第62話:魔女の降臨


 そういえば子供の頃、近所に住んでいた女の子を好きになって、ただ話せただけで胸が高鳴った。

大金を握り締めて、初めて高級娼館へ行き、ニーナと出会った時も強い興奮を覚えたもの。


だけど今は、それ以上に胸が張り裂けそうだった。


 人ごみの中、ずっと握りっぱなしリンカの小さな手。

 ついさっきまでは軽く意識していただけなのに、今はまるで違う。

昼の神が茜色に染まり、夜の神が冷たい風を送り込んでくる。

そんな中でも手が汗ばむのは自分ものか、それともリンカもなのか。


 言葉がないのはいつものこと。家に居る時も、食事をする時も、声を無くしたリンカと交わす言葉は無い。

それでも表情や、仕草や、雰囲気である程度分かっている自信がある。

 だからこそ、今のリンカは、明らかに沈黙している。


「疲れたか?」


 リンカは顔を俯かせたまま僅かに頷く。

ロイドは優しく手を引き、人ごみを外れた。

 近くにあったベンチへ誘い、並んで腰を据える。


 ロイドは手を離そうと指先の力を緩める。

しかしリンカは手を固く結んだまま、離そうとはしない。


「楽しかったか?」


 リンカはこくりと頷いた。もしもリンカに声があれば、この後にどんな言葉を紡いだのだろうかと想いを巡らせた。


「俺もだ。祭なんて久々だったし、子供の頃に戻ったみたいだったよ」

「……」


 腕に感じる鼓動は自分のものか、はたまたリンカのものか、それとも二人のものか。


 緩やかな鼓動を感じていたロイドの耳へ、ひゅるりといった甲高い音が響いた。

夜の神が到来し、紫がかった空。

そこへ大輪のような美しい花火が打ちあがり、空を明るく鮮やかに照らし出す。


 それを見てリンカは微笑み、そしてより強く、ロイドの手を握りしめる。


 言葉は無いが、リンカの真意は分かったような気がした。

しかし生憎、彼女は声が無い。わざわざ羊皮紙に、リンカの気持ちを、彼女自身に書かせるなど、男として実に情けない。


 ならば口火を切るのはロイドからなのは当然のことだった。


(大丈夫だ。心配ない)


