第83話:こんどはあたしを支えて (オーキスEND)

 

「なんであたしが勇者なの……おかしいよこんなの……」


 オーキスは治癒院のベッドの上で、一人悔しさをにじませる。


 つい先ごろ、面会に訪れた聖王第二子キャノン=ジムは、彼女の父親の前で、彼女を正式な“勇者”へと任じた。


 すでに東の魔女の討伐物語はオーキスを主役に歪められ、聖王国の全国民が知ることとなる、真実にされていたのである。


「オーキス、入るよ」


 しかし荒んだ彼女の気持ちは、親友の来訪によって多少なりとも落ち着きを取り戻す。


 オーキス無二の親友で、共に悲しみを乗り越えて、東の魔女となり果てたサリスを倒した【三人の乙女】の一人。

声を取り戻し、復活を遂げた世界で唯一のSSランク魔法使いリンカ=ラビアンである。


「いらっしゃいリンカ。アルビオンに来てたんだ」

「うん。キャノン殿下が、世界の現状を見ろっていうから……」


 リンカは未だに魔神皇討伐の招聘を拒んでいるらしい。そんな彼女へ業を煮やしたキャノンは、世界のありさまを見せつけて、無理やりリンカの気持ちを動かそうとしている。真実を捻じ曲げる聖王国らしい、キャノン=ジムらしいやり方だとオーキスは憎悪する。


「元気? 顔色良くないけど……」


 いつもなら親友の心配に笑顔で応えることができる。だが今はどうしても気持ちを切り替えて笑うことができない。


「オーキスが勇者で、サリスちゃんを倒したって件だよね」

「……おかしいって。こんなのおかしいって! これなんなの……どうしてみんな寄ってたかってロイドさんのことばっかり……!!」


 たしかに彼(ロイド)との出会いは最悪だった。かつてパーティーを組んでいた時も、互いにいい印象を持っていなくて、争ってばかりだった。だけども、それは彼に対してオーキスが勝手で一方的な悪いイメージを持っていたからだった。彼も彼とて、オーキスと同じだったと先ごろ分かった。そして二人は互いにこれまでのことを謝罪し、新しい関係を築いていた。


 そんな中でオーキスは彼の強さとたくましさを知った。彼こそが真の勇者であると認識していた。叶うならば、これからも彼の勇者としての活躍を応援し、共に歩んでゆきたいとさえ思っていた。


 怒りは収まらず、オーキスは俯いたまま、シーツを破れんばかりに強く握りしめる。

そんな彼女の手を、リンカはそっと握りしめてきた。


「リンカ……?」

「さっき表のジールさんから聞いたんだけど、ロイドさん今日この街を出て行くみたいだよ」

「そう、なんだ……」

「オーキス、行って!」


 リンカの意外な言葉に、オーキスは思わず顔を上げた。


「もしもロイドさんに申し訳ないって想っているなら、その気持ちを彼に伝えてあげて! 今それをできるのはオーキスだけなんだよ!!」


 親友の青く透き通るような瞳が、彼女を写す。

こういう目をするときのリンカは真剣そのもの。長い付き合いだからそれはわかる。

しかし、


「いや、それは……だって、リンカとロイドさんは……」


 二人がずっと想い合っているのはオーキスも認識していた。そんな二人を応援したいと想い、これまでずっと過ごしてきた。

時折胸の奥に湧き起る、もやもやとした感情を堪えながら。だからこそ、今ここで動くのは自分ではなくリンカの役目。


するとそんなことを考えていたオーキスへ、リンカは笑顔を浮かべた。


「私のことは気にしないで。もう大丈夫だから。決意したから。私はもう十分だから。今、私はあの人に一番逢っちゃいけない人だから……」

「そ、そんなことないって! なんでリンカ、そんなこと……」

「もう遠慮しないで! 私のことは良いから! 気にしなくて良いから! お願い……行ってあげて、ロイドさんのところへ……お願いだから……」


 リンカの熱い涙が、オーキスの手の甲を濡らす。

今の言葉が、今親友の望む最良の選択だと感じた。その想いを受けて、それでも動かないのか――否。

 彼女の望みがそうならば、オーキスは走るべきだと思う。そしてそれは、オーキス自身も望みでもあるような気がした。

未だに胸の奥にあるもやもやの正体は分からない。しかしそれを確かめるためにも、今は――


「わかった。行ってくる! リンカ、ありがとう!」


 オーキスは迷いを振り切って病室を飛び出す。


「これで良かったの。これで……さようならロイドさん……ありがとうございました……」


 一人残ったリンカは、誰もいなくなった病室で一人涙を流し続けるのだった。



●●●



(とりあえず一服してからにするか)


