第40話:二人だけの永遠の秘密


 大図書館館長の怒りの声が響き、あられもない恰好のステイはベッドの上で顔を引きつらせる。

彼の下にいたほとんど衣服を纏っていない女司書マルレーンの顔も真っ青に染まる。


「ありました! 魔神皇の記録ですっ!」


 モーラはステイとマルレーンに目もくれず、休憩室の床へ無造作に置かれ赤黒い本を手に取る。

タイトルは”魔神皇の記録”

 ロイドの一か八かの行動はなんとかモーラを救えたらしい。

更に――


「これはどういうことですかな? 何故ここに”魔神皇の記録”があるのですか? 第一、神聖な図書館で、動物のようなことをしている貴方は何者ですか?」


 館長は穏やかに、しかし棘のある言葉をステイへぶつけた。


「お、俺は、ステイ! 勇者だ! 控えろぉ!」


 と、息がるステイはあたふたとズボンをはき始める。しかも前後反対にである。


「そうですか。勇者様でしたか。それは失敬。私は当図書館の館長を務めておりますケリーと申します。ここで当図書館の司書マルレーンと魔神皇の記録を床へ置きながら、何をなさっていたのですかな?」


 館長がいやに穏やかにそう言うと、ステイは息をのむ。


「そ、それは……そう! ちょ、調査だ! 勇者としての調査だ!」

「調査? 何の調査ですかな?」

「こ、この女が、マルレーンが魔女かどうかをだ! この女が”魔神皇の記録”を閉架書庫から持ち出すのを見て、怪しいと思ったんだ! だから俺は勇者としてこの女の体の何処かに……」

「ちょ、ちょっと!? 勇者様ぁっ!?」

「ばかもんっ!!」


 穏やかな雰囲気の館長から、噴火のごとく声が飛び出た。

ステイや女司書のマルレーンは基より、モーラやロイドさえも驚いて肩を竦める。


「そんなバカな理由があるか! 詳しい話は上で聞かせてもらう! こっちへ来い!」

「あー……えっと……でもまだ服を……」

「そんなことは私には関係ない! 早くなさい! それともこの件を直接、貴方様の”お母さまとお姉様方”へお伝えしましょうか!?」

「ひぃっ! そ、それだけはっ!!」


 どうやらステイにとって”母”と”姉”という存在は、魔竜や魔神よりも恐ろしい存在らしい。

つい先ほどまで乗っかっていたマルレーンへぎゃあぎゃあと何かをわめきたてて、少しでも服を着るよう促している。


「モーラ君、すまないがこの本を私の代理として至急モンシアン殿のところへ持って行ってくれたまえ。彼のお方は、三階の来賓室にいらっしゃいますので」

「わ、わかりました」

「頼みましたよ。あと先ほどはいきなり怒鳴ってしまいすみませんでした」


 館長はモーラへ穏やかに用件を伝えて、刃物のような視線をステイとマルレーンへ飛ばす。


「はやくなさい!」

「「は、はいぃっ!!」」


もはや二人は館長の魔法にかかったの如く、着崩した格好など気にも留めず、館長へ駆け寄る。

そうして館長に連れられて、ステイとマルレーンがいなくなり、大図書館の地下には再び静寂が戻るのだった。


「館長はその……すごい迫力ですね」

「ええ。ケリー館長は昔大軍を率いて魔物と戦ったとても勇敢な”勇者様”でしたから。確か雷光烈火の勇者ケリーだったような……」


 そういえばとても厳しく、そして強いそんな名前勇者がいたとロイドは思い出していた。


「ロイドさん、すみませんが少しの間だけ閉架書庫をよろしくお願いいたします!」

「ああ」


 モーラは魔神皇の記録を胸へ大事に抱えて、飛び出してゆく。


 結局モーラはそのままモンシアンの応接に入り、蔵書整理はロイド一人で続けることになり、依頼を終えたのだった。




 その後の話によると、ステイとマルレーンはあられもない恰好のまま大図書館の中を練り歩かされ、館長室で厳しい詰問を受けたらしい。


 門外不出の”魔神皇の記録”を無断で閉架書庫から持ち出したマルレーンは免職は免れたものの、苦労して取得した司書の資格をはく奪されて、片田舎の小さな図書館にある、閉架書庫係として左遷されたらしい。


 ステイは現役勇者ということもあり、流石のケリー館長も手が出せなかった。しかし大図書館での醜態が彼の恐れる”母と姉”に伝わらないよう、相当な金額をばらまいて火消しをしたようだった。

 更にこれまでかなり風当たりが強かったロイドへの態度が、少し柔和になった。大図書館を出る時など、へらへらと笑いながら、一人で蔵書整理を任せてしまったお詫びとして、価値のある換金アイテムを渡してきた。


 謝罪の意味もあろうが、一番の目的はおそらく恋人のオーキス=メイガ―ビームへ、今回の件を黙っていてほしいということなのだとロイドは察する。確かに散々な目にはあったが、追い打ちをかけたところで、不要な諍いを生むだけだと思った彼は、アイテムを受け取り、今回の件は忘れることにしたのだった。


