第8話 建白書

 長英の「夢物語」は内々ではあったが、数人が筆写して回し読むうちに、広まっていき、建白書を提出する者まで現れた。勘定吟味役川路聖謨としあきら、代官江川英龍、八王子同心組頭松本胤通、佐藤信淵のぶひろ、古賀侗庵どうあんらであった。


 川路聖謨の建白は行われていないが、西洋諸国の事情にも詳しく、崋山や長英らと交友があったともいう。江川英龍はのちに詳述するが、代々伊豆韮山の代官であり、幕府の近代化に貢献した人物であり、崋山や長英とも交友があった。役柄的に鳥居耀蔵との確執から蛮社の獄へと発展する。松本胤通は、幕府御家人であり、通称を斗機造といった。斗機造は、初め志村又右衛門の手に属したが、のち河野伝之丞の組に入り、千人同心の組頭であった。下級の武士であったが、国事を憂い水戸藩の藤田東湖らと往来して親交を深め、のちに烈公に知られ、その建白書も幕府に献上された。水戸公の後押しがあったからか、彼には何のお咎めもなかった。佐藤信淵は農学者であり経済学にも秀でていたが、博学に通じていた。信淵は長英の「夢物語」から「夢々物語」を著している。古賀侗庵は、漢学者であるが、海防を力説している。

