第58話:リンカの気持ち(*リンカ視点)
――世界に危機が迫っている。
それは私、自身も感じ取っていた。
立ち上がらなきゃいけないのは分かるし、精霊様もそう云っているように思う。
だけど、それでも私は――
アルビオンの街は普段以上に賑わっていた。
そういえば、明日は街の由来となった”勇者アルビオン=シナプス”の栄誉を称える、年に一回の”英雄祭”の日だと思い出す。
声が出せないリンカは、人とぶつからないよう慎重に道を行く。
そしていつものように、食材を買い集めていた。
最初は声が出せず、買い物一つにも難儀した。
しかし今では、顔見知りになった商店の店主はそんな彼女を気遣って、ジェスチャーのみで理解してくれるようになっていた。
時折挨拶を投げかけてくれる人もいた。
道行く人々は皆元気で、明るく、明日が当然のように来ると信じて疑わない様子だった。
そんな人々がいる街が、人が、リンカは大好きだった。
だからこそ、この平穏と笑顔を守らなければならないと思っていた。
自分にはその力があるのだと自覚はしていた。
今こそ立ち上がり、そして旅立つ時。
その時が来たのだと、重々承知している。
いつかこんな日がやってくるのを覚悟はしていた。
していたつもりだった。
それでも動き出せないのは、一重にリンカの胸の中に”ロイド”の存在があったからであった。
聖王の依頼を受ける。
世界を守るために立ち上がる。
それは同時に今の穏やかな生活を手放すことに他ならなかった。
きっと今のように彼と穏やかな日常を過ごすことはできなくなる。
小さなテーブルで一皿の食事を、彼と一緒につつきあうことも無くなくってしまう。
彼の帰りを待つ日々は御終いになってしまう。
恐らくこれからリンカが相手にするのは、邪竜や魔神の類である。
戦いは熾烈を極めることは容易に予想ができた。
そんな危険な場所へ、自分の我がままでロイドを連れ歩きたくは無かった。
今でこそ、リンカは何度もロイドに迷惑をかけていた
何度も命の危機を経験させてしまった。
もうこれ以上、彼には危険な目に会ってほしく無かった。
だからこそ離れなければならないと思っていた。
彼のことを想えばこそ、そろそろお互いに別の道に進まねばならない時なのだと、常々考えていた。
そして今が、決断の時とさえ思っていた。
――これは稀代の魔法使いで、世界で唯一のSSランクであるリンカ=ラビアンとしての想い。
そうは思えど、離れ難く、できればこのままでいたいという気持ちも強かった。
結局のところ、リンカはどちらかを取らざるを得ない状況にあった。
大好きな人達がいる世界か、ずっと傍に居たいと強く想う彼か。そのどちらを選ぶかの……
買い物を終えたリンカは噴水の淵に座って、茫然と自分のこれからのことを考え続ける。
「リーンカ!」
不意に大好きな友達の声が聞こえて、リンカは振り向く。
オーキスとゼフィだった。
「やほにゃん、リンカちゃん! ちょっと元気にゃいにゃね。大丈夫かにゃ?」
ゼフィは心配そうに顔を寄せて来る。
どう応えてよいか分からず、とりあえず首肯をして見せた。
「隣、良い?」
リンカは声の代わりに笑顔を浮かべて、はっきりと頷いて見せる。
オーキスとゼフィは彼女を挟むように座り込んだ。
「あのさ、リンカ、聞いたよ。聖王陛下の招聘を断ったんだって?」
「!?」
「なんか噂になっててさ」
「……」
できれば今の悩みを、オーキスに打ち明けたかった。殆ど唯一といってもいい友達に話を聞いてほしかった。
しかし今のリンカに声は無い。
羊皮紙に文字を書いて伝えるしか方法が無いのだが、今の気持ちをうまく文字に起こせるかどうか自信が無い。
「えーっと、さぁ……もしかしてリンカが決められないのっておじさんとのことがあるから?」
まるで心を見透かされたような言葉に、リンカの心臓が鳴った。
彼の顔が自然と思い出され、頬と耳に熱が行き渡る。
お腹の奥の方が、切なげな悲鳴を上げ始める。
「や、やっぱそうなんだ……」
「オーちゃん、その反応はおっちゃんとリンカちゃんに失礼にゃよ?」
