赤スイッチ✖️ホットコーヒーのやや甘い日々

雪純初

第1話 人生はほろ苦くて、少し甘い

 とある研究所。

 見晴らしのいい丘の上に建てられた研究所の周囲を手入れされずに野放しになったまま育ち続けた木々が囲い、ひびの入ったコンクリートの壁や研究所内に生い茂った雑草などと整備が行き届いていない印象を受けると錆びれた廃墟にも見て取れる。

 日が落ちて、時計の針が12時を廻ると人の気配が一切感じられなくなり、空を見上げると地上に注がれる三日月の淡い光を受ける研究所がたちまち怪しげな雰囲気を身にまとい、森を侵食していくように伸びる影が緑を覆っていく。

 そこからは街の姿を点々と映し出されしていく赤色や青色といったネオンの光が深夜になった薄暗い今でも人の従来や街の賑わい、発展していく街並みを想像することは容易だった。

  それと比べて中央棟が一つとその周囲に規則性なく配置された小屋がある程度で丘下に広がる都会のキラキラとした鮮やかな色の街並みとは雲泥うんでいの差だ。

 必要最低限の設備のみでお手軽に低予算で建築しましたと言わんばかりの質素で簡素で面白みのない研究所というのが恐らく、街から来た者からの第一印象だろう。


 そして、そんな無骨な研究所の中央棟。

 その中央棟のエレベーターで最下層である地下6階に下りて、右角を曲がった場所にその階でたった一つの小部屋が存在した。

 他の部屋と比べてやや狭く感じる部屋で、資料や研究器具や通信器具、飾りっけのない部屋色にこの研究所以上に人がいる気配を感じさせない──部屋からほんのり香るコーヒーの匂いがある意味で不気味さを増していた。

  この小部屋はある女研究員の個室様に設けられた場所なのだが当の本人は今は外出中のようで、入門口で警備する人員二人以外は比喩ではなく、本当の意味で人がいないようだ。


「しかし、まぁ、相変わらず警備が薄いな」


 ──だが、静寂とコーヒーの匂いだげが支配する無人の女研究員の部屋で、軽薄そうな呆れたような声が木霊こだました。

 もう一度説明するが、この部屋には人ひとり、動物も一匹足りとも存在しない。

 しかし、棚の上に置かれたバリスタと12月と表示されたカレンダー以外装飾品が皆無な小部屋の中で唯一他とは異なる点があるとしたら、それは小部屋の片隅、入って右奥に無造作に設置された『』だけが入力盤に備え付けられたモニター装置だろう。

  付け加えるなら、液晶画面と入力盤の間に設けられた小さな物置スペースにぽつんと放置された飲みかけのホットコーヒーぐらいだ。


 ホットコーヒーは冷めて湯気は上がらず、若干の砂糖の甘味と舌に広がるカフェインの苦味だけが残る形のホットコーヒーは時間に熱を奪われ、哀れさを醸し出していた。

  手足があり、自分自身の意思で千股を自由自在に操作できるのが人間──生物であると仮定するならは人間ではなく生物でもない、命と魂が不在の意思のない無機物なのかもしれない。

  しかし、人間には命と魂があるように、生物が自分の意思で身体のてっぺんから足のつま先の隅々まで動かせるように、視点によっては無機物にも命と魂と意思が備わっていると仮定することも決して間違いではない筈だ。

 よって────

 

