第6話 仕立て士レスリーと上級仕立て士

 ガブリエラ様の言葉が頭の中を何度も木霊する。

 数日後、私はエースを呼び出した。


「お前からデートに誘ってくるとは珍しいな」

 ただの昼食なのに、エースはそんなことを言って面白そうに笑う。

 いつもの軽口だ。


「今日は口数が少ないな。いつもならデートじゃないとかふくれるくせに。まさか、本当にデートのつもりだった? それなら」

「ちがうわよ」

 何か焦った風のエースを、片手で制して否定をする。

「あ、ああ、そう。じゃあ、何か聞きたいことでもできたか? テイバーのこと?」

 苦笑いでこちらを見るエースに、私は深呼吸をして口を開く。


「レシュール襲撃の後……」

「ああ」

「テイバー様が亡くなったって噂があったでしょう」

「らしいな」

「あれ、どうして?」

「――なんでそんなことを聞く?」

 表情を消したエースが、眉をひそめた。

「ガブリエラ様がおっしゃってたの。ナナが、テイバー様をかばって大怪我をしたって。本当? そんなこと、ありえないわよね。彼女は騎士じゃないもの」

 でも、だったらどうしてナナも死んだって言われていたの。

 あの時は私どう思った?

 ふーん、くらいだったはず。魔獣娘が魔獣に殺されたのか程度の感想だった。正直言えば、悲しいとも、ましてやざまあみろとも思わなかった。ただ無関心だった。


「本当だ」

 少し沈黙した後、エースはきっぱりと肯定した。

「あの時レシュールの前で倒れたテイバーに、誰も近づくことができなかった。俺たちでさえ、少しでも近づけばほぼ間違いなく死んでただろう。運良く死なずに済んだとしても、手足の二三本は持っていかれただろうね! だけどナナはためらいもなくレシュールの前に飛び込んで、あの小さな体でテイバーを守ったんだ」

「まさか……」

 まさか、ありえない。そんなことあるはずがない。あの恐ろしい魔獣の前に? 騎士でさえ無理だったのに? それでも飛び込むなんて考えられない。どうしてそんなことを。

「レシュールは、ナナの母親の仇だそうだ」

 ポツリとこぼしたエースの発言に、無意識にひゅっと喉がなる。


「レシュールに飲み込まれたせいで何かの力が働いてたらしく、ナナの母親は生きている間、こちらに帰ることが出来なかったそうだ。最期までな……」

「最期……」

 亡くなっていたなんて知らなかった。

「ナナは、テイバーを守ったよ。命がけで。お前は知らないだろうけど、今回何人もの騎士が、ナナの指導で能力値を上げた。あの試合を見ただろう? 今までと段違いの力はナナの指導のたまものだ。それでも誰も飛び込むことなんかできなかったんだ!」

 うそよ、そんなの。


「ナナがテイバーを守る姿を見たとき、はじめて彼女があいつを愛していたことを知ったよ。胸が潰れそうだった。どれだけの想いで、あんな気持ちを隠していられたんだって」

 苦しそうに顔がゆがむエースを見て、ズキリと胸が痛む。

「でも、愛してたって、結ばれるわけがないもの!」

 無意識に強い声になった。

「どんなに想ったところで、結ばれるはずないのよ」


 私はだれのことを言ってるの?

 ナナ。そう、ナナのことだ。

 次期領主のテイバー様が上級仕立て士と結ばれる道なんて、ひとつもない。

 普通の上級仕立て士の立場だって難しかったのに、あんな上等の上級仕立て士を、希少すぎる存在を、ただの領主夫人にするなんてありえない。第一それに賛同できる騎士や仕立て士はいないはずだ。陛下だって許すはずがない。それは、ナナが今、他のチームの助っ人に入らざるを得なかった事態を見ても明らかだ。


 昨日、ナナが力を込めるところをたまたま見てしまった。ニコラスが込めた力の上に流し込み、調和して封じる。そんなやり方を私は見たことがない。こっそり前髪をかきあげるふりをして目を隠し、指の間から目をすがめてみた。ニコラスの力が、ナナの力のおかげで見たこともないくらい美しい流れになっていたのだ。

