第46話 手に入れたいもの
「このベストって午後も着られます?」
置いてあったベストを取り上げてそう問うと、若君はサンドイッチをつまみながらそうだと言ったので、許可をもらってこの場で刺繍を施すことにした。特別な銀糸で襟ぐりに針を刺す。
「それは?」
「光と風のバランスを取ります。風の力は繊細なので、一つ間違えたら無効化されてしまいますし」
まだ堂々と服を仕立てるわけにはいかないから、私が手を入れてるのは内緒ですよと釘をさした。刺繍は角度の微妙な違いで大きな差が出るので、しばらく針を刺すことだけに集中する。
やっぱりお裁縫の腕を上げたい。この一針一針が若君を守るものだから。
やがて必要な模様をすべて刺し終わり、私は大きく息をついた。
「できました」
「ありがとう、ナナ。その糸、どこかで見たことがあるな」
「覚えてるんですか? 若君と初めて会ったときに採取していたものですよ」
あれは、私がラミアの工房に移ってすぐのことだ。二月なのに暖かい日だった。
春先に採取できるこの糸は、シャラという魔獣の繭のようなもの。山でやっと見つけた繭をその場でほぐし一気に糸巻きに巻き付けているとき、タキがいなくなっていることに気が付いた。
周りを見回すと少し離れたところに若君がいて、タキは彼をじっと見ていたのだ。――若君はとても厳しい目で遠くを見ていた。あの時彼は何を考えていたんだろう?
邪魔をしないようそっとそちらへ向かうと、なんとタキは若君の方へ行ってしまったのだが、若君はタキを見て表情をやわらげ
「なんだ、お前。どこから来たんだ?」
と笑った。
しばらくその様子をぼーっと眺めた後、はっとした私は急いでタキを迎えに行ってペコペコ頭を下げたのが最初の出会い。
そこで若君と少し話をして、お弁当に作ってきてたおにぎりを一緒に食べたんだよね。まさかそれから、若君がうちにご飯を食べに通ってくるなんて夢にも思わずに。
「ああ、あの時の。そうか。懐かしいな」
「懐かしいって。まだ半年くらいですよ」
そう。まだ半年。なのに、この人の存在がこんなに大きくなるなんて思ってもみなかった。
「ナナは、どうしても手に入れたいものがあったら、どうする?」
ふいに若君がそんなことを聞いてきた。
「手に入れたいものですか?」
「うん。一番欲しいもの」
欲しいもの。私にとってそれは何だろう。
「それは、対象が何かで変わりますよね。物や仕事の成果なんかだったら、努力して努力して、手に入れるまで諦めないで頑張ります」
今の私にはそれしかできないし、諦めたらそこで終わりだから。
「なるほどね。じゃあ、それが人なら?」
「人?」
「そう。手に入れたいのに遠くて、なのに時々とても近くて。そういう人」
私は驚いて若君を見つめた。
呑気に笑顔を見せている若君の目はどこか悲しそうで、胸が締め付けられるほど切なくて。私はしばらく呼吸もできなかった。
若君にこんな目をさせる人がいるの?
若君なら、望んで手に入らない女性なんていないでしょう?
そこまで考え、私はわずかに目を伏せた。
ばかね。これは若君のことじゃなくて、私ならどうするかって聞かれてることなのに。もしかしたら若君は、私の気持ちに気づいて釘を刺してるのかもしれない。遠くて時々近いなんて、まさに若君のことじゃない。
若君が好きなのは私の作るごはん。それから、気楽にからかって遊べる私。それを忘れてはいけません。
「例えば、それが自分の好きな人だった場合ですけど。相手の気持ちを無視して自分の気持ちだけを押し付けても、相手は幸せにならないですよね。だからこれに関しては、どんなに欲しくても、諦めないことが正解なんて絶対に言えないです」
「そうか……そうだよな」
若君が、どうしても手に入れたいものはあるのだろうか。やっぱり半身のテイバー様かな。もし本当に日本に彼の半身がいるのなら、きっと彼も戻りたいと思ってるだろう。私はテイバー様を見つけ、無事この世界をつなぐ壁を超えさせる事ができるだろうか。
「もしも相手が同じ気持ちで、何か壁があって超えられないなら、二人で一緒に戦うっていう手もありますよね」
若君が半身を取り戻すことを考えながら、私はゆっくりそう言った。
「一緒に戦う?」
「はい」
どちらも同じくらい元に戻りたいと思ってくれたら、きっと上手くと信じたい。いえ、絶対に成功させなくてはいけない。
「そっか。戦ってくれるといいな……」
若君の呟いた声に、私は小さく笑った。
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