第16話 名前
城門は今、入る人の手続きでごった返している状態だけど、出る方にはほとんど人がいない。
そこで手続きをして、私達は城下町に向かった。来るときは馬車だったけど、今度はトロッコを利用する。
外出手続きのとき、案の定騎士様たちが護衛を申し出てくれたんだけど、若君が一緒と言うことであっさり引いてくれた。若君のおかげで忙しい騎士様たちに迷惑をかけずに済んで一安心。
城門を出て、左に少し進むとトロッコ乗り場がある。
ここのトロッコはきれいな水色で、窓ガラスのついていない一両編成の小さな列車のような感じ。十人乗りが一般的だけど、ここはそれよりもだいぶ大きい感じだ。座席もゆったりしているし、さすが王都って感じ。
これも一種の魔法で動いている。
こういう乗り物にはそれぞれ専門の製造技師がいて、作られた乗り物の適性がある人が運転士になれるのね。そんなに狭き門ではないらしいんだけど、技師と運転士の相性もあると聞いている。
免許以前の適性が左右する職業の一つだ。日本で言えば、自動車免許を取るよりは難しく、パイロットを目指すよりは簡単、くらいのイメージかな。うん、そう考えると十分狭き門だったわね。
ちなみにこっちには、空を飛ぶ乗り物はない。
トロッコの前後にはルームランナーのようなベルトがついている。運転士は進行方向の後ろ側につく仕様なので両側にあるのだ。
以前、運転士がそこを歩くことで出発するのを初めて見たときには、人力で動いているのかとめちゃくちゃびっくりしたわ。
一台につき二人運転士がいるとはいえ、平らな道ならともかく、二桁の人を乗せて上り坂はさすがに大変でしょう? って。
でも実際は、ベルトを歩くのはエンジン始動みたいなもので、動き始めると、運転士の持っている道具と連動して走るのだ。運転士さんたちはトロッコとの連動のためにベルトの上を歩き続けるけど、徒歩程度の力だよと教えてもらったことがある。それでも体力気力をふんだんに使うらしいけど、エネルギーとしてはクリーンでうらやましいよね。
私達がトロッコに乗ると、たまたま他に町に下りる人はいないらしく、若君とタキとの貸し切りになってしまった。
ちょっと特別感があって、これはこれで楽しい。
タキも私の肩から降りて、トロッコの中を歩き、居心地のいい場所を見つけたのか、そこから外を眺め始めた。
私も眺めのいい場所から、城下町を見下ろす。初夏とはいえ、こちらは空気がカラッとしていて爽やかで過ごしやすい。木陰の間を走るトロッコから見た町は思ったとおり、とてもキレイだ。
若君はそんな私達を見ながら席にゆったりと腰をかけ、とてもリラックスしているように見える。
と、若君は突然何かに気づいたように「あ、そうだ」と呟いた。
「どうかしましたか?」
なにか用事を思い出したのかしら?
そう思って若君の近くの席に座って彼を見ると、少し困ったような顔で若君が笑った。
「ナナ、ここでは俺のことを若君ではなく、名前で呼んでくれるかな」
「名前で、ですか?」
「そう。ここで若君と呼ばれると、誰のことかわからなくなるんだ」
そこで、ああ、あちこちの若君が集まるからかぁ、と気づく。さっきのツンツン頭の人もどこかの若君だったかもしれないよね、と。
それで了承の意味で頷いたけんだけど、さて、名前でと言われても、それってどう呼べばいいのかしら。
「様」はつけるべきよね。他に敬称って覚えがないし。
お客様でもない年の近い男の人を「様」付で呼ぶって、なんだか慣れなくて変な感じだけど。まあ、仕方がないか。
名前名前……。確か若君の名前は長かったはず……。えーっと……
「え……。ナナ? もしかして、俺の名前、忘れた?」
あら、バレてる。
いつもあだ名感覚で若君って呼んでたから、耳慣れない長い名前が記憶の彼方に行ってしまってるのよね。んー、なんでしたっけとは、さすがに聞けないし……。
「あーっと……、いえ、その……ウィルフレッド様……(だっけ)?」
もう少し長い名前だった気もするが、とりあえず浮かんだ名前を呼んでみる。
全然違ってたりして。
さすがに全然違ったら失礼だし、怒られるかなぁと、ちょっと首をすくめて恐る恐る若君を見上げてみると、彼は手の平を口元に当て、驚いたように目を真ん丸にしていた。
やっぱり間違えた?
やばい。
焦りながら、私は頭の中の引き出しをバタバタと開けていく。そうよね。さすがに名前を間違えるのは失礼よね。えっと、えーっと……
「あ、そうだ! テイバー・ウィルフレッド様だ! そうでしたよね、若君」
思いだした。よかったわ。
そうだそうだ。「テイバー・ウィルフレッド・ラミアストル様」だ。
しっかり思いだせて喜ぶ私に、なぜか若君はゆっくり首をふる。
「いや、ナナからは、ウィルフレッドと呼んでほしい。そう呼んでくれるかな」
なぜか少し上ずった声で言われ、私は思わずきょとんとしてしまう。
若君の意図がつかめなかったのだ。
ウィルフレッドのほうに、何か思い入れがあるとか?
もしくは、テイバーという呼ばれ方が、あまり好きではないとかかしら?
そんなことを考えているとタキが、
「にゃー」
と、若君に同意するように鳴いた。
まあ、私としてはどちらでもいいので
「じゃあ、ウィルフレッド様と呼びますね」
と言うと、若君はなぜかちょっと泣きそうな顔で笑ったように見えた。でもそれはほんの一瞬のことで、私の気のせいかもしれないんだけど……。うん、まあ、気のせいだよね。きっと私の記憶力が悪いことに呆れて、情けないと思った顔がそう見えたに違いないわ。たぶん、そう。
そして、私の心の奥で、何かがコトリと動いたような気がしたけど、これも気のせいだ。うん、全部気のせい。
それでもこの時のことは、私の心に強い印象を残したのだった。
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