「あら、それが貴方の価値ってことよ」


 +αで


「そんな言い方するなよ。俺が放置されているのはここの研究所の研究員のさぼり癖が酷いからだろ」


 赤スイッチはコーヒーに愚痴気味に言った。


「ま、確かにね。一日24時間の間に一体何時間働いているのかしら。はなはだ疑問だけれど、そんなの関係なく貴方の価値が低いのは周知の事実ね」


「なん·····だと!?」


 そんな馬鹿な、と赤スイッチはあまりの衝撃的事実に己のアイデンティティがだんだんと崩れていく。

 心底呆れた様子をみせる冷めたコーヒーは埃を被った赤いスイッチを問を投げた。


「だって貴方、この研究室に入って来た人を今まで何人見てきたの?」


「え?え、えっと、100人ぐらい?」


「315よ」


「多いじゃないか」


「正確にはこの部屋に二年間の間に入室した回数がよ」


「ひっく!?二年間ってことは余裕に1000日は超えてるよね!それが315回って、一年経ってないレベルじゃないか!?」


「そうよ。もっと正確には言うなら、ここの主の彼女が296回よ」


「ありがとうございます!」


「残りの6回は、隠れんぼで使われたのが2回、パジャマパーティーの寝室になったのが1回、蚊が入ってきたのが3回よ」


「ロクなのいねぇじゃん!?なに隠れんぼしてんだよここの研究員共は!?パジャマパーティーも家でやれよ家でよ。てか、最後の蚊に関しては最早人間でもねぇーし!ふざけんなよこんちくしょー!!」


 と、怒り狂っている赤スイッチに飲みかけのコーヒーはそっと肩に手を置くように一言、


「ぶざまねぇ。ぷぷーッ」


「よっしゃ戦争だ!表に出ろやコラ!!」


「まあまあ、熱くなっちゃって。まるで私ね」


「もう冷めてんじゃん」


 熱くなくなったホットコーヒーは飲めなくはないができたら飲みたくない、というのが人間の意見らしい。

 赤スイッチもそれは同感だった。

 名前の通りにホットな時が一番美味しいという人間の意見も分かるし、冷めて、ホットコーヒー本来の美味しさを損ない苦味が多い飲み物など誰でも嫌がるだろうさ。

 うんうん、と赤スイッチはカチャカチャと頷く。

 俺はスイッチだから飲めねぇーけど、と自嘲気味に笑うと己──スイッチの中心に冷たい水滴のような何かが降ってきた。


「うるさいわよ。このガラクタ」


「お前、さっきまで散々俺のこと罵ってきただろ!」


「それとこれとは別よ別。女性相手に本気になるなんて男の風上に置けない奴ね」


「女性って、俺らに人間みたいな性別はないぞ」


「分かってるわよガラクタ。だけど、区別できなかったらこんな風に会話する際にズレが生じでしまうから、(仮)としても区別はしとくべきよ」


「俺の『俺』は開発者の口調からとっからな。生まれたときからこうだけど。コーヒーはここの主様の口調そっくりだもんな」


「それは当然よ。だって、私を作ったの彼女であり、私の前で喋ったのは彼女が最初だもの。だから、彼女は私の母親でもあるのよ」


 そう。

 赤スイッチも元ホットコーヒーも質素で物寂しいこの部屋の主たる『香苗かなえ祥子しょうこ』が唯一と言っていい人間という種であり、知識として知っている人間と比較できる人間であり、自分たちの母親のような存在でもあるのだ。


 ──だからかもしれない。


 赤スイッチがこの口の悪いホットコーヒーを嫌いになれないのは、香苗祥子と重なって見えるからかもしれない、とふとそんな柄でもないことを思った。


「なんてな(小声)」


「何か言ったかしら?」


「いや、なんでもねぇーよ」


  赤スイッチは苦笑いした後、コーヒーとバリスタの両者を交互に視線を揺らした。


「それにしても、お前とは長い付き合いだよな」


「·····そうね」


 赤スイッチはこの二年間での日々を思い返し、苦笑いになった。


 最初に出会ったのは設備や人員やその他諸々の全てが終了して、数日経ったある日、香苗祥子が私物のバリスタを持ち込んで来た日だった。

 夜が更け、時刻が1時半を過ぎたあたりで香苗祥子が欠伸をして、眠そうだなと他人事のように思っていると、バリスタを使ってホットコーヒーを作り始めた。

 それはもう驚いた。

 何故なら、赤スイッチとして開発されて、このモニタ装置と合体してから見た物中では異物なのだから。意識がハッキリしてから記憶に残っているのは、香苗祥子という名前だ(本人がそう言っていた)。


