第14話:潜入――キンバライトの城



大木の陰に潜み、ロイドは呼吸を整える。

久方ぶりの全力疾走はことのほか応えた。それでも必死に息を殺し、そっと物陰から様子をうかがう。

やがて脇の道を、黒の塗りの四輪馬車キャリッジが駆け抜けて行く。


 立派な四輪馬車と走り去った方角から、行き先は容易に分かった。


四輪馬車を駆り、街のはずれへと向かう――場所は予想通り”キンバライトの城”


 馬車は跳ね橋を渡って城壁の向こうへ駆けこんでゆく。


(目的はなんだ? リンカをどうするつもりだ?)


 胸騒ぎがした。しかも、相手はこの間ニーナから悪評を聞いたキンバライト侯爵。

教会前でみたリンカの様子も、恐らくは本人の意思とは反しているものなのだろう。


 どうしてリンカがここに連れ込まれたのかは分からない。考えすぎなのかもしれない。

だが、リンカにもしものことがあって、その現実が付きつけられれた時――きっと、彼はそれに耐えることができそうもない。

例え貴族の家に侵入するというリスクを冒してでも、真実を確認しなければ。

そんな使命感が沸き起こり、彼は早速行動を開始する。


(さてどうするか。いきなり正面から入ろうとしても門前払いが関の山だな)


 用事も無く、しかも深夜にDランク冒険者風情が容易に通されるとは思えなかった。

怪しまれて、問答無用で切り殺されることも考えられる。

ならばやることはただ一つ。


 ロイドは闇に紛れて、兵の上の衛兵の視線を掻い潜り、館の周辺を洗った。

どの方角の塀も弓を携えた衛兵が睨みを利かせている。

真夜中なので多少の気持ちの緩みはあるだろうが、それでもわざわざ見つかる可能性の高い塀をよじ登る訳にはいかない。

 道は水を湛える堀からしかなさそうだった。

 幸い、周囲を見て回った時、城壁の一部から堀へ水が注がれているのは確認済みだった。


 ロイドは腰の雑嚢から緊急用にと以前購入した”認識阻害の術”が込められた、指輪をはめる。

これ一つで、難儀な依頼の報酬額に匹敵する。しかし使用を躊躇っている場合ではなかった。

一旦嵌めた以上、既に魔法は発動していて、短い使用制限時間は刻々と失われている。


 ロイドはなるべく音を立てないよう堀へ飛び込み、陰に隠れて水をかき分けて行く。

そうして壁へ指をひっかけてよじ登り、事前に確認しておいた排水用の亀裂へ体を滑り込ませた。


 見た目よりも窮屈で、伏せて通り抜けるのがやっとだった。

やすりのように荒いブロックが容赦なくロイドの皮膚を引き裂く。

冷たい水が傷口を容赦なく痛めつけて来る。今夜はひどく寒く、水に触れているだけで体が凍えそうだった。


(なんで俺はこんなことをしてるんだ……)


