23歳の私の中には母がいた
緑野仙人掌(みどりのさぼてん)
祖母の死
11月20日、晴れた日の朝、それは突然のことだった。
起床し、スマホの通知を確認すると、母から一本の電話とメッセージが入っていた。
「ばばが亡くなった」とだけ書いてあった。一瞬にして頭が冴えた。
母方の祖母が亡くなったのだ。
私は思わず「やばい」といって、ガバっとふとんから起き上がりすぐに母に電話をかけた。
「ばばが亡くなったっちゃね。」
と私は言った。
自分の母が亡くなった立場である母に、なんと言ってよいか私は分からなかった。
「今日はあんたはすることないから会社に行って、明日明後日はお休みをとって。」と、母は思ったより淡々と話し始めた。
明け方に祖母が入っていた施設から連絡があり、母が駆けつけたときにはすでに息を引き取っていたそうだ。
母が淡々としていて少しドライなのは、娘に弱みを見せない強がりなのか、覚悟をしていたからなのか、祖母に思い入れが無かったからなのか、理解できなかった。
会社に行く気分には到底なれなかったが、私はとりあえず出社することにした。
柔らかな朝日と出勤中の人たちの間を、自転車でいつも通り、ひゅーっと駆け抜けていく。
街はまだ冬景色ではなかったが、冬の装いをしても、少し肌寒く感じた。
とめどなく涙が溢れてきた。考えていないつもりでも考えていた。
母は大丈夫だろうか、と。
祖母とほとんど面識のなかった私は母のことばかりが心配だった。
祖母が施設に入ってから亡くなるまで、母は週一の休日を祖母の世話に当てていた。祖母が亡くなるということは、その休日の忙しさや思考も、すべてが無くなるということになる。
繊細な母は心にぽっかり穴が空いてしまうのではないか、と心配だった。
母は祖母のことを、きっと一度も愛することができなかった、それでも自分の親であることに変わりなく、自分の親を失うまで愛することができなかったことは、誠実な母にとってどれほど複雑で辛いか、と思うと涙が止まらなかった。
実の親に愛された記憶も、愛した記憶もないなんて、なんて切ないことだろうか。
泣いたままでは出社できないので、私は駐輪場で一息ついて出社した。
その日はもう上の空で何も仕事がはかどらなかったが、なんとか一日を終えた。
普段、私と母は互いに一人暮らしをしているが、母があまりにも心配だったためその日は母の家に泊まった。
母はやはり少し疲れているように思えた。いつもは全然話を聞く方では無いけど、うんと母の話を聞いた。少しでも親を亡くした様々な感情のはけ口になればよいなと思った。
私の母は自分の母親に育てられていないと言っても過言ではなかった。
借金と男にまみれた祖母のもとに生まれた母は、それはひどい生活を送っていた。
祖母は早くに離婚しているため、母と祖母の2人暮らしだった。弟がいたらしいのだが、離婚した際に父親の方に引き取られたらしい。母はその時のことを思い出して、よく「なんで私はばばのほうだったんだ」という。男を追いかけて、まだ小さい母を一人おき大阪に移住したことや、ご飯を作ってもらったことがないこと、召使いのように家のことを全部させられていたこと、知り合いからお金を借りまくっていて、幼い母が暴言を浴びてきたこととか、母と話すとよくこんな話を聞いていて可哀想で仕方がなかった。
最近になっても祖母の借金は出てきていた。母が身を削って働いてもらったボーナスを抱え、借金取りのもとへ一人で返しに行ったことを思い出した。私はどうしようもなく辛く、涙が我慢できずにその時一人で泣いたが、母は泣かなかった。そんな母を強いなと思ったし、今までされてきたことでできた免疫なのかと思うと、切なかった。
数年ぶりに布団を並べて寝た。
「ばばと一瞬でも幸せな時間があった?楽しかったこととか。」と私が尋ねると、少し考えて、「なかったね。」と母は答えた。「そうだよな」と思っていたが、苦しかった。一度でも幸せだったとき聞きたかった。なんと言えばいいかわからないが、母が幸せを感じていたら自分がほっとしたはずだったからだ。
次の日は、通夜と葬儀の準備で母と早起きをした。
私は突然のことで喪服を持っていたなかったため、ショッピングモールへ行き、母は先に葬祭場へ向かった。
社会人になって一年にも満たない私はあまり高い喪服を選べそうになかったため、モール内の店舗ではなく、総合婦人服売り場に行った。
どうすればよいか分からなかった私に、親切な50歳くらいの女性の店員さんが、売りつけようという気は全くなさそうに、接客をしてくれた。想像していたよりも安い値段で、これからもそれなりに使っていけそうな喪服を購入することができた。店員さんの親切さに感謝した。
なんだかこの日は、他人の優しさをいつもの数倍ほど強く感じた気がした。
私が葬祭場についた頃には、正午をまわっており、準備はある程度ひと段落していた。
母と、祖母の姉であるハルコおばちゃんがいた。母の面倒を見てくれた人の一人だ。
「あらまぁ大変やったねぇー。どうも!」と、悲しみは感じられないいつもどおりのはつらつとした挨拶をされた。
ハルコおばちゃんは、自分の子供もまだ小さかったが、母を家に招き面倒を見てくれていたそうだ。母はハルコおばちゃんにはとても感謝しているらしかった。母が話す言葉からそれがいつも伝わってきていた。
通夜まで少し時間があるので、葬祭場でお茶を飲みながら家族で待つことにした。
今回は家族葬だったため、家のような感じで鬱蒼とした雰囲気もなく過ごしやすかった。
