第一章 その4

 高校三年生になった塚原は教室に入って自分の席を確認し、席に座った。席の位置は後ろの方で塚原としては中々いい位置であった。

 自分の席に座った塚原は隣の席の人間を確認するべく、隣の席に視線を移した。


 塚原の隣の席に座っていたのは、有り体に言ってしまえば、学校一の美女に分類される少女であり、塚原はしばらく少女の美しさに見とれてしまった。

 こんなにも美しい少女の隣の席になれた幸運に感謝しつつ、塚原は隣の席ということで少女にあいさつをしようとしたのだが、少女は真剣な表情で本を読んでいた。

 その真剣な表情を見て、塚原はあいさつをするのを躊躇してしまう。

 一体どんな本を真剣に読んでいるのかと考えた塚原は、少女が読んでいる本のタイトルに視線を向けた。


 本のタイトルは『日本とヒーロー』だった。


 多少の差はあれど、誰もが内容をおおまかに知っているメジャーな本を真剣な表情で読んでいることに珍しさを感じた塚原はもう一度少女の顔を見た。

 そして、塚原はもう一度少女の顔を見て、あることに気付いた。

 少女は、本を真剣な表情で読んでいるのだがその表情はよく見れば、嬉しそうな、苦しそうな、腹立たしそうなありとあらゆる感情が混ざったようなものだったのだ。


 なぜ、少女はそんな表情で本を読んでいるのか疑問に思った塚原は、少女をさらに観察しようとするが、少女の顔を見続ける内に自身の疑問を忘れかける。

 塚原は少女の顔を見続ける内に、少女の目に惹かれてしまったのだ。


 惹かれる少女の目を塚原はただじっと見続け、しばらくして我に返る。

 このままでは自分はただの怪しい人間になってしまう、と考えた塚原は、もともとあいさつをするつもりだったのだから思い切って声をかけて、なぜそんな表情をして本を読んでいるのか聞いてみることにした。


 少女の美しさと、惹かれる少女の目を前にして少しばかり躊躇する気持ちを持ちつつ、意を決して塚原は少女に声をかけ――――――――




「おーい、起きろー。起きろってばー」

「……ん?」


 誰かに体を揺すられ、塚原は自分が寝ていることに気付いた。


「誰だ?」


 重たい瞼を擦りながら塚原は顔を上げ、自分を起こした人間を確認する。


「おはよう、塚原」


 塚原を起こしたのは、塚原の同期であり、県警本部の鑑識課に所属する久保田くぼた隆博たかひろだった。


「何だ、久保田かよ」

「おい、関内課長が凄い顔でこっち見てるぞ」

「すいません、関内課長!」


 久保田の言葉を聞き、塚原はすぐさま立ち上がり、頭を下げた。


「うっそー」


 久保田がそう発言すると同時に、久保田がかけるメガネの左レンズに「う」、右レンズに「そ」の文字が赤く表示され、塚原の怒りのボルテージが一瞬で跳ね上がる。


「……ぶちのめすぞ」

「おおこわっ」

「つうか何だよ、そのメガネ」

「これか? こいつは俺の個人的趣味で作ったパーティーグッズのメガネで、レンズに液晶画面が内臓されていて文字を表示することができるんだ。まぁ、以前寝ぼけながら作ったものだから、表示できるのは一枚のレンズにひらがな一文字で、事前にパソコンに繋いで表示する文字を登録しておかないといけないという、逆によくぞここまでめんどくさい機能になったなって代物なんだ」

「ああ、そう……」


 寝起きということもあり、乱暴な言葉を口にする塚原だが、塚原と久保田は警察学校の頃からの付き合いであり、そのくらいのことは気軽に言える仲であった。

 さらに久保田はもともと警察官になるつもりはなく、科学者になる夢を持っていて大学に進学するつもりだったが、家庭の事情で就職することになり、結果的に警察官になったという塚原と似た経緯を持っていた。


 そんな似た経緯を持っていたからか、塚原と久保田は警察学校で知り合ってすぐに意気投合し、今では塚原にとって久保田は警察官になってからの一番の友人であった。

 ただ一つ、困ったことといえば時折、久保田が個人的趣味として作った発明品を塚原に見せてきて、その中途半端な機能を前に、何とも言えない感情を持ってしまうことである。


「まぁ、ジョークはこのくらいにして、捜査会議、長引いたのか?」

「あれを捜査会議とは呼びたくない。あれは、会議に参加したありとあらゆる人間が、ありとあらゆる人間に罵倒される場だ」


 塚原と関内が県警本部に戻った後、連続殺人事件の捜査会議が始まったのだが、捜査会議は開始から数分経った頃、普段は偉そうにイスに座っているだけでろくに仕事をしない本部長がいまだに事件を解決できないことについて捜査会議に参加した刑事達を叱咤したことが原因で関内がキレたのを皮切りに、いつの間にか捜査会議は参加していた刑事達が今までの不満をありとあらゆる人間に言って罵倒するという場に変わってしまった。


