獣友記

柳瀬鷹也

第1話 その出会いと別れは突然に

僕の名前は尾田竜紀(おだたつのり)、日本の京都で産まれ、今は東京で働きつつ趣味を満喫している、どこにでもいる平凡な日本人だ。


両親は外国人向けの日本語講師を務めている。


そんな両親が丸の内にある大手商社の依頼により、家族ごとアフリカのケニアに長期出張となったのは、もう30年近く昔の出来事だ。


なんでも、現地雇用の従業員3000人に、大手商社の業務を円滑に進めるために日本語を教えるための一員だとか。


当時5歳、そうしてアフリカに住む事になった僕は、野生の動物を観察することや、ナイロビ、モンバサ、ウクンダといった観光地にある動物園に通うこと、ペットとして飼える動物は飼育することが大好きだった。


動物の他にも、ケニアには様々な国籍、人種の人たちが住んでいた。そんな中で、僕は英語を始め、様々な言語をマスターしていった。時には両親のために日本語講師の仕事を手伝う事も多々あった。


そんなアフリカ暮らしの中、動物の他に僕を夢中にさせたものがあった。


そのころのケニアには、ろくにテレビのチャンネル数がなかった。常時安定しているのは国営放送が1チャンネルと、あとはたまの時間に流れる民間のチャンネルが1~2個のみ。


そんなテレビという存在を、僕はほぼ眼中に留める事はなかった。そう、あの時までは。


そんな中、父が依頼主の商社からもらってきたという、「ビデオデッキ」という機械をテレビに接続した。


四角い形状をしたそれをいくつかの配線でテレビへとつなぎ、それよりも二回り小さい箱を入れ、しばらくすると、今までに見たことのない映像がテレビに映り始める。


テレビに映る、色彩豊かな絵が断続的に動いてゆく。それは白い色をした親子のライオンだろうか。


絵が動くのに合わせて、絵がしゃべり、風や水の音が鳴り、朝から夕焼けへと、時間が移り変わってゆく。


そして数々の物語が展開され、ぼくは夢中で見入っていた。


「父さん、母さん、なにこれなにこれ!!」


それが何の映像なのか両親に聞いたら、日本の「アニメーション」だということだった。


その日から僕の「テレビ」に対する認識は180度変わったのだ。


「僕もテレビにあんな動く絵を、描いてみたいなぁ……」


そう両親に告げた所、快くスケッチブックや色鉛筆、絵の具をプレゼントしてもらえた。勤め先の商社は色々なものを取り扱っているため、すぐに手に入れる事ができたのだとか。


アニメーションの基本的な原理も、商社の人たちに色々と教えてもらった。

何十枚、何百枚もの絵を描き、それを連続的に映す事で動いているように見せかける事が出来るのだという事、動いている人物と、背景の画像は別々に描いているという事など。


……そして時は流れ、やがて両親の出張の期間が終わり、僕たち家族は日本へ帰る事となった。


飼っていた動物たちを日本に連れていく事は難しいそうで、新しい引き取り手を探したり、動物園で飼ってもらう事となった。

足しげく通ったケニアの動物園の一人一人の動物たちにも勝手に名前を付け、可愛がってきたりもした。そうした動物たちとの別れはつらかった。


いつかまた、ケニアに戻って、この子たちと再会したい。


そんな思いを振り切るように、飛行機の窓から見えるケニアの大地は徐々に小さくなっていき、そして一面の青に包まれた。




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獣友記 柳瀬鷹也 @TAKEYA0711

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