第44話 両頬に
目をつむって体を固くしていると、やがてそっと降ろされた。
もう着いたの?
マントをはなして見ると、そこは訓練場の一つだろうか。広い原っぱにベンチのような平たい石がポツポツとあるだけで、とても静かな場所だった。
「ここは?」
「んー。途中のどこか、かな」
「抱っこに疲れたんですね」
解放された理由に思い当たり、喜んでそう言うと、
「まさか」
と、笑われてしまう。しかも片手は私の背中に回されたままなので、
「クララ様が王子じゃなくて、本当によかった」
若君が私の頭上で、はあっと息を付く。
「ナナ、無防備過ぎ」
「そんな、だって、クララ様女の子ですし」
「でも、キスまでさせてた」
「わ、私がさせたわけじゃないです」
わけがわからなくて半泣きになる。バリアを張りたい。でも若君を弾き飛ばすのは嫌だし、どうしたらいいのか分からない。
一体何が起こってるの?
「もう離して下さい」
「いやだ。王女と同じくらいはこうしてる」
「なんですか、それ」
スッと一瞬抱きあげられ、若君が腰を下ろした。そのまま私は膝の上。
心臓バクバクで、このまま死んでしまうかもしれない。
えーん、タキ。助けて。
って、なに? まん丸キラキラお目々でいい子にお座りしてるなんて! 今日のタキは若君の味方なの?
「王子たちにも、ご飯を振る舞ったの?」
怒ってるような声に思わず顔を上げるけど、膝に抱かれてるせいで顔が近くて慌てて俯く。
「陛下の依頼で、王族と従者の方達に作ったんですよ」
「俺は、ずっと我慢してるのに」
うう。やっぱりこれは、ご飯の恨みなんですか。
「ナナ。朝の散歩はもうしないの?」
「……してますよ」
「そう。俺も毎朝鍛錬してるから、またおいでよ」
知ってます。毎朝見てますから。
「ナナのごはんを、毎日食べたいな」
「またプロポーズみたいなことを」
思わずドキッとしてしまい、照れ隠しにぷぅっと膨れる。
「ナナの父君の国は、色々な求婚があるんだな」
「ゲシュティは少ないんですか?」
「知らないの? 聞きたい?」
一瞬目を甘やかにきらめかせた若君が目に入る。
「言わなくていいです」
これ絶対遊ばれてる。
すると突然、若君は自分の腕からブレスレットを外して、私にザラッとそのすべてつけた。
びっくりして顔を上げると、
「私の命をあなたに預けます」
と真面目な顔で言われ、わけがわからなくて目をぱちくりとする。
「こんな風に、ブレスレットを交換するんだよ」
数回瞬きをして、ゲシュティの求婚のことだと理解した。まじまじと自分の腕にある若君のブレスレットを凝視する。
何百人分の元カノの贈り物がついてるの、これ。
「それって、昔の恋人が贈った守り石のこととか、気にならないものなんですか?」
「さあ、どうだろう。文字通り命を預けてるしね」
真面目な声に、少しだけ認識を改めたほうがいいのかな、と考える。
贈った相手を想って積み重ねた、正真正銘のお守りを預けるってどれだけの重みなんだろう。
若君は、これだけの守り石が本当に必要だったのだろう。彼の体温が残るブレスレットを見て、ふいにそう気付いた。
しかも若君が持ってるってことは、ガブリエラ様にまだ渡してないってことでしょう! これは、おふざけで私がつけていいものではないわ!
慌てて腕からそれらを抜いて、若君に返す。
「わかりました、ありがとうございます。これは、私には縁がないですね。私からは交換できるものがありませんし」
なんでまたプロポーズの話になっちゃったかな。これ、仮にも婚約したばかりであろう人の行動ではないよね?