 松本胤通の建白書の提出は、モリソン号事件の前のことであるが、その内容は興味深いものなので、紹介しておく。


今我が海国の武備を堅固にせんとならば、西洋船に劣らざる高大堅牢の大船を造るべし。彼と対抗すべき大船出来して後始めて、彼我の強弱を論ずべきなり。右の西洋船様の大船を造るには、和蘭人に命じ彼の国の船匠を雇い、我が国の船匠をして就いてその製法を受け学ばしめ、其上にて彼の船匠の相手となり、先づ新船三四艘を造り試み、かくて後彼の按針役より始めてマドロスまで、それぞれ役方の者を召寄せ、我が水主に運用法を稽古させ、大凡そ練習したる上にて、浦賀製作の船ならば伊豆七島の海岸にて試乗し、その稽古中は四季共に海上に出て、颶風つむじかぜ、時化等にも出遭い、諸種の艱難を経て自然の練度を積まねばならぬ。そして其上は戦士を乗せて水戦を調練せしめよ。かくて後全国諸族にして海岸を有する者には、今より五十年間は五年毎の参観と定め、在国中は実用を旨として浮華を戒め、領内又は便宜の隣港にて造船せしめ、其船の長さは二十四五間より三十間までを限度とし、大砲は一貫目以上を用い、人数は百人より百五十人までとし、全国海岸を有する諸侯の参観の節は、往返の内必ず一度は海路を通行せしめ、九州、四国、中国、東海道海岸に在る諸侯は浦賀より南海を乗り、北国・奥羽の諸侯は同所より東海を廻り、北国の松前の瀬戸を乗り抜け、それぞれ領国に着するようにし、又長崎奉行は従来、尼ヶ崎より下ノ関まで往返一度は海路に由るよしなれども、是も亦南海を経て四国、日向、大隅の沖を通って長崎に着し、帰路ならば長崎より右の海上を過ぎて神奈川に着することとするがよい。又奉行出船の日に先だち通行の海岸通に会し、同所の諸侯は己が領内の海上に出船して之を待ち合せ、奉行の船を護送して長崎に至ることとし、其節各諸侯の船は十艘ならば、其内の四五艘にて護送し、残り五六艘は領分内の沖を乗り廻して不虞に備えることとする。尚時としては、奉行は長崎より出帆して玄界灘を過ぎ、下ノ関に着し、それより西国、中国、四国の海上を経て尼ヶ崎へ着することとし、吃水深き船であるから、四国、中国の海上の小島多き処は予め下げ縄をして浅深を測り海路を定め置き、又浦賀より西島玄海灘までは奉行の官船が往来すれども、房州洲ノ崎より東北、奥羽、長州の海上を往来せぬのであるから、之は佐渡奉行として浦賀或は神奈川より出船して洲ノ崎を廻り、房総、常陸海上より松前、南部の海峡を過ぎ、佐渡の背より能登の沖を経、隠岐の沖より南に折れ、長州の海に到りて萩に入津し、それより出雲と隠岐との間を乗り抜け、能登の鼻を廻って越後の出雲崎に到り、此処より佐渡に着船せしむることとし、又浦賀奉行は伊豆七島をはじめ、下田沖より下総銚子の沖まで常に往来し、毎年三月頃より九月頃まで絶えず乗り廻して非常を監察し、官船は浦賀に三艘、佐渡に二艘、長崎に三艘、都合八艘を必ず備え置き、右官船及び諸侯の船も、舳先の彫物、帆布の染旗印等まで、それぞれ分明にして混乱なきようにし、右の彫物、帆の染色等も一々絵画を作り、板本として諸侯の紋所又は遠見番所に一冊宛を渡し置き、又船の役割を定め、右役人外に海外の言語、文字に通ぜる者を乗り組ませ、日本海の潮流並に海岸諸港の深浅、風の順逆、出洲、暗礁等を詳記せる書物及びカムサッカ、蝦夷、満州、朝鮮、唐山等の我が海辺に隣る国々との地図一本を船中に蔽し置き、且日本海の風浪は世界第一の難所といえば、其処にて常に乗り習い、同時に諸国廻船の難風に逢えるを救い、加え官船、諸侯船皆何れも一年三度ずつ水戦を調練し、浦賀奉行の船は伊豆七島の海上、長崎奉行の船は五島の海上、佐渡奉行の船は佐渡、隠岐の海上、諸侯の船は各々領海上にて操練し、当日は主として風波暴き日、濛霧深き日又は夜陰を用い、且海外の船軍は第一に敵船の帆柱を目当に大砲にて打ち砕くを肝要とすといえば、其辺をよくよく心得て総練し、又闔国こうこく海岸通りに海上を障り油断なく海上を遠見し居り、若し異国船地方じかたに近く寄すと認むれば、直ちに火を挙げ、左右隣の番所も之を見て直ちにひを移し、之を海岸通りに段々に知らせることとし、かくすれば平常の手当よく行き届くから周章狼狽することはない。然るを若し此備なく、異国船濛霧にまぎれて相模灘に徘徊し、且は伊豆七島、下田、相州三崎、房州洲の崎辺等、江戸咽喉の所に待ち伏せ、諸国の廻船を見付け次第に大砲にて打砕かば、江戸入津の船一艘もなく、第一食米を始めとし諸色品切となりて、江戸府内上下の困窮欠乏は国内の飢饉よりも甚しき惨状を呈するであろう。現に弘安四年蒙古の賊船筑紫に殺到せる時には、米穀の類は四国より上らず、京都の商人売買容易ならず、為に蒙古乱入せずとも、都人飢饉にて餓死すべしと「八幡愚童記」に見えて居る。之をよくよく注意すべきである。其他千島を早く我が蝦夷の属島とすべし。それには第一にオロシャとの交易を許して、唐山との私貿易を停め、堂々と我が武威を輝かして諸外国と対立するがよい。徒に魯・英を恐怖する如きは策の得たものではない。先づ第一に着手すべきは海軍編成である。


 というように、英国との貿易を許して開国に向かうべきと論じている。又、長英が「夢物語」を著した後に、佐藤信淵は「夢々物語」を論じて、攘夷論を展開した。といっても一風違うものだ。

「総体日本人は、知恵が短く、胆が小さき故、莫利宗モリソンが来るという事を恐るるなれど、愚案にては、何分昇平久敷ひさしき、大眠という時節なれば、却て恐悦と思うなり」で始まり、「呉々くれぐれ国体蕭墻しょうしょうの内さえ、青天金石の如く、至正至堅にましまさば、莫利宗モリソンに交易を許さぬのみか、支那、和蘭陀の交易をも停止して、此後は外国どもを、一寸も海岸に寄付ぬ様にするが、大日本国万々年、御永久の長策なるべし」という。信淵は開国論者であるが、なぜこう訴えたかといえば、外国船が来ただけで狼狽えている日本国の態度に憤慨しているのである。だから開戦することで危機感を高め、日本を導く英雄豪傑の出現を期待したのである。自衛隊はあるが、正式な軍隊を持たない日本国は、此の当時は旧式な武器しか持たない国家であり、実態は今よりもっと武力に乏しかった。そんな国家であれば、西洋諸国と本気に戦えば、結果はどうなるかである。信淵の一節にも「何分日本は世界第一の国にして、味き食を食い過えt、安逸に暮さるるに依て、人々が遊情に流れて、魂気薄き故に」と唱えているのも面白い。現在の此の感じは何故か此のころの感じと似ていないだろうか。

