通い犬~僕が仔犬だった頃~

緒方 敬

1章 犬ごっこ

第01話 林の奥に

 今は大規模ショッピングセンターと、駐車場に成っているけれど。

 昔ここに雑木林があった。


 アスファルトが土の道に変わる向う。鉄条網に穿たれた小さな抜け穴の向こう。

 近所の空き地が誰かの物と知らない子供だった七つの僕には、雑木林は前人未到の場所だった。


 麦茶の入った水筒と、マッチとチョコと虫眼鏡。銀紙に包まれた給食の残りのチーズが一つ。

 鉛筆削りの肥後守。そして二本の2B弾。それからえーと。そう! 動物園で買って貰った、お猿の顔が良く見える方位磁石付き双眼鏡。

 その時僕はリビングストンだった。


 マンガで得た知識。鉄条網は仰向けに潜れを実践し、首尾よく異世界に入り込んだ僕は雑木林に分け入った。

 夏には背丈を超える下草も、四月の頃は極疎ら。雪に潰れた枯れ草を踏んで林の中を抜けて行く。


 暫く前に進んで行くと、犬の吠える声が聞えて来た。前方に大きな金網と繋がった掘立小屋が建って居る。

 何だろう? 模様ガラスで中は見えないけれど、ここからも大きな窓が二つ見える。

 近付くと突然林と下草が消えた。


 金網の向こうに誰かのお家。古い木造の平屋があった。


 声の正体はコリー犬。鳥小屋のような六角形に編んだ金網に飛びついて、僕に向かって吠えている。


「こんにちは~」


「わんわん! わんわん!」


 あはは。そうだよ。わんちゃんにはわんちゃんの言葉じゃないと通じない。本にもそう書いてあった。


「わん!」


「わんわん! わんわん!」


 僕が挨拶するとさらに激しく吠えて来るわんちゃん。あれ?


「う~」


 低い声で唸り出した。


 えーっとこれは、警戒してるんだ。どうしよう?


「あ、そうか」


 ふと僕は思い付いて幼稚園の先生が話しかける時みたいに、屈んで目線を合わせてみた。

 屈むと僕と大差ない大きさの仔だ。


「わん! わんわん!」


「わんわん!」


 警戒していた声が変わる。


「いいものあげよっか?」


 ポケットからチーズを取り出して銀紙を剥く。えーと確か、危ない物じゃないって軽く齧って唾を付けてからあげるんだったよね。

 わんちゃんと仲良しになる方法を試してみた。


 すると


「わぅ~」


 声が替わり、夢中でチーズを食べちゃった。そして今度は、


「くぅ~ん」


 と啼き出した。えーとこれは甘えてる声だ。あーあ、寝転がってお腹まで見せている。

 この時こいつがメスのわんちゃんだと初めて判った。


 こうして大人しくなった番人を見ると掘立小屋が気になった。

 回り込んで調べるとノブを回してあけるドアがある。鍵は、掛かってない。


 中は床が土で高さはふつうのおうちと同じ位。模様ガラスの窓は大きく、中は本が読める程明るい。

 椅子も机も無いけれど、古いガラス戸の付いた空っぽの食器棚が一つある。普通のお家と違うのは、畳や床板や天井板が無く波を打ったトタン屋根が剥き出しになっているくらい。

 あれ? 大きな二股の裸電球が下がっている。スイッチの紐を引くと電気が付いた。


「こんな秘密基地欲しいなぁ」


 ここなら夜でも雨の日でもへっちゃらだ。


 小屋の向こうに変わった物が見える。何だろうと眺めていたら、

 パタンと大きく捲り上がって、さっきのわんちゃんが入って来た。そうか、あそこはわんちゃん用の出入口なんだ。


 わんちゃんは僕に飛びついて、わんわん吠える。勢いで押し倒された僕が思わず、


「わぁ!」


 と声を上げた途端、さっき入って来た入口のドアが開け放たれた。


「やけにアドが騒がしいと思ったら。坊主、どこから来た?」


 怖そうな和服のお爺さんがそこに立っていた。

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