「なら、王子に求婚されても応じない?」
「そもそも求婚されないと思います」
「ふーん」
「なんですか」
「別に」
そう言って再び私を抱き寄せると、頭に顎を乗せたのが分かり、首をすくめる。
「私で遊ばないでください」
「やだ。こんな触れられることないし、もっと堪能したい」
若君もクララ様の真似ですか? 絶対面白がってるでしょう。
「こんなにふざけていると、ガブリエラ様に怒られますよ」
声が震えないよう気をつけながら抗議する。
「なんで突然エラが出てくるの」
第一王女の愛称がサラッと出て来て、バカみたいに胸がツキンと痛んだ。
「若君、ガブリエラ様と婚約されましたよね?」
「はっ?」
若君が身を起こし、私の顔を唖然として覗き込むのが分かった。
「どうしてそう思ったの?」
固い声に、気づいたことを言わなければ良かったと後悔をするけど、もう遅い。
「だって、ガブリエラ様、指輪をしてました」
「なに?」
「左手の薬指にした指輪の意味を知ってるのは、若君だけじゃないですか」
「エラがそこに指輪をしてたの?」
なんで疑問型なんですか。
「あの姉妹はまったく。ねえ、ナナ。今度周りの人の指を見てご覧」
「え?」
「俺の影響って言うのもあれだけど。俺がナナから指輪をもらったあたりから、最近指輪が流行ってるんだよ」
「……若君、ファッションリーダー?」
「なにそれ」
そうなの? ただの流行? 意味はないの?
「でも前に、ガブリエラ様から求婚されてましたよね。私が嫁ぐって、若君が言われてるのを聞いちゃったんです」
「ああ、それか」
ほら、やっぱり。
「それ、俺のところにって意味じゃないから」
呆れたような困ったような声音に、少しだけ顔を上げると、若君が困ったような顔で微笑んだ。
「エラとは友人。というか、女として見てない。ムリ」
「あんなに素敵な方なのに?」
「だってあいつ、中身男だもん」
「はっ?」
実は第三王子だったとか?
「違う違う。性別は確かに女だし、エラの好きな相手はちゃんと男だけど。でも少なくとも俺には、男友達も同然なんだよ」
その言葉が頭に浸透するまで、少しだけ時間がかかった。
「ガブリエラ様、好きな方がいらっしゃるんですか?」
「いる。十年越しの奴が。そのことで子供の頃から色々聞かされてるんだよ。本人に言えっての」
すぐ俺で遊ぶしとんでもないぞ、と若君は真面目な顔で抗議する。
本当なの?
唇から溢れた言葉に、若君は本当だと言った。
「ナナ、妬いた?」
頬に触れる手に思わず目をつむりたくなって、代わりに顔を背ける。
失敗した。これじゃ私の気持ちがバレバレだ。大丈夫。まだ軌道修正できる。
「違いますよ。婚約してる人なら、こんなおふざけしちゃ駄目だって抗議です」
「うん、そうか。でもしてないよ」
今までどうして、この甘い声に平然としていられたのか分からない。でもここで動揺して見せたら、他の女性たちと一緒になってしまう。そうしたら若君は、こんなお気楽で迷惑な行動が取れなくなるだろう。それは駄目。だから、私はできるだけツンとした表情を作ってみせる。
「私で遊ぶのもダメです」
「遊んでないって」
わずかに微笑んで再び私を抱き寄せた手は、微かに震えているような気がした。笑いをこらえてるのかもしれないと情けなくなる。
「ねえ、朝おいで? 来るって言うまで離さないよ?」
「わかりました、行きます。だからもう離して下さい」
早口で返事をするとやっと腕の力が緩み、私は転がるように若君から離れ、大きく息をついた。
「完全防御してないナナは、可愛すぎるから気をつけて」
「なんなんですか、それ」
「そのままの意味」
そう言って若君は立ち上がると、スッと私に身を寄せ、両頬に電光石火で口づけた!
「なっ!」
「全然足りないけど、今日のところはこれで許す」
「許すの意味がわかりません」
大体……
「ウィルフレッド様は、私のことが怖くないんですか?」
私がやったこと見たよね?
「明日は俺にも教えてくれるんでしょう?」
「ええ」
「俺はもっと強くなるよ」
その目に、私の心臓はバクバクするのをやめた。若君の目には何が映っているのだろう。
テイバー様が戻れば、負担は軽くなりますか?
強くなれば、楽になりますか?
「ウィルフレッド様の力はなんですか?」
「俺のは、光と風だよ」
「わかりました。では、明日」
「朝は」
「行きますよ」
「やった。じゃあ部屋まで送る」
「もう抱っこは嫌です」
「じゃあ手をつなぐ?」
「それも嫌です!」
「そこまで力いっぱい拒否しなくてもよくないか」
「知りません。タキ、行こう」
「タキはいいよな。いつもナナに抱かれてて」
「にゃー」
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