第8話 うちの若君(1)
私の名前はオリバー。
ゲシュティの西にある、ラミアストル領の次期領主である若君の従者である。
一つは領地の経営。
もう一つは領地の安全を守ることだ。
領主になる人間は生まれついての資質が必要であり、うちの若君も当然持っていた。
しかし、十四年前の事故で、若君はそれを失っている。にも関わらず、それを感じさせないほど普通の他の領主や領主候補生よりも強く優秀である若君は、非常に人望も厚いが、その美しさもあってよくモテる。
すべての女性が
彼女らに恋人や夫がいてもそうなのだから、たちが悪い。
若君の事は尊敬していても、自分の想い人にこの人を会わせてなるものかと我々が考えても仕方がないことだろう?
しかし、しばらく前から若君が足繁く通う娘がいる! この娘がなんとも面白いのだ。
まず若君の甘い笑顔が通じない。
普段は若君が絶対に言わないような甘ったるい言葉でさえ、すーっと右から左に流れていくのが目に見えるようだ。
初めて若君が彼女に向かって、甘い甘い声で「嫁においで」と言うのを聞いたときは、心底ギョッとした! 普通のご令嬢なら腰砕けで立てなくなるような、それはそれは甘い声と笑顔で言いやがったからだ!!
できるわけがないことを、この娘が本気にしたらどうするのだと、心底驚いたのは言うまでもない。
だがそれは完全に私の杞憂であった。
それを言われたときの、娘のあの顔!
「寝言?」
と言わんばかりのシレッとした顔は、今思い出しても笑いがこみ上げる。
そこで私も、若君は自分の魅力が通じない娘が新鮮なのだろうと理解したのだ。
娘は名前をナナといい、国でも数少ない上級仕立て士の見習いだ。
その上、大変料理が上手である。
よくもまあ、行くたびに違う料理が出てくるものだと感心する。
食材の種類は変わらないように見えるのに、それが様々な料理になるのだ。とはいえ、私からするとあまりに毎日違う料理が出てきたら疲れてしまうのだが、若君は大変お気に召してる様子。
しかもそれを作っている娘自身が、こう言ってはなんだが、仕立てをする側ではなく、逆にドレスを仕立てさせて飾りたてたくなるほどの愛らしさなのだ。この娘を自分好みに飾りたて腕を組んで舞踏会に出たら、大勢の男が悔しがるだろうほどの魅力があるのだが、どうやら本人は全く気づいていないらしい。
どこか異国風の雰囲気があるあの目で見つめられ、ニッコリ微笑まれでもしたら、私でさえしばしぼーっとなってしまう。いや、実際にしたことが何度かある。
まあ、そうすると私が若君から
「なんでお前が微笑みを向けられる」
とブツクサ文句を言われるのだが、普段経験できないことだろうとニヤニヤしてしまう。普段は逆の経験しかないものでね。
だがどうも、若君があの娘に本気で恋をしていることに最近気づいてしまった。
同性の自分でさえドキッとするような、切なげで苦しい表情をこの方がするんだ! と、愕然とした。
そうは言っても、仕立て士見習いと次期領主。
結ばれるのはあまりに難しい立場だ。
それでも、幼少のころから面倒を見てきた若君の初恋を、応援したい気持ちもウソではない。
妻をめとるまでにはまだ時間があるだろう。
それまでに恋の一つや二つしたところで、特に咎められるものではない。
むしろ今までいないほうがおかしいのだ。
あの娘が若君の本心に気付くかどうか、それが楽しみだという気持ちもないではないが。
十四年前の事故以来、「完璧」を目指して来た若君も普通の男だったんだなぁと思うと、少しばかり可愛いじゃないか? 実際幼少期はとても可愛らしかった。
彼女の里帰りと、こちらの仕事の忙しさから、気付けば二十日も彼女の顔を見ていない若君がさすがに気の毒になってきた。来月からは王都に行かねばならないため、今日を逃したらさらに会えない日が続く。
恋する気持ちも理解できるので雑務を引き受け、「今日だけですよ」と若君を彼女のもとへ一人で送り出してやった。どうせ相手にはされないだろうが、会えば若君の仕事もはかどるだろう。
来月の王都入りも、実はナナも来るという情報があるのだが、あえて若君にそれを教えることはない。なぜって? 彼女を見つけたときの若君の顔を想像すると面白いからに決まっている。彼女から直接聞くなら別だがね。
☆
「お戻りになりましたか」
数時間後に城に戻った若君を出迎える。隠しきれないニヤニヤが、少々気持ち悪い。
「ああ、戻った。ナナがお前がいないことを気にしていたよ」
少し面白くなさげな顔で言う若君に、思わずニヤリとする。
「……今日もナナは可愛かった。だが久々に会えたというのに、大して寂しがってなかったように思うが……、きっと気のせいだ……」
心の声が駄々洩れですよ、若君。
「その勘は正しいと思いますけどね」
つい突っ込むと、
「心を読むなよ」
と心底驚いた顔で言われてしまう。
「ばっちり口に出してましたよ」
「……!」
なんですか。そのマジか! みたいな顔は。そんな顔もできたんですねぇ。面白すぎるでしょう。
「で、どうだったんです?」
あえて何をとは聞かず、そう言ってみる。
「うまいご飯を馳走になったよ」
「昼を抜いたかいがありましたね」
「珍しく、俺に見惚れてくれたようだ」
「ほお?」
これは男としてというより、置物か何かのように鑑賞されたな? と思ったが、しっかり口をつぐんでおく。
「家族の姿絵を見せてくれたんだ」
「それはようございました」
「お父上のような男が好みだと言ってた」
「ほう。どのような方でした?」
「髭の似合う、屈強な戦士のようだ」
「ふむ」
「どう思う?」
「若君もお強いですよ」
その辺の男じゃ、まず太刀打ちできないほどには。
服を着てると細く見えるのでなめられることもあるが、鍛え方が並大抵ではないのだ。付き合うこちらも苦労したが、まだ成長途中であるのが分かるので、末が楽しみでもある。
「……今日も触れることはできなかったな」
ぼそっと若君が呟いたのがばっちり聞こえたが、気の毒なので聞こえないふりをしておく。
ナナは身持ちの固い女性だ。
本人も気を付けているようだが、全身に張り巡らされた、しゃれたデザインにしか見えないお守りの力は絶大で、暴漢も、不埒な男も寄せ付けはしないだろう。
若君が触れることができないのと同時に、他の輩も手が出せないわけだ。
しかもタキという黒猫が彼女をしっかり守っている。
若君とじゃれてたかと思うと、ナナに触れようとする若君をしっかり妨害する様は何とも面白い。
若君の第一目標が、「ナナの手か頬、もしくは髪に触れること」というのが何とも涙ぐましいが、私たちのためにもぜひナナには頑張っていただきたいものだと思っている。若君がナナを見ている限り、無駄にふりまかれる色気はそこそこ抑えられるからだ。
私は、今夜仕事が終わったらデートをすることになっている、給仕係のかわいい娘の顔を思い描き、若君に見られないよう気を付けながらニンマリした。
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