 

 古賀侗庵の「海防憶測」も興味深い。古賀侗庵は寛政三博士と呼ばれる内の一人古賀精里せいりの嫡子である。寛政の三博士とは、昌平黌の教官だった朱子学の尾藤二洲にしゅう、柴野栗山りつざんと精里の三人であった。

 侗庵は、名はいく、字は季曄きよう、侗庵は其の号、小太郎と称す、高祖忠豊、曽祖和作、祖忠能皆三世皆佐賀に仕えた。父精里と共に江戸に出て、儒学に通じて儒官となり、昌平黌で講義も行った。

 侗庵の開国論は、我国が海国にもかかわらず国防の備わっていないのを歎き、船舶を造り、銃砲を鋳り、沿海の守備を整えるのが今日の急務であると論じ、大船製造禁止の祖法を革め、海軍を興すべきと説き、西洋の諸国が狼藉の心を以て人の国を奪い、五大州の内蚕食を免れるものはただ亜細亜のみとなる。ゆえに英国はすでに印度を領有し、露西亞が千島を奪って漸く得撫ウルップに及び、英国が亜米利加を占有して、まさに我国に迫ろうとしている状況を語り、二国の強国が真に恐るべきもので注意すべきであるとする。そして、日本国は神武以来二千五百年いまだかって戒虜窃拠の変に遭わず、姧臣かんしん悍藩簒奪の禍にも罹らず、万世一系の皇統天地と共に悠久たるが如き、五大洲中比を見ざる所、無瑕の玉であり、此の尊厳なる国体を擁護すべきものは、武備を修め、士気を励ますの外はないと論じたのである。

 よく読むと、これはのちの明治維新の精神に通ずるものであった。

 侗庵は「海防憶測」にて第一から第五六までの項目をもって唱えているが、一部紹介すると、

「第一 本邦の地形狭くして長史、海を環らして以て国を立つ、彊寇邇きょうこうちかきに在り、国勢至りて盛なりと雖も、而も海防派空しく流るる矢を捍ぎ、ゆる眉をすくうが如く急ならしむべきを論ず

第二 洋中に国して、而して防海の備無きは、猶お鳥にして而して翼無く、獣にして而して蹄無きごときを論ず

第三 我が船艦狭小、若し泰西たいせい人と海中に遇わば、智勇両ながら施す所無くさに改造を図るべきを論ず」

 というように海防に関する不備なる点を論じているのである。


 江川英龍、蛮社の獄の糸口は英龍と鳥居耀蔵との間の軋轢にあったが、それは後述するとして、英龍は「大日本人名辞書」によれば

「砲術家、諱は英龍、字は九淵、坦庵と号す。世々太郎左衛門と称す、其先は鎮守将軍源満仲の次子頼親より出で世々大和国宇野に住す。九世宇野太郎親信伊豆韮山に移り二十一世英信家名を江川と改め頼親より坦庵に至るまで三十六世血統を以て相続せり。坦庵幼にして聴彗学をつとむ長ずるに及で体幹雄偉眼光人を射る器宇重厚神職高爽夙に蘭学を修め洋算測量洋風練兵に通ず。其の砲技は長崎の高島秋帆に就て習う所にして当時坦庵に及ぶものなしと称す(後略)」

 とあるように、英龍は洋学に関心を抱きそこから海岸防備を論じ、又農政にも力を入れ種痘にも積極的で「世直し大明神」の異名をも持つ。高島秋帆に弟子入りして砲術を学び、韮山に反射炉の建設にも携わっている。英龍がいなかったら、海防の考え方、大砲の製造技術の発展は遅れたに違いない。