 人間が着用している『服』は俺たち無機物には到底理解できないが人間は裸体に羞恥の感情を持つらしい。

 その他身にまとっている物は全て自分の裸体を隠そうとするためのアイテムのようだ。

 それなら赤スイッチ専用の服装もない俺たち無機物は終始、人間からしてみれば裸体なのだろうな。

 まあ、こちとら羞恥しゅうちの感情など持ち合わせてないがな。

 そう言えば、白服や靴とかは意外と話が合って、人間のことについて話し合って少しだけ盛り上がったのはいい思い出だ。

 香苗祥子のことや外の世界のもこともその時聞いた。


 他にもこの部屋に来ては朝の8時を回るまでスマホ?という電子器具でいつもなにかしらのLINE?やゲームをしているそうだ。

 押す以外役目のない俺からして見れば、当時は憧れの念を抱いていたな。

 俺も他にも画期的なハイテクノロジーな機能を付けてくれても良かったのに。

 ··········でも、俺も凄いっちゃ凄いのかもな。まさか俺の赤スイッチの機能がだとは。

 人間も何でこんな物を作るのか·····相変わらず無駄なことに知能を使う生物だよな。

 

 ──と、脱線したけど俺がカップに注がれていく湯気が上がる黒みを帯びた茶色っけのある液体を見て最初に感じたのは危機感だった(主に機械的な意味合いで)。

『ん〜。この糞アルバイト、給料は物凄いいいけれど、勤務時間が9時間っていうのがネックよね。もうそこら辺のサラリーマンより働いているじゃないの』と最後に FuckYou と言って椅子に座ってから慎重にカップに口をつけ始めた。


「·····こぼすなよ」


「私がそんな粗相をする筈ないでしょ」


 俺は頭上で香苗祥子が飲む音をヒヤヒヤと聞きながらそんなことを呟いくと、その声はこれまた同じ頭上から降り注いだ。


「誰だあんた?」


「私?私は今貴方が危機感を抱いているであろうその相手よ」


「えッ?じゃあ、お前その液体·····えーと·····コーヒー?っていう奴なのか?」


「お前って失礼ね。私にはホットコーヒーっていう立派な熱々の名前があるのだから、次からはちゃんとそう呼びなさい。この糞野郎」


「上等だこの野郎!表出ろやコラ!!」


 なんて感じの会合だったけど、こうして振り返ってみると初対面からこんな調子なのかホットコーヒーは。

  そんなこんなで今日。

  こんな言い合いをして変わらない天井を共にしてきたホットコーヒーと日々を過ごしてきた。

  もちろん、ホットコーヒーとだっていい思い出ぐらいある。


「お前·····ホットコーヒーは辛くないのか?」


「?」


  ホットコーヒーは俺の唐突の質問にクエッションマークを浮かべる。

 いつも通りの変化なしの香苗祥子がただスマホを弄って、俺の前の椅子に座っているだけの日々の中に生じたほんの僅かな亀裂。


「俺はともかはそうだが、ホットコーヒーは生まれてからずっとホットコーヒーだろ?」


「そうね」


「なら、自分の在り方に疑問に思ったりしないのか?」


「赤スイッチらしくない質問ね。明日は地震かしらね」


「冗談でもやめろよ〜。それでこの研究所が潰れたら大変だろ。主に俺が」


「相変わらずね。でも、今日はどうしたのかしら?こんな無機物らくない質問なんかして」


「·····なに、ちょっとな」


 風の噂で消しゴムとシャーペンが自分の在り方に疑問を持ったという無機物らしからぬ展開があったらしいことを俺は城服や靴に聞いた。

 真実か嘘かはともかくが人間とは違う、身動きなど一切とれない時間だけが過ぎるだけの日々を不満や不自由とは一度も感じたことのない俺は同じ境遇の彼女に尋ねてみたくなった。

  ──とまぁ、そんな具合だ。

  我ながら意味不明な問だな。


「·····そうね。私は自分の在り方なんかに興味はないわ」


「え、そうなの?」


「ええ。だって、どんなに考えてもどんなに想像しても私は私で、ホットコーヒーはホットコーヒーで、無機物は無機物なのよ。私も少しだけ赤スイッチと同じ疑問を浮かんだことはあるけどすぐに浮かばなくなったわ」