 塚原はしばらくじっと耐えてその場に留まっていたものの、一時間ほど経った辺りで限界を迎え、会議室を出て捜査一課に戻り、久保田に起こされるまで自分の席で眠っていたのだ。


「なるほど。そりゃ、お疲れだな」

「俺は一時間くらいで出てきたけどな」

「誰にも止められなかったのか?」

「みんな罵詈雑言を言うのに夢中で気にもしてなかった」

「なるほどね。まぁ、出てきて正解だと思うよ。だってさっき会議室の前通ったら怒鳴り声聞こえたもん」


 捜査会議が始まってかれこれ数時間が経とうとしているが、いまだ罵倒の言い合いは終わっていないようだ。


「まだやってるのか。たくっ……そうだ。お前、何で捜査一課にいるんだ?」

「お前に頼みがあってな」

「頼み?」

「お前、携帯テレビ持ってただろ」

「ああ、持てるけど」


 塚原は夜勤の際の暇な時間を潰すため携帯テレビを持っていた。


「それ、ちょっとだけ使わせてくれないか?」

「いいけど、何でだ?」

「見たい番組があるんだ」

「見たい番組ね……えっと…………あった。ほらよ」


 塚原は机の引き出しをあさって携帯テレビを取り出し、久保田に渡す。


「おっ、悪いな。いやー、スマホで見ようとも思ったんだが、充電がやばいのに充電ケーブルがみつからなくてな」

「そっか。……そういえば、俺のスマホもそろそろ充電しとかねぇとなぁ」


 そんな会話をしつつ、久保田は携帯テレビの電源をつけた。そして、チャンネルを合わせて携帯テレビに映ったのは、


『残念、不正解! 次の問題を間違えますと失格です!』

『うそっ!?』

『ヤ、ヤバイよ!』

『お、落ち着いて!』


 クイズ番組に出る現在売り出し中の三人組アイドルグループ、ラッツだった。


「うぉ、いきなりピンチじゃん!」


 久保田はかなり興奮した様子で携帯テレビに噛り付く。

 実は塚原にラッツのことを教えた同僚のファンとは、久保田なのである。


『では、問題!』

「が、がんばれ!」


 捜査一課でクイズ番組を見てアイドルを応援する警察官。絶対に関内に見られてはならない光景である。


『かつてこの国を救ったヒーロー。さて、そんなヒーローという名前の由来は?』

『あっ、これ私分かる!』

『本当!?』

『間違えないでよ!』

『うん。えっと、もともとヒーローをどう呼ぼうか悩んでたところ、たまたまヒーローの姿を見たアメリカの兵隊さんが言ったヒーローって言葉の語呂がいいと感じて、当時の日本の人達がじょじょにヒーローと呼び始めたから!』

『……………………正解!』

『『『やったー!』』』

「おっしゃー!」


 テレビに映るラッツと、テレビを見る久保田が大喜びするが、出題された問題は小学生でも答えられるものであった。


『ヒーローという呼び名は、もともとは日本に進駐軍として駐留していたアメリカの軍人がそう呼んだのが始まりなんですね。さて、ここでちょっと豆知識。ヒーローがフィズを倒し、政府が英雄の日という国民の祝日を制定したわけですが、英雄の日を英雄と書いてヒーローと読むのは、政府が国民の祝日の名前は漢字表記にしたいとこだわりまして、ヒーローの日本語の意味である英雄の漢字を当てたからなんです。そういえば、このスタジオには英雄の日とちょっと関係している人達がいるんですよね』

『はい、それは私達です!』

『私達ラッツは英雄の日にこのテレビ局の前でライブをします!』

『しかもその模様は当日、生放送されます!』

『はい、そうなんですね。ラッツのみなさんが英雄の日にライブをします。しかもその模様はご覧のチャンネルで生放送しますので、テレビの前のみなさん、英雄の日には忘れずに見てくださいね』


 問題が簡単だったのは、宣伝目的の問題だったためであるようだ。


「うぉー、当日ライブ行きてー!」

『それではクイズの続きとまいりましょう!』


 クイズ番組はまだまだ続くようで、久保田は番組に夢中になっているが、塚原としては退屈なものであった。だが、これといってすることもないので塚原は暇つぶしにテレビを見ている久保田に話しかけることにした。


「なぁ、久保田」

「何だ?」

「今朝、何で現場にいなかった?」

「ああ、俺は被害者の自宅の方に行ってたからな」

「なるほど。何か出たか?」

「おっしゃ、また正解! ……えっと、何だっけ?」

「被害者の自宅で、何か出たか?」

「ああ、はいはいそれね。被害者以外の毛髪や指紋は出たけど、被害者の職業を考えると、色んな人間が出入りしてそうで犯人に繋がりそうにはないかな。一応、毛髪や指紋は科捜研の方でこれまでの捜査で採取したDNAと合致するか検査はしてるけどな」

「そうか」


 あまり人を職業で区別したくない塚原だが、今回の被害者の職業は風俗嬢であり、自宅に様々な人間が出入りしていてもおかしくはなく、そうであれば被害者以外の毛髪や指紋が出るのも当然であり、これまで素性を一切掴ませてない犯人が証拠を残すとも思えず、毛髪や指紋は空振りであろうと考えていた。


