔法で状態異常を回復したはずだが、直後にまた幻影魔法に掛かってしまったらしい。

 あの馬鹿竜!

 

「頂きまーす」

 

 リーシャンは元のサイズ、白い竜神の姿に戻った。

 餌が大きいから合わせたんだろう。

 モグラはまだ俺の防御魔法をガリガリ齧っていて、リーシャンの行動に気付いていない。

 上機嫌なリーシャンは、それと気付かずに、モグラの尻尾の先の魔法石を噛み砕いた。

 

「んー、固いなぁ。骨だからかな?」

『!!!』

 

 モグラは声にならない悲鳴を上げ、のたうち回り始めた。

 自業自得とはいえ……これはまずい。

 地面が割れる。

 

「サナトリス、俺につかまれ!」

「カナメ殿!」

 

 割れた地面の底は真っ暗闇だった。

 暗闇から冷たい風が吹き上ってきて、俺とサナトリスを違う方向に吹き飛ばす。

 駄目だ、イリュージョンモールといい、この暗闇と変な風といい、全部まとめて対処するのが難しい。サナトリスに防御魔法をかけるのが精いっぱいだった。

 暗闇の底から子守歌が聞こえる。

 眠くなる。

 

 

 

 

「枢は一人でお留守番できるよね?」

「……うん」

 

 化粧をしておめかしをした母親が、俺の頭を撫でる。

 

「いってらっしゃい」

 

 小躍りするような足取りで、ハイヒールをはいて玄関から出ていく母親を見送る。

 良い子にしていれば温かいご飯が食べられる。

 笑っていれば頬を張られることもない。

 うまくやっていたのだ。

 自分が不幸だと思ったことはない。

 

「枢、お前のお母さんは入院することになったんだ。これからは俺たちと一緒に暮らそう」

 

 十歳くらいの時、母親の兄夫婦が俺を引き取った。

 実の両親がどうしてるかは知らない。

 名目上は家族。だけど頼り切りにはできない他人だと俺は認識していた。

 だから学校での成績を落とさないように頑張ったし、笑顔を絶やさず明るく社交的にふるまった。

 そのかいあって中学では生徒会長になった。

 生徒会長の仕事で部活間のもめ事を仲裁することになり……そして彼女に出会ったのだ。

 

「……は番長としてご近所の平和を守るのです!」

「番長って何だよ。お前女子なのに面白いやつだなあ」

 

 すごく可愛いのに、ちょっと変わっていて。

 彼女はとても自由な性質だった。

 母親のトラウマなのか女子が苦手な俺でも、自然に側にいられた。

 

「良いなあ……は」


 のびのび自由に振る舞うことに、俺はいつしか憧れを持っていた。

 親という名の他人に運命を翻弄されてきた子供は、自由を知らなかったから。

 

 

 

 

「……って、痛」

 

 俺は上半身を起こして呻いた。

 見回すとそこは壁も天井も緑色だった。

 薄暗い地下のような場所に、天井からうっすら木漏れ日が射し込む。

 かすかに水音と子守唄が聞こえた。

 ここはもしかして、災厄の谷の底なのか。

 

「気が付いたかい、カナメ?」

 

 俺をのぞきこむ、金髪碧眼の若い男。

 

「お前……時の神クロノアか」

 

 どことなく怪しい雰囲気を持つ男は、俺の言葉を肯定するように笑みを浮かべる。

 ひとのことは言えないが……こんな魔界の奥深くで何やってるんだ、この神は。

 

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