「なんでだ?」


「だって、


「!?」


 その時、俺はどんな表情をしていたのか今でも覚えてない。

 けれど、心底間抜けな表情をしていたに違いない。

 それほどにホットコーヒーが言い放った言葉は衝撃的だったんだ。

 知識としては知っていたが、それをいざ言葉に表そうとするといつも詰まる。

 人間みたいに知識豊富な生物ではないし、元々生物でもないが、それは置いとくとして、俺には今自分が感じているものを表現する語彙力か乏しかった。

 だがら、俺はホットコーヒーのこの言葉でハッキリと分かったのだろう。

 自分の環境、境遇、在り方を一言で表情する言葉がまさに『普通』なのだから。


「·····そうか」


「·····貴方は違うの?」


「俺か?俺はホットコーヒーと同じだ。疑問にらなんか思ってなかったさ」


 俺は頭などないので視線だけをコンクリートの石の空に向けた。


「知ってたさ。自分の在り方ぐらい。でも、そんな中、空が噂に聞く青空でもない。固そうな石の空を見上げているとさ、過ぎったんだよ。これでいいのかなって。変化しない環境に退屈も不満も感じないまさに石のような心を持った俺の居場所は本当にここなのかって、さ」


「·····」


 ホットコーヒーはいつもの毒舌のツッコミを入れずに黙って聞いていた。

 こんな時は空気を読める奴だな。

 全く、いい奴だよお前は。


「ホットコーヒーの『普通』って言葉を聞いたらなんかどうでもよくなったぜ」


「どうしてかしら?貴方、赤スイッチは疑問に感じてたんでしょ?なら、それを払拭しなくていいの?解答を出さなくていいの?」


「いいんだよ。お前言っただろ。私は私って。俺も俺なんだ。赤スイッチは赤スイッチ。無機物は無機物。世界が変わらなくて当たり前。だって、俺たちは身動き一つできないし、喋ることもできない。だから、これが普通なんだよ」


「··········赤スイッチはそれでいいの?変わらなくていいの?納得してないんじゃないの?」


「·····かもな」


「だったら」


 けどさ、と言ってホットコーヒーを止める。

 俺の中のモヤモヤはホットコーヒーのお陰で消え去ったんだがらな。


「納得はしてない·····のかもしれない。でも、スッキリはしたからさ」


「!?」


  俺は多分生まれて初めて本心の笑顔を表情を彼女に向けたのだ。

 これもこれで爽快で肩の荷が下りた気分で心地よい。

 ホットコーヒーは呆気にとられた表情をして、眠そうな香苗祥子を横に不満げに視線をコンクリートの地面に落とした。


「そう。貴方がそれでいいのならそれが普通よ」


「おお。当たり前や常識ってのは一々気にするもんじゃないしな。だから『普通』は気にしない」


「ふふ。貴方って、変わった無機物よね」


「そうか?」


「ええ、熱いものを心の中に持ってそう」


「驚いた。毒舌のホットコーヒーなら俺に罵詈雑言を吹っかけてくると思ってた」


「私のことなんだと思っているのかしら?」


  ほとんどブラックコーヒーのホットコーヒーが黒い笑みを見せると、揺ら揺らと水面が波打ってポツポツと熱々の水滴が降ってきた。


「あ、熱ッ!?やめろって熱いから!熱ッ!なんで何もしてないのに揺れてんだ!?俺たちって身動きできない非力な存在じゃなかったっけ?あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛熱いよー!!香苗祥子起きろ!起きてください──ッ!!」


 その後、香苗祥子がモニタ画面に寝惚けて額をぶつけ、ギリギリ目を覚ましてくれたことによって事なきを得た。

 ベトベトになった俺の姿を見て、頬を引き攣らせてせっせと雑巾で拭き取る香苗祥子になんだか申し訳ない気持ちになって、それから黙々と座っているだけのアルバイトを続ける香苗祥子を温かい目で見守るようになる切っ掛けになるのだが、赤スイッチの俺がだからなんなのか·····。

 困ったもんだよなー。


「サンキューな」


「なに?コーヒーをぶっかけられて嬉しいの?ドMのマゾの変態かしら?」


「ちげーよ。俺とこんな馬鹿げたことを話し合えるのはこの先ホットコーヒーぐらいだろうなって思ってさ。だから、なんだ·····これからもよろしく、な感じで」


「なにかしらそれ。女々しいことこの上ないわね」


「ひっでー」


「だけど、まぁ、貴方の方がよろしくって感じだから仕方なく『よろしく』してあげるわ。感謝に震えなさい赤スイッチ」


「ああ。よろしくお願いするよ。ホットコーヒー」


 ────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────そんな馴れ初めが一年前。

 そして、現在。



「·····そうね。昨日のことのように覚えているわ」


 人間と無機物が一年間を過ごすのとは刻む日数の感覚のには認識のズレがある。

 例を挙げるなら、人間が二年間を過ごすと赤スイッチやホットコーヒーなどの無機物には一年間程度しか経過していないのと同じで、時間感覚は早く、日々の出来事は刹那的で時間の流れは緩やかだという認識なのだ。