 ふと、窮屈な水路を匍匐しながらそう思う。


 何故こんなにも寒い想いをし、傷を付けながら、しかも危険を犯して侯爵の家に忍び込もうととしているのか。

バカげている。見つかってしまえばその場で切り殺されてもおかしくは無い。

 そんなことを思いつつも、彼は前へと進み続ける。


 彼の脳裏にあるもの、それは陽だまりのような温かさをくれたリンカの笑顔。

もしもこれが彼女の危機であるならば、救えるのは、今は自分しかない。


 覚悟を改め、ロイドは水路を進み、そして中庭の水がめへ達した。

 凍えそうな寒さの中、それでも息を潜めて周囲の気配を探る。


 衛兵はいるものの、そこまで警戒している様子はない。

そろそろ認識阻害の限界時間だった。幾ら警戒心が薄そうに見えても、正面突破は得策ではない。


 どうしたものかと考えていると、正面の小屋の小窓からうっすらと明かりが漏れているのが見えた。


 ロイドはなるべく音を立てないように水がめから這い上がり、真正面に見えた小屋の影へ一目散に駆けて行く。

壁にぴたりと背中を付けてると、小屋の中から気配を感じる。


 小窓から中の様子を伺う。中では衛兵らしい男が、盛大な鼾をかきながら眠りこけていた。

僅かにアルコールの匂いを感じる。どうやら酔いつぶれているらしい。


 これはチャンスだと思ったロイドは静かに、しかし素早く小屋の中へ飛び込んだ。


「にゃむ……き、貴様! 何者――がっ!」


 起き上がった衛兵のこめかみへ目掛けて、鋭く拳を叩き付けた。

衛兵は再びぐったりと倒れる。起き上がる様子はない。しかしきちんと脈はある。


「悪いな。少し装備を借りるぞ」


殺していないことを確認して安堵したロイドは、衛兵の着こんでいた鎧を身にまとう。

 足元に転がっていた鉄帽子を深くかぶり、身ぐるみを剥がした衛兵を縄で縛りあげて、小屋の隅へ置く。


 すっかり他の衛兵と同じ身なりとなったロイドは堂々と中庭へと出た。


 若い頃、経験のためにと少しの期間兵役についてたロイドは、胸を張って中庭を行く。

他の衛兵が真横を過ぎて行く。夜の暗がりと、堂々としたロイドの立ち振る舞いの前では、彼をとがめる者は誰も居なかった。


 石段を昇った先にある兵舎へ向かうふりをして、その奥にある立派な居館パラスへ向った。


 物音を立てないようそっと扉を開いて、天井の高い正面ホールへ体を滑り込ませる。


「さっさと歩け! もたもたするな!」


 上の階から罵声が聞こえた。ロイドは一気に階段を駆け上がり、物陰の角から回廊を伺う。


 がしゃりと金音が聞こえた。手枷をはめられたリンカが、兵士に無理やり引かれ、こちらへ向かって来るのがみえた。


明らかに尋常ならざる事態だった。やはりリンカの身の上に、とても良くないことが起こっているのは明白だった。

しかし今、飛び出すのは得策ではない。ロイドは歯がゆい気持ちを堪えつつ、息を潜める。


「しかしえげつないなぁ。使えなくなった途端売り渡されるとは」

「声の出ない魔法使いなんざただの魔石よ。まっ、この嬢ちゃんなら肉便器には良さそうだけどな」


 兵士達の心無い言葉に、リンカの顔は青ざめたまま。彼女は何度も足を止めるが、その度に兵が鎖を引いて無理やり歩かせる。

 できることなら今すぐに飛び出したい。しかし、不意を突かなければ、返り討ちに会う可能性は高い。

だからこそ、今ロイドが隠れている角に来た時が最大のチャンス。

 ロイドは必死に息を潜め、来るべき瞬間に備える。



「てめぇ、いい加減諦めてさっさと歩け!」


 いよいよ苛立たしくなったのか、兵士はリンカに繋がった鎖を思い切り引っ張った。

成されるがまま小柄なリンカの身体がつんのめる。

が、途端、彼女はつま先を思い切り踏みしめた。


「なッ――がはっ!」


 勢い任せに肩からぶつかり、鎖を引いていた兵士を突き飛ばす。


「き、貴様! がっ!」


 振り向きざまに手枷をスイングさせ、もう一人を兵士を殴打し、なぎ倒す。

いくら小柄で、魔法使いであろうともさすがは冒険者。以前物理攻撃が不得意だろうと思ったことがあったが、撤回したい気分になった。


 リンカは相手が伸びている隙に、走り出す。


 予定とは違うが、いまが絶好の機会。


「ッ!?」


 ロイドは勢いよく角を曲がってきたリンカの肩をしっかりと掴んだ。

驚いた彼女は手枷を振りかぶる。

しかし殴られて昏倒してしまえば元も子もない。手枷の間にある鎖を掴み、寸前で受け止める。

リンカの顔が絶望一色に染まった。


「何事だ!!」


 安心させようと名乗ろうとした瞬間、鋭い声がロイドの背中に響く。


(くそっ! こんなタイミングで!)


 心の中でそう悪態を着きながらも、平生を装って、掴んだ手枷の鎖と共に踵を返す。


「はっ! この女が暴れていまして、捕まえたところです!」

「そうか、よくやったぞ!」


 今のロイドと同じ格好をした兵士が近づいてくる。

 リンカは再び顔を真っ青に染めて、肩を恐怖で震わせている。


 できれば自分がロイドだと名乗り安心をさせてやりたいが、今はできそうもない。


(まだチャンスは有るはずだ。リンカ、もう少し辛抱してくれ)


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