 刺繍の繊細さ、素材の組み合わせ方。それを調和させるだけではなく、自分ではない人の仕事まで上昇させる。あんなのありえないと思った。どうしてそんなことできるんだって、ただただ驚きしかなかった。あれが本当・・の上級仕立て士なんだと、初めて理解した気がした。


「嫉妬するのはお門違いだと思うぞ」

 低い声で見当違いなことを言うエースに、私はため息をつく。

「嫉妬なんてしてないわよ。ナナは本物の上級仕立て士で、次元が違いすぎるもの。私なんか比べる以前の問題だったわ。私はただ、現実を言っただけ。テイバー様では足りないのよ……」

「はっ? テイバーの方が足りないのか?」

「ナナは千年に一度の希少な存在だわ。テイバー様は素敵よ。でもね、ただ強いだけ、美しいだけでは、彼女の隣には立てない」


 もしナナが、私のようなただの仕立て士だったなら、どれだけ自由だったか。でも彼女が上級仕立て士である限り、ナナがテイバー様と結ばれることはない。それこそ、彼が何か、特別な王にでもならない限り無理だ。


「それでなくても、上級仕立て士は――不自由なのに」

「不自由?」

 エースは、私が未知のことばかり話してるかのようにオウム返しばかりだ。でも実際未知の話かもしれない。こんなこと、一介の騎士には無縁のことだよね。


「不自由よ。あなたのお兄さんだって、家督を継ぐために自由ではなかったでしょう? 上級仕立て士も同じ。しかも上級仕立て士は、騎士よりずっとずーっと少ないの。私は力がないことでホッとしてた。素敵な男性を見て気楽に友だちとはしゃいでみたり、ごく普通の仕立てをしているほうがずっと自由で楽しいわ。本当にね。――うちは私の代わりにニコラスが父の後を継げたし、素敵な人と結婚もしてくれたから幸運だった」

 でもモイラには、後継ぎはいない。

 国で一番の地位にいながら、後継者はナナ一人だ。

 逃げることが叶った私は恵まれている。


「そうなの、か?」

 なぜか唖然としたようなエースに、私は微笑んで見せる。


「知らなかった? 私は自分の力を知っている。力があるのは恐ろしいことだって知ってるの。期待に応えることは、私にはできない」

 私は父の苦労を見てきた。

 もっとできるのではないかと悩む背中を見てきた。

 私がナナのような娘だったら喜んだだろうか?

 いえ。父は強い騎士服を仕立てることより、美しいドレスを仕立てるほうが好きなことを私は知っている。父が仕立てたドレスで女性の美を最大限に引き出したときの、満足そうな表情を知っている。

 母は上級仕立て士の妻であることが誇りだから、そんなこと絶対に認めないけれど。母は上級仕立て士になれなかった人だ。そして、私もなれなかったことでいつも無言で責めているけど、そんなことどうでもいい。


「いや。ニコラスって誰かと結婚したの?」

 でもエースが驚いたのは全然違うことだったようだ。

「ええ。二年、いえ、そろそろ三年になるかしら。もうすぐ子どもも生まれるわよ」

 知らなかったのかと驚く私に、エースは不思議な表情をした。


「じゃあレスリーとの結婚は? おまえだって、テイバーに本気だったわけじゃないんだろ?」

 その言い方に私は首をかしげる。今まで私に縁談はないのに、まるで婚約破棄でもしたかのような感じ。でも次にエースが告げた言葉に私は唖然とした。

「俺は四年前おまえの母親から、レスリーはニコラスとの結婚が決まっていると聞いた」

 はっ? 誰と誰が結婚ですって?


「だから、その前にせめて夢をかなえてやろうと思って、テイバーにお前とデートしてくれるように頼んだんだぞ」

「うそでしょ。そんなこと知らない!」

「本当だ。お前、ニコラスにフラれ……」

「フラれてないわよ! 一回もそんな関係になったことない!」

 なによそれ。

「ニコラスは十年以上ずっと奥さんと付き合ってたし、私は子どものころからそれを知ってたのよ」

「嘘だろ……」


 ひどく混乱しているようなエースに、私は戸惑うことしかできない。

 母はなんでそんなことをエースに言ったのかしら?

 そんなことを考えていると、エースはまた、落ち着かなくなるような不思議な目でじっと私を見た。

 あまりにも居心地が悪くて、次の王太子が誰になったのか知っているか、結局エースに聞きそびれてしまった。

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