母と私は喪服に着替えた。母が私の喪服姿をみて「あら、可愛いやん。」といった。喪服に可愛いもなにもあるのかと思ったが、母が褒めてくれるのが、私はとても好嬉しい。
しばらくすると、ハルコおばちゃんの娘たちやら、その娘たちやら、続々と人が来た。私の兄も大阪からようやく到着したようだった。全員が喪服をまとっているので、正月に見る顔ぶれではあるがいつもと違う雰囲気で落ち着かなかった。あまり意識していなかったが、女家族のようで、兄ともうひとりを覗いては全員が女だった。皆似通っていないが、美しい容姿をしていた。私は、目に映る喪服や美しい顔ぶれから、海街diaryのワンシーンみたいだな、と思った。
しんとした雰囲気ではなくて、とても賑やかだった。たとえ人が亡くなっても、女性が多いとこうなのかと思ったが、単に、祖母の素行の悪さから愛想をつかされてしまったのかなと思った。
祖母の話もした。
「そうそう、この前施設に顔を出しにいったら元気やったよ〜。」とアケミさんが言って、写真を見せてくれた。アケミさんはハルコおばちゃんの娘の一人だ。「ほらこれ、穏やかな顔をしてるよね。」と言って見せてくれた写真の祖母は本当に穏やかな顔をしていた。いつもみたいな少し気味の悪いこわばった顔ではなかった。
施設に入って、精神安定剤をうつようになってからは、性格さえかわらないものの、ずいぶんと静かに穏やかになっていた。そして、人間としての欲求や意思も失っているように思えた。母が週末に顔を出しに行くときには、全く一言も話さず、ぼうっとしているだけで、食事が出てきても「全部混ぜてくれ」といい、すべてをかき混ぜて食べさせてもらうみたいだった。私はそれを聞いてとても悲しい気持ちになった。薬で人を抑制することは、こういうことなのだ。何が楽しくて生きているのだろうか、辛ささえ無いのだろうか、と思った。
祖母は統合失調症だった。その他にも色々と悪事を働き周りに明らかな迷惑をかけてしまうため、母とハルコおばちゃんが精神疾患患者を受け入れる施設に預けることを決意した。
そして、私と兄を含める4人で祖母の家を片付けに行った。お化け屋敷のようだった。強烈な魔力で家が歪んでいるように見えた。くらっとするような異様な雰囲気の漂う家中、そこら中に書いてある攻撃的な呪文、棚の上に逆さにおいてある数え切れない画鋲、そしてカミソリ。祖母は苦しんでいたのだなと思った。毎日毎日、目に見えぬ何かに怯えて生きていた。バチがあたるとよく言うが、こうして、今までしてきたことが自分の苦しみとなってかえって来ることを実感した。実感したというよりは、母が常々「バチが当たったんだ」と言っていたのでその影響かもしれない。
葬儀の日、朝からお坊さんがきて、お経や焼香が行われた。
母が泣くよりも先に泣いてしまいそうだった。精一杯我慢していたが、隣で母の鼻をすする音が聞こえるともうだめだった。滝のように涙が出てきた。
「お母さんつらかったね、頑張ったね」と心の中で母を讃えた。
人生の中で一度も、親子と言う関係から幸せや楽しさや感謝を味わうことができなかったのは、本当に悲しく複雑な感情だろうと思う。私は祖母に恨みまでは抱いていない。自分がすごくひどいことをされたわけでは無いし、そもそもあまり関わったことが無いからだ。しかし、母の話を聞くとどうしてここまでひどいことをするのかと怒りを覚える。せめて、死後の世界ではこれからの母の生活が豊かになるよう見守っていてほしいと願った。
祖母の顔を見ると、生きているかのように生き生きとしていた。きれいにお化粧がされていた。ハマコおばちゃんのもうひとりの娘のユウミさんがしたらしい。なかなか亡くなった人に化粧をするのは大変なことだと思う。祖母は普段から化粧が濃いめだったので、最後にきれいにしてもらえてきっと嬉しかっただろうと思う。
母は、「もう何も怖くないね。優しくしてあげられなくてごめんね。」と泣いていた。母が精一杯複雑な感情の中で放った言葉だろう。
祖母はとても安心して眠れているようだった。
私は火葬場に行く車の中でも涙が止まることはなかった。母の人生が悲しくて悔しくて切なくてたまらなかったのだ。いつも、私が守らなければいけない、幸せにしてあげなければいけない、と思っていた。
私がこの二日間で一番ショックを受けたのは、遺骨になった祖母を見たときだった。
水々しさはどこにもない。乾いた骨が人間の形のまま残っているだけだった。さっきまであったはずの皮膚や目や肉がどこにもなかった。
あぁ、本当にいなくなったんだ、と思った。
さっきまであったものが突然無くなったような不思議な気持ちだった。
生まれる前は全く存在しないが、生きたものはこうして、形を残して魂だけ無くなっていくのだ。
人間の死をそのとき初めて目の当たりにした。
ブーンという低い音が聞こえてきた。別の場所の火葬する音だ。
頭に響くそれを感じながら、私達は交互に、家族三人で丁寧に丁寧に遺骨を壷にいれた。
「これで終了になります。」と火葬場のひとが言い、私達は深くお辞儀をし、別れた。
帰りの車からは夕日が見えた。なんだかほっとした。見慣れた道がとても静かに感じた。
泣いて、泣いて、死を知り、母を思い、私はとても疲れていた。
母に幸せが訪れるようにとただただ願った。
心の底からこう思えるようになったのも最近のことだ。私はそれが嬉しいが、今までの日々がじれったくて仕方がない。
こう思うのに23年間もかかってしまった。そしてもうやり直すことはできないのだ。
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