第4話 街灯の暗がりで獏を見た。①
街灯の暗がりで獏を見た。……ような気がする。
豚みたいなシルエットに、ちょっと長い鼻。このご時世に白と黒の2色という時代錯誤な配色。多分、あれは小学校の頃に図鑑で見た獏だと思う。
突然、年季の入った街灯の明かりが消え、辺りは一瞬真っ暗になる。再び明るくなったとき、そこにいたはずの獏は最初からそうであったかのようにいなくなっていた。
気のせいかしらん、と不思議と心は落ち着いている。
「そんなんだから、いつまでたってもミスばっかりしてんのよ」
ふと、敦子先輩の言葉が頭をよぎる。仕事が終わってからも、私は怒られてばかりだ。何となく心がざわついたので、とりあえず頭を振っておくことにした。
「ちょっと。宮越」
すこし低めの声で敦子先輩が私を呼ぶ。このトーンだと少なくとも褒められることはないな、と現実逃避気味に私は席を立つ。
「はい、なんですか」
のんびりとしてるね、と周りから評される私なりに精一杯の真面目な声。しかし、どうやら敦子先輩にとってはこの声ものんびりしているように聞こえるようで、こちらを一瞥した後に小さなため息が漏れる。
「ここ、発注の数が間違っている。あと、こことここの住所も違う。番地が――」
小さいころから、集中力のない私はよくミスをする。計算すればミスをするのはしょっちゅうで、早く起きているのに遅刻したり、商品の発注では数はおろか、まったく別の商品を注文してしまったことも。そんな私が普通の企業に就職できたのは奇跡なのかもしれない。
私の指導係になっている敦子先輩は私のミスを見逃さない。誰よりも早くミスに気付き、自分のデスクに呼び出して書類の不備を指摘する。
「――聞いてんの?」
さっきよりも厳しい目つきの敦子先輩と目が合う。……しまった。聞いてなかった。
「ええっと、」
言い淀む私に敦子先輩はさっきよりも大きなため息をつく。
「あんたね、そんなんだから、いつまでたってもミスばっかりしてんのよ」
少しだけ敦子先輩の語気が荒くなる。この言葉から始まる敦子先輩のお説教はいつも長い。これから始まる長丁場に備えて私は足の裏に力を入れた。
「あいつはさ、多分宮越ちゃんに嫉妬してんじゃないかな」
矢形先輩は敦子先輩の方を窺いながら、敦子先輩には聞こえないような声で言う。
敦子先輩の同期である矢形先輩はデスクが近いこともあってか、よく私に話しかけてくれる。
「宮越ちゃんがこの部署に来るまで、あいつはここの紅一点だったんだよね。だからなのか知らないけど、結構チヤホヤされてたんだぜ」
部長なんか明らかに態度違ったもんなぁ、とだらしない恰好で座りながら矢形先輩は呟く。
「まあ、部長の態度が違うのはそれだけじゃないんだけどね」
少し明るい髪でちゃらんぽらんな矢形先輩とは対称的に、敦子先輩はきっちりとしている。パンツスーツを見事に着こなし、きれいな黒い髪を一つに束ねたその姿はいかにも仕事ができるキャリアウーマンだ。見た目だけでなく、その仕事ぶりは抜きんでている。完全にお荷物と化している私の指導係を勤めながらも、自分の仕事はおろか、人の仕事もしっかりと手伝い、ほかの人の何倍も働いている。そんな敦子先輩が仕事ができない私にイライラするのは当然なのかもしれない。
ところでさ、と矢形先輩はさっきよりも小さな声でささやく。
「今日もしよかったらご飯でも――」
「宮越、訂正できたの?」
矢形先輩の声を遮るように敦子先輩のデスクから声が飛んでくる。
「っ!あ、はい。できました。」
突然のことで少々驚くが、敦子先輩から指摘されたところはさっき訂正し終えている。手早く書類をまとめると、何か言いたそうな矢形先輩に背を向けて敦子先輩のデスクへ向かう。今のは助かったかも、と思う自分が少しだけ歯痒かった。
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