 そしてモリソン号が浦賀沖に現出したことによって、幕府も湘房の沿岸を、外国船からの防塞の第一線として見るべく、まず測量するの議が起こり、大目付の鳥居耀蔵が其の任を蒙ることになったのである。

 鳥居耀蔵は、幕府の旗本、名は忠耀、儒官林大内記述斎の次子、大学頭林煌の弟、甲斐守に任ぜられ俸禄二千五百石、目付役から後町奉行三千石に進んだ。耀蔵は性偏狭にして猜忌心さいきしん強く、剛腹にして猾智かっちに富む。便侫べんねいなる小幕吏を手につけ、威権を弄すること限りなしという評であった。


 耀蔵は測量の命を受けると、配下に小笠原貢蔵こうぞうという者がいた。役は御小人目付であったが、少しばかり蘭語も読め、かって露西亞人に接するために函館に遣わされたこともあり、露西亜国も知っていると周りに言い触らし、多少の信用を得て、鳥居にもうまく取り込んでいた。 

 耀蔵は湘房の沿岸の測量実施に際して貢蔵が随行するよう命じた。測量しながら絵図面をとり報告書に添付するのが役目であった。この耀蔵の役務について待ったをかけたのは、江川英龍こと江川太郎左衛門であった。当然、韮山の代官として、管轄内に属することでもあったから、測量を鳥居にのみ命ぜられるのは如何なる次第かと訴え出たのである。幕府としても、江川の訴えは尤も至極として江川にも測量の役務を認めた。結局双方が測量して各々提出して、幕府にてどちらか優秀なる方を採用することとなった。


 耀蔵ははたと困り果てた。

「貢蔵、一人で大丈夫か」

「甲斐殿、湘房沿岸の測量絵図位ならば、敢えて余人召し連れ無くとも、手前一人の力にて充分でございます」

「そうはいうが、相手は江川ぞ。並みの相手ではない」

「なに、累代の代官を鼻先にかけて、物知り顔の江川など、手前の相手として軽いものです」

「しかと相違ないな」

「はっ、大丈夫にてございます。ご安心くだされ」

 貢蔵は本格的な測量絵図などやったことなどなかったが、代官風情に敵うはずはないと、自惚れていた。


 江川英龍の方も測量絵図の上、幕府に提出するとなれば、片手間ではできず、相手は鳥居だけに負けるわけにはいかなかった。到底自分一人では無理だし、代官所の役人もそう役に立つ人材はおらぬと考えていたら、ふと尚歯会の存在を思い出した。そこなら蘭学者も多く揃っており、測量や絵図に長けた人材がいるに違いない。一度援助を頼めないかと思い、崋山の邸に足を運んだ。

「御免。崋山殿は御在宅や」

 崋山は久しぶりの江川の訪問を聞いて客間に通した。

「韮山にお帰りと承知しておりましたが、急に御用でもでき申したか」

「うむ。実は折り入ってお願いしたい儀がござってな。聞いておるやも知れぬが、豆相沿岸の測量に関して、急に出府いたした所存」

「おう、その件ならば、鳥居殿に御沙汰が下り人選も決まったと聞き及び、はてそこ元の名がないというので、皆で不思議がっておったが・・」

「左様。自分でも合点がいかず、問い質してみると、鳥居殿が一手に引き受けられたようだ」

「土地の代官たるそこ元には御相談なしに決したと」

「そういうことじゃ」

「で、どうなされた」

「苦情を申しあげると、お上は鳥居殿と一緒にこの係りを申しつけるとあいなった。それはそれで手前も困り果て、崋山殿に御相談しに参ったという訳じゃ」

「で、その役務はいかなるものでござろう。拙者らの方で手助けできることであろうか」

「うむ。測量と絵図引きに長けたものはおらぬか」

 崋山はしばらく考え

「そうじゃな、心当たりはあるが、果たしてその御仁で良いかじゃ。たまたまこれより例会があり、その者共も来るであろうから、御同道されてはどうか」

「それはありがたい。一緒に参ることにいたそう」

 しばらくして英龍は崋山とともに、崋山の邸を出た。

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