憑かれやすい彼女
薮坂
プロローグ
泥棒猫のエチュード
「どうして? どうしてあんなことしたの?」
静かな教室の中で、髪の短い女が言った。強い眼差しで、真っ直ぐに相手を見据えている。
言葉を受けた相手である髪の長い女は、唇を歪めて不敵に笑うだけ。短い方は、強い口調で言葉を継いだ。
「笑ってないで答えてよ!」
「……なんて答えて欲しいの? あんたの男を取ってごめんなさい、とでも言えばいいの?」
歪んだ笑顔のまま、髪の長い女は続ける。
「ねぇ、逆に聞きたいんだけどさ、恥ずかしくないの? 男に浮気されたのはあんたにも責任があるのに。自分に責任が全くないって、そう思ったの? まぁ、そう思ったからこんなこと言ってんだよねぇ?」
「あなたがレイジを誑かしたりしなければ、こんなことになってないよ!」
「へぇ、あいつレイジって言うんだ。知らなかったなぁ、まぁどうでもいいけどさ」
ニヤリと不敵に笑う、髪の長い女。短い方は、怒りに肩を震わせていた。
「……許さない! 絶対に許さないから!」
「私を誘って来たのはそのレイジってヤツの方。私はただ、受け入れてやっただけよ。それにあいつ言ってたよ? 彼女の愛が重すぎる、ってね」
「お、重い……?」
「おやすみってメールがないと怒るんだって? 私のこと愛してないの、だっけ? ねぇ、何キロくらいあるの? あんたの愛の重さってさぁ」
今にも吹き出しそうな、長い髪のその表情。対する短い方は、相手をまだ睨みつけている。長い方が言った。蔑むような口調で。
「どうしてもって言うなら返してあげる。別にあんなヤツ必要じゃないし、タイプでもないし。ただの暇つぶしに遊んだだけ。だからいつでもあんたに返してあげるよ。私のお古でよければ、だけどね?」
「この泥棒猫っ! ここで殺してやるっ!」
言うが早いか、髪の短い方は冷たく光るナイフを取り出して——。
「……はい、そこまで」
ぱんぱんと手を叩きながら2人に近づいたのは、不意に現れた3人目の女の子だった。
黒髪、そしてショートカットの3人目は、無表情で言葉を続ける。
「さてと。見ててどうだった、コウ」
そこまでただの傍観者だった、おれに話が振られた。
「いやなんで『泥棒』ってテーマのエチュードで、こんな血みどろの展開になんだよ。普通、泥棒つったら『待てルパーン』的なヤツだろ。お前ら、昼ドラの見すぎなんじゃねーのか? これじゃ、泥棒猫のエチュードだろ」
そう、これはエチュード。日本語では即興劇と言うもの。
演劇部の部室で繰り広げられていた昼ドラは、ただの演劇の練習だったと言うオチだ。こいつらには誰一人として彼氏なんかいないしな。
おれたちは全部で4人の弱小演劇部。さっき演技していた、髪の長いのが
次の秋公演に向けて、4人で目下練習中と言うわけだ。まだなんのシナリオをやるかも決まってないのだが。
まぁそもそも、秋の文化祭でおれたちの出番が与えられるかも微妙なラインだ。それくらい実績も実力もない部活なのである。
「コウ。他に何か意見とか、アドバイスとかは」
部長のカイリがいつもの無表情で言った。別に怒ってる訳じゃない。こいつはいつもこうなのだ。口数がかなり少ないヤツだが、もちろん悪いヤツじゃない。
そんなカイリに、おれは腕組みをして答える。
「泥棒猫はやっぱりないと思うけどな。どうせなら、キャッツアイばりのセクシーなエチュードが見たかったぜ」
「なるほど。コウ先輩はやっぱり変態なんですね」
この中で唯一の後輩、大上コマが反論した。変態って普通に悪口じゃねーか、おい。
「コウ先輩の発想は幼稚すぎるんですよ。泥棒と言えば略奪愛です! カレーには福神漬け、チキンナゲットにはマスタードソース。それくらい、メジャーな組み合わせだと思いますけど?」
また微妙な喩えを……、と思うがおれはいちいち突っ込まない。コマに突っ込んでたら日が暮れる。それは過去の経験から痛いほどわかってることだ。
「まぁエチュードの内容は置いといてだな、セリフの掛け合い自体はよかったんじゃねーの? コマ、ずいぶん上手くなったな」
「ほんとですか、嬉しいです! でもよく考えたらコウ先輩に褒められても、あんまり嬉しくないですね! 変態だし!」
「なんでだよ普通に褒めたのに! あとな、おれは変態じゃねーぞ!」
渾身の反論。変態ではないと強力に否定するが、コマは全く聞いてない様子。そんなコマは何故か得意げな表情で言った。
「やっぱりあたしは、ヨウコ先輩に褒めてほしいです。ヨウコ先輩は本当にすごい、すごすぎます。さっきの掛け合いだって、途中であたし本当にムカついちゃいましたもん。彼氏なんて今までいたことないのに、本当に彼氏を盗られた気分になりました」
そこまで優しい表情で聞いていた、ヨウコが緩やかな口調で言う。
「コマちゃん、本当にお芝居が上手になったね。きっといい女優さんになれるよ。カイリもそう思うでしょ?」
「思う。本当に上手くなった。コマ、自信持っていい」
「ほんとですか、先輩方2人に褒められて嬉しいなぁ! これでさらに、やる気が出るってもんです! あたし、褒められて伸びるタイプなので!」
おれも褒めてんだけど、そこは華麗にスルーかよ。まぁ良い。これもいつものことだから。
「で、どうすんだ。もう一度エチュードするのか?」
「悪いけど、わたしはこれからバイトがあるのでパスする」
「部長のカイリ先輩がそう言うなら、今日は解散ですかねー。あたしも家の用事あるし。というわけで先輩方、お疲れ様でした。また明日です、ついでに変態先輩もさようなら!」
「だから変態じゃねーからな!」
と叫ぶがもう遅い。カイリとコマは風のように去っていった。必然、おれはヨウコと2人になるわけで。
「さてと。やることないし、おれたちも帰るか?」
「そうだね、帰ろっか。あ、そうだ。そう言えば駅前のカフェが半額フェアやってるらしいんだよ。ねぇコウ、一緒に行かない?」
「今日はどっちのおごりだっけ?」
「コウの番に決まってるじゃん!」
いつもの笑顔で笑うヨウコ。それは幼い頃から変わらない、ちょっといたずらっぽい笑顔だった。
おれとヨウコは小学校からの付き合いの、いわゆる幼馴染ってヤツ。付き合いはもう10年以上となる。
昔からヨウコは、こんな顔で楽しそうに笑う。いつもその顔に負けて、結果おれの財布は軽くなっていくワケだ。
「コウ、どうしたの? 行こうよ」
「ヨウコ、なんか楽しそうだな」
「そりゃあね。コウがご馳走してくれる時は、いつもの倍くらい美味しく感じるからね!」
鼻歌交じりで、部室がわりの空き教室を出て行くヨウコ。
季節は初夏、それより少し前。つまり春と夏が切り替わるころ。1年でいちばん過ごしやすい季節。
おれはやれやれと思いながら、楽しげに歩くヨウコの後を追った。
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