第29話:血の召喚


 闇を裂き、ロイド達はリンカの背を追って迷宮を駆け抜ける。

 ここまでモンスターとの遭遇は一切ない。

おそらくガーベラの固有スキル”戦闘忌避アンチエンカウント”が発動しているのだろう。


 リンカの魔力追跡、そしてガーベラの戦闘忌避の痕跡。

確実に跡を追っている。ロイドはそう確信する。


 やがて迷宮の空気は更に冷ややかに、更に邪悪なものへと変わった。


 おそらくここは魔神ザーン・メルを封ずる祠の最深部。

特危険種と分類されるキングオーガや、髑髏魔導師スカルウィザード、カイザーヴァイパーなど、エレメンタルジン以上の凶悪なモンスターが平然と闊歩すると噂される絶望の空間。

Dランクのロイドには、まさに異世界で、全く縁の無かった闇の陣地テリトリー

しかしそこもまた、凶悪な怪物たちの息吹は感じるも、姿を現すことは皆無であった。



「ここで良いのですね!? 偉大なる御方よ!」


 やがて瘴気が濃さを増し、歓喜するようなガーベラの声が響き渡る。

目前には禍々しい邪気を放ちつつ、固く閉ざされた門扉が。

 リンカはその前で立ち止まった。


「ここで良いんだな!?」

「おっちゃん! 手伝うにゃ!」


 リンカの首肯を見て、ゼフィが叫ぶ。


 ロイドはゼフィと共に邪悪な扉の前へ立ち、靴底を思い切りソコへ放った。

扉が開き、濃密な瘴気が嵐のように噴き出してきた。

鋭いが生暖かい風が、不快感を齎し、額からは冷や汗が流れ落ちる。

意識をしっかり持たねば卒倒しかねない風を受けつつも、ロイドは目前の石室から視線を外さない。


 多数の突起が見受けられる禍々しい祭壇。

そしてその前に跪き、不気味な笑い声を上げ続ける白装束のガーベラ=テトラ。

 

「よせっ!」


 ガーベラの手元にキラリとしたものが見え、ロイドは一目散に飛び出す。

 

「あっ、ぐっ……あああああああああっ!!」


 数瞬遅く、ガーベラは獣のような叫びをあげた。

純白のローブの端が赤黒く染まり始めるのが見えた。


「天上の御方の声が……」


 ガーベラはゆらりと立ち上がり、踵を返す。彼女は自らの腹を、立派な短剣で突き刺していた。

しかし顔に浮かんでいるのは苦悶ではなく、笑み。

まるで魔女を思わせる、邪悪な愉悦の表情。花弁のように美しい唇から血を流しながら、ガーベラは呪詛のような言葉を吐き出し始める。


「これは天上の御方からの試練! 人よ、この試練に立ち向かうが良い! 試練を乗り越え新たな時代を迎えよ! そして私を新時代の母と崇めなさぁい! 私は、ガーベラ=テトラ! 偉大なる御方に選ばれし巫女であり、魔法の神髄を極めしもの! さぁ、叡智を結集して倒して見せなさい! 災厄の魔神ザーン・メルを! あはは……あはははは!!」


 ガーベラは自分の腹から短剣を抜いた。ごぽりと赤黒い血が零れだし、ガーベラは糸が切れた人形のように崩れて倒れる。

 血が広がり、禍々しい祭壇に達する。

すると、祭壇が血のように赤く、妖艶な輝きを放ち始める。

 周囲はシンと静まり返っている。だが妖光を放つ禍々しい祭壇からは、確かで強い”不快感”があふれ出ていた。


 たとえロイドのようなDランクの冒険者であっても、祭壇から感じる”魔神の息吹”に息を飲む。


「血の召喚……? でもなんで処女のガーベラが魔神を……!? もしかしてステイ、アンタ!」


 怒り心頭といった様子のオーキスは、思い切りステイの胸倉を掴んだ。


「だ、だって、こんなことをガーベラがするだなんて思わなくて! 別に”血の召喚”さえしなきゃセックスしても平気だって! お、お前だってそういって、ヤらせたじゃないか! ”一生守ってね”とか訳わかんねぇこと言って、俺に処女捧げたじゃないか!!」


「そ、それは……」


「お、俺は悪くない! 大体魔法使いに癖に、最初にセックスをさせたオーキスが悪いんだ! お前が俺を誘惑したんだ! お前が俺を堕落させたんだ! だから俺はガーベラとも! 俺は悪くない! 悪くないんだぁ!!」