 ロイドは自分へそう言い聞かせる。伝えるチャンスは今しかない。

 一回り以上も離れているし、ロイドはCランクでリンカはSSランク。

だけどその差がどうしたというのか。


 きっとリンカは、ロイドと同じ気持ちを、互いに抱いてるはず。

それは今日、ロイド自身もはっきりとさせようとしていたことだった。


 彼は僅かに息を吸い、緊張する気持ちと身体を引き締めた。


「リンカ」


 決意を込めて、名前を呼ぶと、彼女はハッと顔を上げる。

 胸の鼓動は続いている。が、妙に落ち着いている。


「伝えたいことがある」

「……」

「俺は、リンカを……」

「きゃあぁぁぁぁぁーー!」


 ロイドの声は悲鳴でかき消された。

二人は揃って、視線を上げる。


 目の前では真っ赤な飛沫が、噴水のように高く上がっていた。

頸動脈を激しく切り付けられたその女は、膝を追って倒れ、一瞬で絶命する。



 いつの間にか空には黒雲が立ち込め、雷鳴が轟を上げていた。

 地面から影が伸び、人を飲みこんでゆく。その度に、人は切り裂かれ、断末魔を挙げながらバタバタと倒れて行く。

そしてその影は、ロイドとリンカの足元に達していた。


「ッ!!」


 ロイドはリンカを抱きすくめ、ベンチから飛び降り、地面を転がった。

刹那真っ二つに切り裂かれるベンチ。

 目の前に現れたのは、真っ黒な影の様な人影だった。


 あるのは赤く鋭い双眸と、鎌のような爪を備えた十本の指先のみ。


「なんだこいつらは……?」


 ロイドは記憶のどこかにひっかかりを覚えた。

だが、探る間も無く、リンカを突き離し、万が一にと腰からぶら下げていた数打ちの剣を鞘から抜き放った。

影は一刀両断されて霧散する。手ごたえはまるで霧を切るように感じられない。



「……!」


 リンカが不安げにロイドの服の裾を摘まんで引っ張った。


 気が付けば、邪悪な雰囲気を湛えた影が、ぐるりとロイドとリンカを取り囲んでいる。

影の向こうでは未だ、断末魔が鳴りやまず、花火の代わりに真っ赤な血が流れ続けている。


 影がじりじりと迫る。

ロイドは剣を構え、リンカは瞳を冒険者のソレに代え、ポシェットから羊皮紙を取り出す。


「サイクロン!」


 その時、凛とした”鍵たる言葉”が響き渡った。

影は突然発生した緑のつむじ風に巻かれ、吹き飛ぶ。


「うみゃー!」


 そして背後にいた影は、鋭い拳によって霧散し、姿を消した。


「おっちゃん、リンカちゃん、大丈夫かにゃ!?」


 後ろからはゼフィが、そして正面からオーキスが駆け寄って来た。


「助かった二人とも。こいつらは何なんだ?」

「もしかすると、こいつらはザンゲツ」

「ザンゲツって……あのおとぎ話のか!?」


 神代の時代。魔神皇の三番目の寵妃であった”東の魔女”

英雄アルビオン=シナプスがその命を懸けて、滅ぼした邪悪な存在。

そしてザンゲツとは”東の魔女”が使い魔として使役する、殺戮の魔物である。


「先生とリンカ、みいーつけたぁー!!」


 馴染みのある甲高い声が聞こえ、ロイドの心臓が跳ね上がった。

既に復活し再びロイド達を取り囲んでいたザンゲツがぴたりと動きを止める。

そぞろとザンゲツは左右に捌け、道を形作る。


「やほー! みんな久しぶりぃ! 元気にしてたぁ?」


 道の向こうから現れた少女は長い耳をピクピク震わせながら、“漆黒の籠手”で覆われた右腕を大仰に振って見せる。


 滅亡したハイエルフの末裔にして、Sランクの魔法使い。

ロイドの元教え子であり、リンカの声を失わせた張本人である【サリス=サイ】は、魔物の間に居ながら、無邪気な笑みを浮かべている。


「せんせー! ワタシ、帰って来たよぉ!」


 声はいつもの快活なサリスの印象と変わりなかった。

しかしリンカも、オーキスも、ゼフィもサリスの禍々しい魔力を浴びて肩を抱く。


「サリス、生きていたのか……」


 魔力が弱いロイドでも今のサリスから発せられる禍々しい力を感じ取る。

なによりも目を引いたのが、サリスの白磁の肌とは対照的な、右腕の代わりとなっている“漆黒の籠手”であった。


「あっ? 先生コレ気になる? もしかしてワタシの腕を先生が切り落としちゃったこと、後悔とかしちゃったりしてる?」


 サリスは見透かしたようなセリフを吐き、黒光りする籠手を掲げて見せた。

籠手はまるでサリス自身の手のように、滑らかに指を動かす。

そんな籠手へ彼女は愛おしそうに頬ずりをした。


「良いんだよ、先生は何も気にしなくて良いんだよ。だって、これ、先生が初めてワタシに刻んでくれた貴方の証だもん。先生がくれた大事な傷痕だもん……」

「……随分と様子が変わったな」


 禍々しく微笑むサリスの様に、ロイドは強く邪悪を感じ取り、息を飲む。

するとサリスは、雰囲気と同じく、悪魔じみた笑みをを浮かべた。


「そうだね。うん、そうだよ! ワタシ変わったよ! あはは!! 今のワタシは、リンカなんかよりも凄いんだからぁ!」


 サリスは禍々しい籠手に包まれた右腕を振りかざす。

籠手から紫紺の魔力の輝きが発せられた。

それは空へ舞い、やがて雨のように血だまりだらけになった石畳みへ降り注ぐ。



「あああああ……!」


 呪詛のような唸りが沸き起こり、次第に辺りを席巻し始める。

東の魔女の眷属:ザンゲツに切り裂かれ絶命した老若男女の死骸が、自らの血だまりを踏みつける。

気が付けば、サリスの魔力を浴びた死骸が次々と起き上がり始めていた。



死霊召喚ネクロマンシー!? どうしてサリスがそんな力を!?」


 驚くオーキスの様子が楽しかったのか、サリスは更に破顔した。


「コレ凄いでしょ!? コレ魔神皇まじんおうの力なんだぁ! 魔神皇はちゃんと見る目があるんだよ? 精霊はワタシの声を聞いてくれなかった! リンカみたいな女狐ばっかに微笑んで、ハイエルフの末裔であるこのワタシには全く振り向いてくれなかった。でも、魔神皇は違う! ワタシを認めてくれた! ワタシに力をくれた! ワタシだけに微笑んでくれたのぉ!」



 サリスは周りに従えている死霊リビングデッドのようにゆらりと一歩を踏み出す。

 その禍々しい雰囲気に、ロイドたちは半ば反射的に各々の武器へ手を添えた。

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