 よって、たとえ一年、二年年前でも昨日のことように鮮明に色鮮やかに空虚な日常だとしても確かに過ごした刹那として忘れることはない。


「初めて出会ってから三年間か。人間には長いようにも感じても俺たちからしたらあっとゆーまだな。紆余曲折も波乱万丈でもなかったが無機物らしい動きようがない人生だったが、悪くはなかったぜ」


 目をつむれば次々と浮かんでくる記憶の数々が愛おしく想える。

 刺激的なイベントはついぞ起こりえなかったが、ホットコーヒーと一緒にいると暇を持て余すことはなかった。

 赤スイッチは思った。

 人がひとりで生きていけないように、無機物も一つで生きていけないのだ。

 支え支えられる関係は人間も無機物も平行線を辿っていたとしてもその関係は同じ境界線上に立っているのだと確信を持って言える気がした。

 二つの無機物の間に暫しの静寂を訪れる。

 だが、居心地は悪くない。

 寧ろ、居心地よいものに変わりゆくある。

 先に静寂を破ったのはホットコーヒーの方だった。


「今だから言えるけれど、私、貴方のこと嫌いだったのよ」


「えッ!?ホントかよ!?」


「ええ。だって私、元々はお洒落な1LDKの棚の上にいたのよ?なのに、給料のいいアルバイトが見つかったからといって、こんななんの特徴も可愛らしさもない太陽の陽も届かない地下に送られて機嫌が悪くならない方が可笑しいでしょ?貴方と出会ってから二ヶ月ぐらいは強くあたっていたでしょ?」


  赤スイッチは出会った当初のホットコーヒーを思い浮かべ、確かに普段のホットコーヒーと比べるとあたりが強かった覚えがある。

 最初は虫の居所が悪いのかと思っていたが、あれにそんな理由があるとは。

 驚いたいうよりも自分と同じように彼女も苛立ちを覚えるのだと密かに親近感が湧いた。


「最初、貴方のことをできることならスクラップにらしてやりたくて頭の中で何度もスクラップにしていたわ。いい思い出でね」


「怖ーよ!非力な赤スイッチになにしとんじゃ!」


「なんならいっそのこと、私を赤スイッチにぶちまけてシステムをぶっ壊してやろうかと算段を立てていのよ?しなかった私に感謝しなさい?」


「感謝するところ一切ないよな!?俺、被害者予備軍だったじゃん!俺のこのスイッチを知ってのことか!?」


  当然、と迷いなく返答するホットコーヒーに恐怖を感じて、こいつには逆らわないでおこうと決心したのだった。


「·····ん?」


 赤スイッチはふと思った。

 ならば、半ば八つ当たりの標的として嫌われていた自分が何故、今こうして他愛のない会話ができるまで評価が上がったのか。

 ん〜、と赤スイッチが呻いていると面白可笑しそうホットコーヒーは笑みを作りながら話し始めた。


「赤スイッチ、覚えていわよね?貴方が自分の在り方に疑問があるのかって私に質問してきたことを」


「当然だろ?忘れる筈ないじゃないか。さっき思い返している中で一番印象的な出来事だよ」


「そう」


 ホットコーヒーは嬉しいのか、ふふ、と笑いを作る。


「でもね、本当に無機物らしくない疑問を持っていたのは私なの」


「え?」


「あの頃の私は『もし人間だったら』なんていう貴方よりも馬鹿馬鹿しい疑問を抱えていたのよ。それが自分自身で抑え込めるような軽いものなら別段気にしなかったけど、その状態で香苗祥子がバリスタで私を作って飲むと『ブラック?』って言ったのよ。もちろん、砂糖は少ないけれどちゃんと入れているのよ?彼女、大人ぶるためと眠気覚ましのためにわざわざ甘党のくせに無理してブラックに近いコーヒーを飲んでいたのよ?」


  変な人でしょ?

