第2話 煙突の精『鶴』
『よぉ来たか、涼坊』
ゴウンゴウンとうるさいボイラー室でも、その声ははっきり聞こえた。
見上げるとふわふわと浮いている、着物にたすきをかけ、白い袴姿の男が一人。
空中で胡坐をかくとは器用な奴め。しかしこいつも無駄に顔がいい。
白皙の顔(かんばせ)に雪のような白い髪。歳は25、6に見える。まぁもっとも、こいつは人間じゃないから年齢なんてあってないようなものだ。
この銭湯の煙突の精、名は鶴である。
とはいっても、他の誰にも見えないのでそう呼んでいるのは俺だけだが。
名前の由来はうちの銭湯の名前が『鶴の湯』だからだ。煙突にもでかでかと書かれている。
そして、その名の通り煙突は白く塗られており、天辺だけが赤くなっている。――丹頂鶴を模したらしい。
その鶴がボイラーを親指でくいっと指し、呆れたように笑った。
『もう少し遅かったらアウトだったな』
「マジか。ジャンプが面白過ぎたわ」
ボイラーの罐(かま)に火掻き棒を突っ込んでかきまわすと、真っ赤に燃えてる炭がぼろりと崩れた。確かに薪の足し時だった。
手袋をはめて外の薪置き場に薪を取りに行く。……が、どの薪にすべきか迷う。薪と言っても経費削減のために廃材を利用しているのだが、乾き具合にどれも差がある。
ふよふよと付いてきた鶴が口を出してきた。
『一段目右上三本と、……ああ、そっちじゃない。これと、それとあれだな』
「おっけー」
よいしょっと何本か抜いて、ボイラー室に戻り、罐に薪を二、三本順繰りにつっこむ。待ってましたとばかりに、残り火が薪に燃え移った。あっという間に罐から噴き出すほどに火勢が強くなる。よしよし。
相変わらず、鶴の目利き(薪)は達人級だった。親父は俺がボイラーに愛されてるから、火勢が良くなると思っているようだが、真実は鶴の薪選びがいいからだ。うちの燃料代が15万円ほど節約できたのも、鶴のおかげである。
その鶴からさっそくお小言が飛び出した。
『あのな涼坊、薪の足し時を忘れるなよ。火が消えてからじゃ湯の温度が下がっちまう。客に寒い思いをさせるな』
俺は罐に突っ込んだ薪の位置をずらしながら、生返事をする。
「はいはい、悪かったって」
鶴はため息を吐いた。
『気の抜けた返事だな。前々から思ってたけど、お前には銭湯の跡継ぎとしての自覚が足りなすぎるぞ』
俺は薪が十分燃えているのを見て、ぱたんと罐の蓋を閉じた。
「……そうは言ってもなぁ。俺、店を継ぐ気はないんだからしょうがないだろ」
そう言って鶴を見上げると、鶴は空中で逆さになりながら目を見開いていた。正直、間抜け面である。そうして出てきた言葉は一言。
『え?』
「え? って何が?」
『継がない……? どうして? えっ、それ真面目に言ってるのか?』
地球が終わるって聞いたような反応だった。脳みそが追い付いていないらしい。
(……しまった)
正直マズったかもしれない。冷や汗がだらだら流れるも、今更なかったことにはできない。
ならば、と俺はやけくそじみて断言する。
「銭湯なんて先のない商売、やる気はないってコト。……それに、俺、実はやりたいことあってさ。銭湯やってる場合じゃないんだよ」
(言ってしまった……)
恐る恐る見上げると、鶴の顔は真っ青になり、次に真っ赤になり、真っ白になり……ばくはつした。
□□□
「っぁー、初めて喧嘩した……」
頭をばりばり掻きながら、ほうほうの体でボイラー室を出る。
いつもなら、どんないたずらもしょうがないなぁと笑って許してくれる鶴だったが、こと跡継ぎ問題に関しては平静じゃいられなかったようだった。
鶴は煙突の精だから、てっきり銭湯が廃業になることで煙突もお役御免になることが気に食わないのかと思って、正直にそれを口にした。ら、――幽霊なのにそれを忘れたかのように、殴りかかってきて度肝を抜かれた。まぁするりとすり抜けただけだったが。
曰く、鶴は『これからもずっと涼坊と一緒に銭湯をやるのが生きがい』だったらしい。『自分の消滅なんか問題じゃない、見くびるな!』とも言われたが、いやいや。消滅の方が大問題でしょうが。まぁ銭湯は廃業しても、煙突は残すつもりだったんだけど。
「どうしたもんかなぁ……」
夜風にぶるりと背筋を震わせる。
鶴のあまりの剣幕にテンパって、薪置き場側の出口から外に出てきてしまったのだ。寒い。
(まぁ、今回の話は唐突だったし、俺も言葉を選ばな過ぎた。……うん、俺が悪かった。もう少し時間を置いて、ちゃんと説明すれば鶴もわかってくれるだろ……たぶん)
夜空を見上げると、視界にそびえたつ煙突。高さは約23m。ほとんどモニュメントのようなものだ。古いけど未だ現役だといわんばかりに、もくもくと煙をはいている。鶴のプライド、そのものだ。
(……明日謝るか)
曇り空が自分のどんよりとした気分を表しているようで、それを振り払うように大きく背伸びをした。決戦は明日。
しかし結論から言うと、それどころではなかった。
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