 三叉路で左の道を選んだロイドは、少し今後のことを考えようと立ち止まることにした。

そして少し奮発して買った葉巻へ火を点け、煙を燻らせる。

やはり安物の煙草と違って、香ばしい匂いが心地よく、かなり旨い。


「けほっ!」


 すると背中へ聞き覚えのある咳払いが響いた。

振り向くと、煙を明らかに嫌悪するオーキスの姿があった。


「ちょっと、振り向くならタバコの火消してからにしてよ!」

「あ、ああ、すまない」


 反射のようにロイドは煙草の火を消す。


「どうしてこんなところにいるんだ?」


 ロイドの問いは溶けて消え、オーキスは目の前に佇んだまま微動だにしない。

風が吹きすさび、しばしの静寂が訪れる。


「オーキス……?」

「ごめんなさい!」


 突然オーキスは頭を下げた。


「なんかよくわからないけど、あたしが勇者ってことになって。だって、アルビオンを救ったのはロイドさんだし。あたしじゃないし。それなのに……」


 オーキスは悔しそうに涙を流しながら、頭を下げ続けている。


「こんなの酷いよ。どうしてみんなロイドさんばっかり……サリスのことだって、ロイドさんが一番辛いのに、なんで、こんな……」


 やはりオーキス=メイガ―ビームという少女は、他人のために涙を流せる、心優しい立派な人間だとロイドは感じた。

それこそが彼女の最大の魅力で、これからも忘れてほしくはない大切な気持ちだと思った。

だからこそいたたまれなくなったロイドは、彼女の意外に華奢な肩を抱いたのだった。


「ありがとう。でもオーキスが気に病むことじゃない。世界のことを考えれば、きっとこれが正しい結果だと思うんだ。無銘でCランクの俺よりも、才能があってSランクのオーキスがはばたくべきなんだ」

「良くないよ!! そんなのダメだよ!!」


 オーキスはロイドの手を振り払う。いつもは凛としている美しい顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れて、まるで駄々をこねる子供のようだった。


「ロイドさんが勇者なんだよ! あたしなんかじゃないんだよ! あたしやらないから! 勇者なんて絶対にやらないんだから!!」

「わがままを言うな!」


 ロイドの強い一斉にオーキスは、叱られた子供のように肩を竦める。


「お前がどう想おうと、そんな気持ちは世界にとって関係ない オーキス、君は勇者だ! 聖王国が認めた救世主なんだ! 魔神皇から世界を救うのが君の使命なんだ! 俺みたいなつまらない男にいつまでもこだわるな! もっと大局を見るんだ!」

「――ッ!?」

「それで良い。世界の命運を頼んだぞ」


 ロイドはオーキスの肩から手を放し、踵を返して、左の道へ向けて歩き出す。

自分のような男を、勇者と信じてくれた、心優しい少女の想いを胸に秘めつつ。


「わかった。じゃあ、勇者やる。だから、見ててよ……」


 背中に響いた意外なオーキスの言葉に、ロイドは思わず歩みを止めた。


「だったらずっと傍であたしのこと見ててよ! あたし、頑張るから! ロイドさんの代わりに勇者として頑張るから! だから見守ってていてよ!!」


 不意に背中に柔らかい何かがぶつかってきて、若草のような爽やかな匂いがロイドの鼻を掠める。

彼の背中にぴったりと身を寄せたオーキスは、まるで大事なもののようにロイドを抱きしめていた。


「ようやくわかった。なんでロイドさんとリンカが話しているとモヤモヤしてたんだろうって。なんでこんなに自分が勇者ってのが悔しいかって……」

「……」

「好き! 大好き! あたしロイドさんのことが好き! これからはあたしの傍にいて! リンカの時みたく、今度はあたしを支えて!」


 オーキスは更に強く、ロイドを抱きすくめる。


「うん、っていうまで離さない。だってここに来ることを勧めてくれたのリンカだから。あの子のためって理由でもいい。あたしが好きじゃなくても構わない! だけどあたしはロイドさんが頷くまで、離れないから!」