 後に、この件でロイドに弱みを握られたと思ったステイは彼をパーティーから追放する。

しかしこれはまた別の話である。



●●●



 ロイドはステイから受け取った換金アイテムを早速金に換えて、すっかり夜の帳が下りた、アルビオンの色街へ踏み入っていた。

特に粒ぞろいの女が並ぶ、高級店の区画へ迷わず進んでゆく。

 街頭では身目麗しい女性たちが、妖艶に男へ誘いの色香を放っている。

しかしロイドは迷わずまっすぐと、いつもの高級娼館へ向かってゆく。


 目の前でステイとマルレーンの情事を観てしまい、刺激されたというのもある。

でも一番はやはり今日一緒に蔵書整理をした”モーラ”の存在が一番大きかった。


 いつも世話になっている、好みにぴったり合う”ニーナ”という娼婦によく似た”モーラ”は、ロイドへ年甲斐もなく、情欲を湧き立たせていた。

 今日、ステイからもらった金はあぶく銭。こんな金は、さっさと使って、心と体の掃除に使ったほうがあと腐れなくて良い。


(俺も、まだ若いんだな……)


 そんな自分へロイドは内心苦笑いをしつつ、いつもの店へ飛び込んだ。

 いつもは予約で一杯のニーナも、幸いなことに、今からで短い時間ならば対応が可能という。

ロイドは迷わず金を支払い、そして足早に、店舗の二階の奥にある”ニーナの部屋”へ気持ち足早に向かっていった。


 はやる気持ちをこらえつつ、立派な扉を開くと、すぐさま鼻を擽った甘く妖艶な麝香ムスクの香り。

そして扉の下には三指を床へ着き、深々と礼をしていた、馴染みの艶やかな黒髪を持つ女性。


「いらっしゃませ。ようこそおいでくださいました。私は二―……あっ……!」


 顔を上げたニーナは唖然と、ロイドを見上げる。

その反応だけで、もうはっきりとわかった。髪型も少し違うし、眼鏡もかけてはいないが、確定と言わざるを得ない反応だった。

更に決定的だったのが指に左の人差し指にまかれた包帯。巻き方から結び目まで、今日閉架書庫でロイドがモーラへ施した処置と全く一緒であったのだ。


 やっぱりニーナはモーラで、モーラはニーナであった。

 

「こ、こちらへどうぞ」

「ああ」


 たどたどしくニーナはベッドへロイドを誘う。

二人は並んでベッドの上へ座る。

 ただただ沈黙が続くだけで、ロイドもニーナも言葉を発しようとしない。

少し気持ちを落ち着けようとロイドは紙巻きたばこを取り出し、火をつけた。


「あの、なさらないのですか……? 時間がその……」


 確かに予約なしで入ったので、今日のニーナとの逢瀬はいつも以上に短い。

さっさと始めなければ、中途半端どころか、何もなく数万Gが露と消えてゆく。


 ニーナをニーナとしてみていれば、簡単に行為には及べたはず。

しかし彼女の正体は、今日一緒に働いた閉架書庫係の、幽霊のようだが美しいモーラ。

余計な情報は情欲を抑え込み、複雑な気分のロイドはなかなかニーナに手を伸ばせない。


「今日は色々とありがとうございました。本当に助かりました。蔵書整理の仕事も、本の件も……」

「そうか」

「えっと……やはりお嫌ですか?」


 ニーナはそっとロイドへ手を重ねて囁きかけてくる。胸の奥で心臓が跳ね上がった。


「ですよね。表の私は、陰気で、湿っぽい、幽霊みたいな人ですからね……不気味ですよね……」

「そんなことは……」


 ロイドは煙草を灰皿でもみ消す。

すると、突然ふわりと体が動いた。まるで吸い寄せられるようにベッドへと倒れこむ。


「ど、どうした、いきなり?」


 ロイドは覆いかぶさるニーナにどぎまぎしていた。


「そのぉ……今日は大丈夫な日、ですから……だからっ!」


 ニーナはさらりと黒髪を揺らしながら、飛びつくようにロイドの胸板へ、彼女の豊満な胸を押し当ててきた。

真近で感じる、甘い彼女の香りが、ロイドの心を解きほぐす。 


「このまま帰す訳には参りません。だって貴方は大事なお金を、私との時間を過ごすために使ってくださったのですから」

「い、いや、この金は実は……」

「どんなお金でも、妙なことで得たお金でなければ貴方の大事なお金です。私はそれをいただくのですから、相応のことでお返ししたいんです……それに、今日、たくさん、お世話になりましたから……」


 消え入りそうなニーナの声。それはいつもここで刹那の逢瀬に興じる娼婦のニーナではなかった。

大図書館の暗く、埃臭い、姿こそはそこに住まう幽霊のようだけれど、実は真面目で、元気で、食べ物を美味しそうに食べる綺麗な”モーラ”という女性の声そのもの。


「私を使ってください。今日はいつも以上に頑張ります。痛いことだってしても良いですし、なんでもいうことを聞きます。その気が無いのを、その気にさせてみせます。これでも私はこのお店でもナンバーワンですから」


 ロイドは愛らしくはにかむ彼女を強く抱きしめ返した。


「わかった。よろしく頼む。だが痛いことは趣味じゃない。普通で構わないな?」

「ええ。それにロイドさんは、痛いこと、しなさそうですものね。お優しいですし」

「そんなことは……」

「それに丁寧な言葉づかいも良いですけど、今のような男らしい喋り方の方が好みです」

「まさかニーナが、モーラだとは思わなかったからな……」

「でもここの私は幽霊のモーラでは無く、貴方のニーナですよ。今夜はいっぱい楽しんでくださいね、ロイドさん! 今だけは、私は貴方の恋人です!」



 これが営業なのか、本心なのかわからない。

 それでもかまわなかった。


 外に出れば、赤の他人で、ここでの気持ちや行為は関係ない。

しかしこの場にいて、間に金が入っている時だけは、ロイドと彼女は恋人同士となる。


 金でつながった刹那の関係。二人だけの永遠の秘密。

記録に決して残らない、霞のようなひと時であった。

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