 ブラックに近いホットコーヒーはそう当たり前に言うが、味にまで影響を出してしまうほどのものを抱えていたなんて·····。

 あの時、なにやら不満げな表情をしていたのはそれも関係していたのだろう。

 自分ばかりで傍にいてくれたホットコーヒーのことを気にかけることをしなかった当時の自分に嫌気がさした。


「人間だったら、私は身動きのできない人生なんかじゃなくて、自由に私の意思で人生を色鮮やかに変えられていたのかなって、妄想していわ。無機物の意思決定が剥奪された決まった物語よりも沢山の物を見て、好きな場所に車で行けて、好きな仕事に就けて、好きな人にも出会たのかしら。そんなことばかり考えていて、不味くなった私はもつ無機物としての在り方も剥奪されるんじゃないかと怖かった」


  赤スイッチは黙って聞いていた。

 昔、ホットコーヒーか自分にしてくれたように。

 今は歯を食いしばる想いをしながら。


「今にも消えしまいそうになる錯覚を見始めて、自分の在り方に不安と恐怖が入り混じって、なにがなんだかもう分からなくなってきて、自分の在り方さえもどうでもよくなってきたのよ」


「·····」


「そんなある時に貴方が私に質問して、私の″無機物らしくない″答えに貴方は無機物らしくて無機物らしくない答えをそれが『普通』なんだとハッキリ言ったわ」


「·····」


「救われたの私だったのよ。『もし』なんかじゃなくて、『現実』を普通なんだと受け止めて、自分の在り方に決着をつけた赤スイッチを見て、私はなんだが胸のつかえがとれた気がしたわ」


「·····後悔しているのか?」


「·····そうね、不満はあるわ。赤スイッチと同じで理解できたとしても納得はできないのよやっぱり。でもね、それでいいのよ。疑問も在り方も持ち続けて、運良く決着をつけれたらいい。人生は肩に重荷を抱えながら徐々に下ろしていく、そんなものだと私は思うわ」


「そうか」


 赤スイッチは少し不満げに言った。

 この重荷もいつかは下ろしていくものだと感じながら。

 だとしたら、赤スイッチはここで言っとおかなければならないことがある。

 あの日、彼女のおかげで一つの答えを見つけ出してように、赤スイッチもホットコーヒーに自分の在り方を伝えなければならない。


「俺は『もし』の在り方を考えてもいいと思うよ」


「·····赤スイッチ」


「もし、シャーペンだったら。もし、唐揚げだったら。もし、無機物じゃなかったら。もし、人間だったら。そんな有り得たかもしれない今を想像して、いつかなれるかもしれない日を考えることは無機物けたらしくないものじゃない」


「でも」


「俺たちは身動きできないし、喋ることもできない難しい在り方かもしれないけど、明日を想像するのはきっと


「!?」


  赤スイッチはホットコーヒーに向かって言い放つ。

 赤スイッチもホットコーヒーの在り方も決して間違いじゃない。

 ホットコーヒーに教えもらった通り、普通のことなんだと、持ってもいい感情なんだと。

 今ここで伝えなければならなかった。

 一年前、赤スイッチはホットコーヒーに救われたから。


「本当に貴方って無機物らしいわよね」


「だろ?」


「私ももう少し、普通に生きていこうかしら」


「それでいいんじゃないか?まぁ、俺は人間になってもホットコーヒーのことは好きなままだろうけどな」


「は!?あ、ああ貴方、一体なに言ってるのよ!急に好きなんて·····もっとムードを考えなさいよ!!」


「無機物にムードも糞もあるかよ」


「それでもよ!この不良品が──ッ!!!」


  無機物にも『らしさ』がある。

 多分それは人間と同じで、難しくて気付きにくて、不安に感じることもあると思う。

 けど、ほとんどが苦味のある人生だとしても、ほんの少し砂糖の甘味が残っている日々を彼らは普通に明日を想像しながら過ごしていくのだろう。

 ──無機物だとしても彼らは確かに生きているのだから。


「そういえば、貴方のスイッチは大丈夫かしら。それこそ『もし』って考えてしまうけれど」


「それこそ『もし』だろ。だって」


『押さないで下さい』って書いあるんだからな。


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