「あとはそうだな、証拠品がめちゃくちゃ増えた」

「証拠品が?」

「ああ。もう殺人は六件目だっていうのに犯人に繋がる証拠を一切みつけられないことに怒った上の連中が自棄を起こしてな、被害者の自宅にあるもの全部証拠品としてここまで運ぶはめになった」

「自宅にあるもの全部って、マジか?」

「マジだよ。タンスから紙屑まで自宅にあるもの全部だ。おかげで証拠品が保管室に入りきらなくて一部の証拠品が鑑識課に置かれてる始末だ。しかもその中から科捜研に送る物を分別しなきゃいけないからたまったもんじゃないぜ」

「そりゃ、災難だな」

「まったくだよ。……そうだ、災難といえば塚原、同期の船橋ふなばし覚えてるか?」

「船橋? ……あー、あいつか」


 しばらく考え込み、塚原は船橋を思い出す。


「あいつ、警察辞めるかもしんねぇわ」

「はっ? 何でだ?」

「えっと、たしか四件目の殺しの時だったっけな。あいつ、被害者の司法解剖に立ち会ったんだ。で、司法解剖は問題なく終わったんだが、そのあとにちょっとな」

「何があったんだ?」

「司法解剖が済んだ遺体を遺族に引き渡すことになったんだけどよ、遺体の顔が発見時のままだったんだ。本来なら司法解剖の前に表情を戻すべきだったんだけど、解剖してた医者がすっかりそのことを忘れちまってたんだよ。でだ、そのまま遺族に遺体を渡すわけにもいかなくて表情を元に戻すことにしたんだけど、これが死後硬直で固まっちゃって中々戻せないのな。そんで立ち会いをしてた船橋も手伝わされたってわけよ」

「それは本当に災難だな……」

「何とか遺体の表情は戻ったけど、船橋の奴、すっかり遺体の表情を戻す作業がトラウマになっちまって最近は不眠症で病院に通院してるらしい」

「そりゃ、いつ辞めてもおかしくないな」


 自分が同じことをしても、トラウマになることは間違いない、と塚原は思った。


「だろ。しかし、警察を辞める、か。俺もそうしようかな。そうすればライブなんか行き放題だし」

「今この状況で上が警察を辞めさせてくれると思うか?」

「そうなんだよな。結局、この事件を解決させないと何にもできねぇや」

「……ああ」


 久保田の言う通り、この連続殺人事件を解決しないかぎり何もすることはできない。

 だが、事件を解決する糸口はなく、手詰まり状態である。

 そんな、暗いことを塚原が考えていると、


「いやぁー、凄かった」


 捜査会議に参加していた勝間が捜査一課に戻ってきた。


「あっ、勝間先輩」

「おっ、塚原。お前、会議途中で抜け出したろ」

「あの状況じゃ、誰だって抜け出しますよ」

「だよな。俺も抜け出したかったけど、たまたま関内課長の視界に入る場所に座っちまってたから抜け出せなかったんだよ」

「ご愁傷様です」

「まぁ、いいや。それよりも、さっき凄いことがあったんだぞ」

「凄いこと?」

「本部長殿と言い合いしてた関内課長の我慢の限界がとうとうきて、関内課長が本部長殿にブレーンバスター決めて会議室の長机ぶっ壊したんだよ」


 勝間の言葉を聞いた瞬間、塚原の顔から血の気が引いた。


「ははっ、さすが関内課長だな」


 久保田は課が違うため笑っていられるが、塚原からしてみればこのあと本部長にブレーンバスターを決めて長机を破壊した関内と一緒の空間で仕事をしなければならず、笑うことなどできなかった。


「あっ、そうだ。お前ら、サボるのは別にいいんだけどさ、もうすぐ関内課長ここに戻ってくるぞ」


 次の瞬間、久保田は携帯テレビの電源を落し、塚原は携帯テレビを机の引き出しに放り込んだ。


「お前ら、仲いいな」

「は、ははっ。……さてと、俺は戻るわ。携帯テレビ、サンキューな」

「お、おう」


 そして、久保田が捜査一課を出るのと入れ替わる形で、


「あの野郎、あれだけで済むと思うなよ」


 あからさまに不機嫌な様子を見せる関内が入ってきた。


「ああ、くそっ」


 関内はかなりイライラしながらタバコを咥え、ライターで火をつけようとする。


「……関内課長」

「あ? 何だ?」

「署内禁煙です」

「…………ああ、そ・う・だ・な!」


 そう言って関内は捜査一課から出ていった。おそらく、喫煙所に向かったのだろう。


「この約一年、お前と働いて俺は思った。お前は将来大物になるぞ」

「……そうすか?」


 勝間の言葉に塚原はそう答えることしかできなかった。

 なおこれは余談だが、不運にもこの時、関内と喫煙所で一緒になってしまった警察官がおり、その警察官はこれを機に禁煙を決意し、半年後に見事禁煙を達成したそうである。

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