「アンタ、この期に及んで……!」

「オーキス、落ち着け!」


 今は痴話喧嘩よりも、現状確認が優先と判断したロイドはオーキスとステイの間へ割って入る。

オーキスは一瞬、きつい視線を向けて来る。しかし、すぐに我へと返り、ステイを投げ捨てた。



「ごめん、おじさん。ありがと」

「礼は良い。まずは状況を教えてくれ。これは一体どうことだ?”血の召喚”とは何なんだ?」


「血の召喚。魔法使いに伝わる、最も強力な召喚術のことで、一部の魔法使いしか知らない秘術なんだ。処女の血であれば精霊を、非処女であれば魔神を。だから私たちは基本的にその……特に女の魔法使いは生を産む力が強いから性交を禁じられているの……魔神召喚のきっかけにならないように。あたしはアレなんだけど、まさかガーベラもステイと……ごめん、確かに魔法使いの癖に最初にステイにさせたあたしが悪い……」


 確かにオーキスも、ガーベラも互いに知らないところでステイに抱かれていた。

ステイの言葉は言いがかりに近い。

しかしまっすぐなオーキスはそれでも、自らの行いに後悔をしている様子だった。


 再びオーキスは鋭い視線を地面へ飛ばす。彼女の足元ではステイが情けなく蹲りながら、身体をブルブルと震わせていた。


「こいつダメにゃね。立派なのは武器と性欲だけにゃね」


 もはやステイはゼフィにさえも見捨てられてしまったようだった。

 

 そんな中、リンカが必死にロイドの腕を掴んで体を揺さぶってくる。

彼女が指さす先では、ガーベラの血を浴びた祭壇がより強い輝きを発し、激しい瘴気を噴出していた。もはやこの状態になってしまっては手の施しようがない。

逃げる以外の選択肢は皆無と感じた。


「リンカ、オーキス! 転移を頼む! ここから脱出するぞ!」

「……わかった! リンカやろう!」

「!」


 リンカは文字魔法で、オーキスは詠唱によって転移の準備へと入る。

足もとへ光り輝く五芒星が浮かび上がった。


「いつまでもメソメソしてないにゃ! さっさと来るにゃ!」


 ゼフィは自慢の腕力で、未だに地面へ蹲っていたステイを担いで魔方陣へ向かう。

サリスも合流し、輝きがより一層増した。


「行くよ、リンカ?」


 リンカは強く首肯し、手にした巻物を頭上へ放り投げた。


転移テレポート!」


 オーキスの御業を発動させる”鍵なる言葉”が響き渡った。

同時にリンカの投げた巻物が燃え尽き、荘厳な輝きがロイドたちを包み込む。

精霊と人が生み出すの奇跡の力は、五人をあっという間にかき消す。


 瞬間、邪悪な祭壇が砕け、石室に大きな亀裂クラックが生じた。

 ガーベラの死骸は闇に落ちて飲み込まれる。


 そして、深く刻まれた亀裂から災厄が姿を現した。



●●●



 血のように赤い夕陽が空を真っ赤に染め上げている。

夕刻。そろそろ各々が役目を終え、安息に入ろうとしてる時刻。


 乾燥しきった岩場が激しい揺れに見舞われ、無数の亀裂を現したのは突然であった。


周囲で狩りをしていた冒険者、対峙していた魔物、自然の動物さえも、危険を感じて逃げ出してゆく。


「お、おい、あれを!」


 一人の冒険者が竜の口のような祠の入り口を指した時のこと。

そこはまるで火山が噴火するように破裂し、空高く粉塵を巻き上げる。


 かつて”魔神ザーン・メル”の祠と言われた場所は既にそこにはない。

代わりに現れたのは、山のように大きく、まるで”岩の塊”のようにみえる異様であった。


 鉱物とも金属とも取れるつるりとした体表。

重厚な体躯を支えているのは足のようにみえる巨大な塊。

両の肩にはまるで”塔”のような筒が備えられ、夕日で赤く染まっている。


 山のように大きく、岩のように頑強。

さらに全てを灰燼へ帰すと伝承されていた両肩の塔――カノーネと言われる広域魔法破壊兵器。


 その姿は伝承やおとぎ話に出現する【魔神ザーン・メル】そのもの。

これこそが、かつて魔神皇ライン・オルツタイラーゲが生み出した、災厄の魔神。


 復活したばかりの魔神ザーン・メルは両の肩にあるカノーネへ力を集め始めた。

狙うは目前を塞ぐ、雄大な岩山。


 瞬時に収束した魔力は、眩い閃光を伴い、渦を巻きながら放たれた。

それは空気を引き裂き、熱は木々を、その間に居た人やモンスター、動植物さえも一瞬で蒸発させる。


 大きな岩山は魔力の渦に粉砕され、砂へと変わり、魔神へ容易に道を譲る。


 魔神は動き出し、その度に大地が震撼し、砂塵が巻き起こる。

全てを無に帰す破壊の権化は、数多の命に感応してふみ潰し、ゆっくりと森を切り開いてゆく。


 ここより遥か遠くに存在する、一大都市アルビオン。


 そこの住人は未だ、魔神の復活を知らない。

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