第15話 声

 勢いよく振り返った茶髪の男性は、なんと若君だった。


 めちゃくちゃがっかり。お兄さんだと思ったのに。

 若君ってば、私と話すときと感じが全然違うじゃない。お兄さんと声が似てるなんて、今まで気づかなかったわ。


 そんなことを一瞬のうちに考えながら、私はタキの元へ走り寄ってすかさず抱き上げ、ツンツン頭の男性にぺこりと頭を下げる。


「すみません。私の猫なんです。――だめよ、タキ。一人で走って行っちゃ」

 珍しく気が立ってるタキを宥めつつ、そっとツンツン頭の男性をうかがうと、彼の表情が少し和らいでいた。

 よかった、きっと猫好きな人だ。猫好きな人に、悪い人はいないよね。

「そうか。気をつけろよ」

「はい、ありがとうございます」

 幾分まだ空気が張り詰めているのにあえて気付かないふりをして、私はにっこり笑った。


 そして若君を振り返り、わざと少し怒った顔を作る。

「もう、若君、探したんですよ。向こうで人が呼んでますから一緒に来てくださいね」

「え?」

「ほら早く。それではすみませんが、失礼します」

 私は片手にタキを抱いたまま、あいてる手を戸惑う若君の肘に当て、一緒に私が来た道まで早足に誘導していく。

 しばらく視線を感じていたけど、建物の陰に入ってしばらく進むとそれもなくなり、やっと振り向くことができた。うん、大丈夫。誰もいない。


「はああ、怖かった」

 若君から手を放し、壁に寄りかかってズルズルと座り込んでしまう。

 喧嘩とか、見たくないんだよね。そうならなくてよかったわ。


「ナナ? ほんとに?」

 私に目線を合わせるためか、若君も膝をついて私の顔をのぞき込む。

「はい、ナナですよ。突然差し出がましいことをしてすみません。大丈夫でしたか?」

 かなり余計なことをしてしまったような気がする……。


 目をぱちくりとさせた若君が私の頬へ手を伸ばして来たけど、あえてよけなくても見えない壁が阻むようで途中で止まる。王都に来るため、さらに強化したお守りの効果は絶大だ。私が望まない限り、誰かが私に触れることはできないんだよね。

 効果を自分自身で色々実験してるっていうのもあるんだけど。

「ああ、本当にナナだ」

 顔を忘れたわけでもあるまいし、私に触れないことで確認ですか。べつにいいけど。


「なんか、お話の所邪魔をしてしまってすみません」

 ぺこりと頭を下げると、若君は「気にしなくていいよ」とふんわり微笑んだ。

 うん、やっぱりさっきとは感じが違うわ。


「若君?」

「なに?」

「私の前で、わざと声というか、話し方を変えてます?」

「いや、別にしてるつもりはないけど」

「そうですか」


 これはあれですか? 電話に出ると美鈴おばあちゃんの声が高くなるのと同じような原理ですか?

 無駄にときめいてしまった自分が、なんだか情けないわ。


「ところでナナ、俺の事を探していたの?」

 ああ、そういえばさっきそんなことを言ったっけ。

「すみません。嘘です。なんか……あの人と引き離したほうがいいかなぁって思ってしまったので、とっさに……。ごめんなさい」

「いや、謝ることはないよ。ナナが機転を利かせたおかげで、初めて君の手に触れることができたしね」

 ああ、えっと。触れたというか、触ったのは私の方ですけどね。

「そんなとろけそうに笑われると、自分の行動を後悔しそうになるんですけど」

「なんで!」

「なんでって言われても……」

 うーん。なんでだろう。


「それにしても、ここでナナに会えるなんて思ってなかったからうれしいよ。仕事かい?」

「あ、そうなんです。今回初めて連れてきてもらったんですよ」

「そうか。じゃあ、頑張れば、俺もナナに仕立ててもらえるチャンスがあるってことだね」

 うーん、それはどうだろう?

「まだ私は見習いですし、どの競技の勝者に当たるかも知らないんですよ。でも、もしそうなったら、頑張って仕立てさせていただきますね」

 仕事は仕事。全力でします。


 ――さて、余計な時間を食ってしまったわ。

「若君、お忙しいでしょう? 私はこれから出かけるので、ここで失礼しますね」

 ゆっくり立ち上がって一礼すると、同じく立ち上がった若君が

「どこかに行くの?」

 と聞いてきた。

「タキと王都見学に行こうと思って」

 早くしないと夕食の時間になってしまうわ。

 そう思って門のほうへ歩き出すと、なぜか若君がついてきた。

「若君も、こっちに用があるんですか?」

「いや。せっかくだからナナと一緒に行こうかと」

「ええっ?」

「なんで不満そう?」

「若君、忙しいですよね?」

「午後は暇」

「でも勝手に出かけたら、オリバーさん、心配しますよ」

「またオリバーって。大丈夫。連絡しておくから」

「でも」

「それに、上級仕立て士が外に出るとなれば護衛の騎士がつくよ?」

「あ」

 そうだった。ここでは庶民的なふるまいはできないんだった。町に降りるとなれば、たぶん騎士様の一人や二人ついてくる。でも、私の楽しみのためにわざわざ騎士様たちを煩わすのは申し訳ないよねぇ。


「俺がついてるなら、騎士はいらないよ?」

 小首をかしげ、どうする? とばかりにニヤッと笑う若君を見上げる。

 なんだか少し腹が立つ気がしないでもないけど、騎士様のお手を煩わせるより、今暇だという若君の方がマシ……なのかな?


 タキを見ると、「そうしたら?」と言ってるように見える。

「わかりました。ではお願いします、若君」

「うん」

 それはそれは嬉しそうに若君は笑った。 

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