「わ、分かってるよ。で、おじさんはリンカの気持ち知ってるの? 伝えた?」
リンカは首を横に振る。伝えたい気持ちはある。
しかし具体的にどうしたら良いか、こういう経験が全くないリンカには分らなかった。
「リンカ、ちょっと行こう!」
オーキスは立ち上がり、リンカの手を引く。
リンカは闘術士の友達の膂力に引かれて、フラフラと歩き出す。
「ちょっと、オーちゃん待つにゃぁ! 二人だけで盛り上がらないでにゃ~!」
そうして連れてこられたのは、アルビオンに存在する城のように立派で大きな”大図書館”だった。
ズンズン迷わず進むオーキスは、てきぱきと近くにいた職員へ要件を告げた。
そして、中庭のテラスで待つこと十数分。
「リンカ、おじさんのことを好きっぽいんです。でも、伝える勇気がないみたいで。どうしたら良いですか?」
「何故、私に聞くのですか……?」
呼び出されたのは、この図書館の地下にある閉架図書の管理を担当する【モーラ】だった。
彼女はオーキスの問いへ不思議そうに首を傾げた。すると動作に相まって、艶やかな黒髪がさらりと揺れた。
たったそれだけの動作の筈なのに、リンカは彼女に得体のしれない”魅力”のようなもの感じる。
「え? ああ、それはなんとなく……なんか、モーラさん、おじさんのこと分ってるみたいな?」
「はぁ……ま、まぁ……」
曖昧だが、否定は無い。
もやもやとした感情がリンカの胸の奥で渦を巻く。
今、
彼のことならなんでも知っているという自信があった。
だけども、彼はやっぱり、自分よりも一回りも大人の人。
昔の彼を知らないし、何があったかなんて想像もできない。
もしかするとこのモーラという女性は、彼の恋人だった人ではないか。
自分がしてもらいたいことを、モーラはたくさん、彼にしてもらっていたのではないか。
たくさん肌を重ね合って、たくさん愛の言葉を囁きあっていたのではないか。
そんな想像をするだけで、胸が締り、お腹の辺りが切なげな悲鳴を上げ始める。
「リンカさん? 顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
勝手な想像を巡らせていたリンカを、モーラは心配そうに覗き込んでいた。
リンカはどう回答して良いか分からず、青い瞳をただ右往左往させる。
すると、モーラはそっと、包み込むようにリンカの手を取った。
「正直に教えてください。リンカさんは、ロイドさんのことが好きですか? それは本当ですか?」
モーラは真っ黒な瞳でリンカを捉え、問いかけてくる。
彼への思慕は確かにある。
もしも願いが叶うならば、これからもずっと一緒に居たい。
毎日彼の帰りを待って、食事の支度をして、二人でそれをつつきあって。
いずれは一緒に眠りたい。彼の腕の中で、安らかな眠りに付きたい。
そして――愛の言葉をささやいて貰って、自分もいずれは、その言葉に声で応えたい。
いつの日になるかはわからないが、魔法使いであることも捨て、彼の熱を肌で一杯に感じたい。
――これがリンカ=ラビアンという、まだあどけなさが残る少女の心と体が欲していた願いだった。
まだ彼としたいことが山のようにあった。
今が決断の時だとは重々承知している。
でも、その前にやるべきことがある。その結末を見届けてからでも、決断は遅くは無い筈。
この彼に対して募った想いへ決着を……。
リンカは心臓を高鳴らせつつ、しっかりと首を縦に振った。
「そうですか……わかりました。私がどれだけ力になれるかはわかりませんが、協力致しましょう」
そうモーラは頼もしい返事を返してきてくれる。
しかし彼女の瞳を覆う眼鏡の奥に、僅かな陰りが見えたような気がしてならないリンカなのだった。
***
*こんなところですみませんが、明日更新できません。
明日は早朝から夜遅くまで仕事です……。申し訳ありません。(6月16日記)
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