リンカのことを既に想ってはいない――そうとははっきりと言い切れない彼がいた。しかしもはや彼女(リンカ)と住む世界が隔てられた。彼女のことは諦めようと思った。そしてそれは彼女もわかっていることだった。だからこそ、この場にオーキスを向かわせたのだと思い知った。


 まだオーキスと少女に対しては、勇者の素質が十分にある心優しい人間だという感情以外はあまりない。


 しかし愛した人の願いと、オーキスの真摯な想いを受けて、ロイドは――


「……俺で良いんだな? オーキスは俺を望んでくれるんだな?」


 オーキスは何度もロイドの背中におでこをこすりつけ、うなずき続ける。


「わかった」


 ロイドは自分を抱くオーキスの手を強く握りしめたのだった。


 聖王国最強で唯一の鎚の聖勇者オーキス=メイガビーム。

魔神皇を倒したのは彼女である。彼女こそが救世主であった。

しかしその背後には、彼女を鍛え、そして支えた一人の冒険者がいたことは、僅かな人間しか知らない真実であった。



●●●



 魔神皇が聖勇者オーキス=メイガービームへ討伐された翌年。


「ど、どうかな? 変じゃないよね?」


 純白のドレス姿のオーキスはリンカへ問う。


「うん。大丈夫、凄く綺麗だよオーキス」


 リンカは微笑んで答える。


「オーちゃん、時間にゃ!」


 ゼフィに呼ばれ、未だ婚姻には納得していない父親に連れられて、教会へと向かってゆく。

 教会で待っていたのは戦乱の間、ずっと彼女を恋人として支え、師匠として支えてくれた冒険者ロイド。


(これがあたしの選択だ)


 オーキスは、第三皇子クゥエルからの縁談を断って、この場にいる。

オーキスを勇者としてのみ認識している人々は、こぞって彼女の選択に異議を唱えた。

だが、オーキス=メイガ―ビームという自分に正直な女性のことを、ちゃんとわかっている人々は彼女を応援してくれていた。

だからこそ、オーキスの中に後悔は全くなかった。


 多くの人々に見守れながら二人は誓いを立てる。


 愛情のしっかり籠った、これからもずっと一緒にいるという誓いのキス。



 それなりの絶望と、無いに等しい希望――そう思っていたのはもうだいぶ昔のこと。


 相変わらず絶望はそれなりにはある。落ち込むことも多い。


 しかし希望はあった。


 オーキスはメイガ―ビームの経営者となり、ロイドは総工場長として彼女を支えて行くこととなる。


 世界のために戦った勇者は、今度は世界を支える存在として生きてゆく。



「なんか不思議だなぁ。あのロイドさんとあたしが結婚だなんてなぁ」


 婚礼を終え、窮屈なドレスを脱ぎ捨てたオーキスは満足そうに、満点の星々を望むテラスで解放感に浸っている。

 そんな天真爛漫な新妻の姿にロイドは笑みを零した。


「嫌か?」

「ううん、ぜんぜん! いまめっちゃ嬉しいもん! あの時のリンカには感謝だよ」

「そうだな」


 もしあの日、あの時、あの場所でロイドがオーキスを受けれ居ていなければ、こうした幸せの日を迎える日は無かったのだろう。

すでにロイドの中でリンカは過去の人になっていて、今は愛するオーキスが彼の気持ちをつかんで離さない。


「これからは三人で幸せに暮らそうね」

「三人……? まさか!?」

「うん! おめでただよ? たぶんあたしの勘だと女の子」

「そうか。ありがとうオーキス」

「いえいえ。でさ、名前なんだけど……サイリスなんてどうかな?」

「サイリス? オーキス、お前……」


 オーキスは満点の星空を見上げた。まるで東の塔で見た星空と同じような美しい夜だとロイドは思った。


「ロイドさんが嫌じゃなかったらなんだけどね。まぁ、まんまだともしかしたらいじめられるかもしれないから。でも、この子には本当に幸せになってほしいなって。サリスのぶんまで……」

「そうだな。そうしよう。サイリス、早く産まれてきてくれな」


 ロイドはオーキスのお腹に宿った新しい命へ、そう願う。

そんな彼を見て、オーキスは柔らかな笑みを浮かべた。



「いままでたくさん迷惑かけたり、わがまま言ってごめんね貴方! これから貴方とあたしとサイリスの三人でメイガ―ビーム工房を盛り上げていこうね!」



■オーキスEND

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